第38話 ポリス・スケアリー・ストーリーズ 2

「境島2から境島、先程の騒音苦情の現場、現着しました。これよりPC離れますどうぞ」

≪境島了解≫


 毒島が無線を切ったと同時にパトカーのエンジンが停止した。束の間のしん、とした空気にユリウスは居心地悪そうに身じろいだ。


「じゃあ、行こうか」


 但馬の声に二人が従う。パトカーを降りると、むわりとした独特の臭気と暑さがユリウスを包んだ。空気はねっとりと重く、息苦しさすら感じる。

 3人の目の前には、4階建ての古びた病院。灯りの絶えて久しいその場所は月のない昏い空と相まって、禍々しい。

 下から見た限りでは、無数にある病室の窓は真っ黒で中の様子は解らない。明かりもない事から、人の気配は皆無に等しかった。


「周囲に人はいないっすね。見た所」


 毒島がライトを周囲にかざして言った。有名な心霊スポットという事で遊び半分の野次馬や、動画サイトに投稿したくて撮影に来る不届き者もいるらしい。出来ればそれでいてほしいとユリウスは強く願った。

 入り口には【私有地】と恐らく手製で描かれた錆びついた看板が立っており、一体どんな人間がこんな場所を所有しているのか見当もつかない。


「建物の周りぐるっと見て何もなければ帰ろっか……あれ?」


 ライトを建物に向けていた但馬が何やら不穏な声を上げたので、ユリウスは思わずびくりと但馬の方を向いた。


「ど、どうしたんすか?」

「いや……今あの窓に人が……白い人がさ」

「えっ……またまたぁ~やだな脅かさないでくださいよぉ」


 毒島が明るく笑おうと努めているようだが、その声は上擦っている。ユリウスも恐る恐る先程但馬が向けていた視線の先にライトを向けてみた。


「あ……」


 3階の中央辺りの窓。白い服を着た人物が窓の端に半分隠れるようにしてこちらを見ている。ぶわりと全身から汗が噴き出した。


「い、いいいいます……あの3階の窓に……」


 声が震えて言葉が上手く出ない。屈強なリザード族の巡査部長が「マジで?」と驚きと恐怖を隠しもせずにこちらを見た。


「よし。入ろう」

「はぇ?」


 風呂入ろうみたいなノリで言う但馬の言葉に、毒島の間抜けな声が響く。唖然として但馬を見ると、いつものように飄々とした雰囲気を崩す様子もない。


「でも、ゆ、幽霊とかだったらどうしましょう……」

「ユリちゃん、生きてる人間のが何十倍怖いんだよ。分かってるでしょ? もしかしたら広域手配犯とかが潜伏してるかもしれないし……それに幽霊でも大丈夫だよ。俺の実家寺だから」

「そうなんすか!? え、俺全然知らなかったんスけど!」

「毒島ちゃんは大丈夫でしょ。向こうのが逃げてくって」

「そんな無責任な~。もし幽霊だったらどうするんですか~」

「そしたら……これを投げつけよう」


 ごそごそと但馬が制服のポケットから出したのは、熱中症予防の塩分タブレットである。塩が入っているからなんか効くだろというのが但馬の持論であった。


「もし幽霊だったら絶対班長見捨てて逃げますからね」


 毒島の言葉に心の中で同意する。但馬は「部下からのパワハラだぁ!」と暢気に笑っていた。

 そんなこんなで、3人は有刺鉄線をくぐり抜け、旧陸軍の廃病院へ入っていった。


 ――――――

「これ絶対ヤバいですよ」


 廃墟の中に、毒島の震えた声が響く。三本の光が、荒れ果てた病院の長い廊下の至る所を忙しなく照らしていた。リノリウムの廊下は経年の汚れとカビ、埃が積もり、内容すらも分からなくなった書類が散らばっているが、古めかしいポスターやチラシが掲示板にそのまま飾ってあったりと、人が管理しなくなった建物というものはこのように恐ろしく朽ち果てていくのかと思い知らされる。


「大丈夫だってば。無線もあるんだしさ。じゃあ3人で分かれていこうか。時間の節約」

「え”!?」


 とんでもない但馬の提案に思わずユリウスは素っ頓狂な声をあげた。何という自殺行為。何というフラグ。これがホラー映画なら100パーセント死ぬ展開しか待っていないだろう。

 信じられないと言った2人の表情に、但馬が不思議そうに首を傾げた。


「な、なに? じゃあ俺3階行くから。毒島部長は1階、ユリちゃんは2階ね」

「マジすか班長」

「えっ」


 まさか真っ先に一番上司である但馬が例の階を志願するなんて、とユリウスは感動すら覚えた。こんな時は絶対いちばん下っ端であるユリウスが貧乏くじを引くのが定石であるというのに。


「なんかあったら無線ですぐ呼ぶから! 10秒で来て!」

「いやいやいや、俺が食い止めるからお前らは逃げろでしょそれは。なあユリウス」

「え! いや、はいその……」

「バッカお前俺は柔道5段のか弱き中年男性だぞ! 毒島ちゃん握力幾つよ」

「えっ……たしか700キロくらいすかね」


 柔道5段がか弱き中年男性かはともかくとして、握力700キロは恐ろしい。ヤシの実さえポップコーンのように握りつぶせそうかもしれない。


「スゲっ!……ユリちゃんは?」


 唐突に但馬に問われ、ユリウスは吸った息が変な所に入りそうになって噎せこんでしまった。


「ゲホッ、剣道2段です……あとは王室筆頭指南役より剣術を少し……」

「じゃあ大丈夫じゃん? 皆死にそうにないよゾンビが出たとしても」

「そういう問題なんでしょうか……」

「何かあったらすぐ無線で連絡する事。じゃあ一旦かいさーん!」


 どんなに握力が、剣が強かろうが幽霊相手にはどうにもならないのでは?と思ったが、二人は黙って自分の持ち場へ向かって行った。

 それが3人にとって恐ろしい夜になろうとは、その時は知る由もなかった……。

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