第37話 ポリス・スケアリー・ストーリーズ 1
警察官という仕事をしていると、否が応でも対面せざるを得ないのが、遺体や、人の負の部分である。そういう場所には、ごくまれにであるが、この世ならざるモノが集まってくる。
これは、とある警察署に勤務する警察官達が体験した、不可思議な現象の一端である。
「それでね、おかしいなぁ、怖いなあって思ったのよ」
もうすぐ深夜になろうという頃の当直室に、数人の警察官が車座になっていた。電気も点けず、真っ暗な中に車座の中心に置かれたマグライトの灯りだけが煌々と天井を照らしている。ユリウスはその中で正座して縮こまりながらその話を固唾を飲んで聞いていた。
某怪談家のように話すのは、交通課きってのムードメーカー稲見巡査部長である。ちなみに話しているエピソードはかつて一緒に仕事をした某巡査部長が、あまりに書類整理が杜撰で、未処理の死亡事故の書類を紛失してしまった日から、所属内で怪奇現象が起きるようになったという話である。
「泊まりの時にね、眠ってて何か胸の上が重いのよ。あまりにも苦しくてさ、これはヤバいって目開けても何もいないの」
ごくり、とユリウスがつばを飲み込む。
「それでさ、すっごい喉が渇いて、頭の横に置いた水を取ろうと思ったわけ。そしたら」
稲見がユリウスの後ろの押し入れの襖を指差す。
「押入れの前に真っ黒い人が蹲っててさ、ぶつぶつ何か喋ってるの。『ここですここですここですここですここです』って」
思わず振り向いてしまう。だがそこには真っ暗な暗闇しかなかった。
「あ~これヤバイってもう必死で目瞑ったんだけどさ、気づいたら朝になってて。誰もいなかったんだ。で、起きてすぐ他の当直員と一緒に押入れガサったわけ。そしたら」
某巡査部長が隠していた、段ボール一杯の未決裁書類が、出てきたんだよ……。
「ギャー! 怖い!」
「めっちゃ怖いよそれ~」
怪談が終わり、車座になった勤務員が口々に騒ぐ。まさかのオチにユリウスも背筋が寒くなっていた。
未処理の書類を隠匿するなど警察官の風上にも置けないが、そういう警察官がいるのは事実である。
電気を点けると、図ったかのように入り口の襖が開いた。
その隙間からぬぅっと今夜の当直長である浅野警部補の顰め面がのぞいて、思わずユリウスは悲鳴を上げそうになった。
「但馬班長、S地区のG病院で騒音苦情。境島2で毒島とガーランドで行ってくれる?」
「G病院ですね。了解です」
自動車警ら係の但馬がマグライトを自分の耐刃防護衣のポケットに入れながら言った。隣の毒島も耐刃防護衣を着て立ち上がった。ユリウスも慌ててそれに倣う。
「じゃあ、ユリちゃん行こうか」
「はい」
但馬の声にユリウスは答えると、二人の背中を追って当直室を後にした。
「左右、車両歩行者無し」
「了解」
助手席に座る毒島の安全呼称で但馬が運転するパトカーが車道に出る。深夜になると人家の灯りも殆どなく、街灯も殆どない農道をヘッドライトが照らすさまはさながら深海をゆく海底探査機のようにも見える。
「そういえば、ユリちゃんはG病院には行った事なかったよね?」
ハンドルを繰りながら但馬がバックミラー越しにユリウスに問いかける。
「あ、はい。確かK浦の湖畔近くというか突端の所でしたよね。聞いた事はあります」
「そうそう。あの廃病院」
「あそこ、旧陸軍病院で結構有名な心霊スポットなんだぜ」
「えっ」
但馬の後を引き継いだ毒島の言葉にユリウスの声が強張った。
「電気なんか通ってないのに異常発報の通報が来たり、非通知の通報で「助けて」って声がした後に110番のオペレーターが位置を調べたらあの病院だったり結構あるんだよ」
「へ、へえ……」
正直なところ、ユリウスはあまりこの手の話題が得意ではない。実家であるガーランドの王城に住んでいた時、沢山の恐ろしい由来を持つ曰く付きの場所や、逸話などを聞き、広々とした石造りのベッドルームで眠る事すら怖くて怖くて、寝小便が7歳になるまで治らなかったのだ。ここでパトカーは県道を外れ、車が2台すれ違うのがやっとの幅の細い道に入ってゆく。あまり道路整備がなされていないのか、ガタガタと振動が尻の下から響く。
「俺達も2回くらい行ったよね。毒島ちゃん」
「そうっすね。でも2回目は変死体見つけてそれどころじゃなかったような……」
「あーあったねえ。確か、強殺(強盗殺人)だったよね大分前だけどよく覚えてるねぇ」
「だって俺がパトになってから最初に扱った事案ですもん。覚えてますよ」
恐ろしい話題をまるで天気の話をするように話す二人を尻目に、ユリウスは漆黒しか見えない両脇の窓をビクビクしながら見回す。何もいない。ほっとしたのも束の間だった。
「あれ?」
「どうしました? 班長」
「タクシーじゃない?」
二人の声に、ユリウスは座席の間から前を見る。両脇を藪と林に囲まれた一本道の先に、ヘッドライトを点け、黄色いウインカーが点滅したタクシーが停まっている。車の上には『空車』の白いランプが光っていた。
「俺とユリウスで見てきますよ」
「了解。ここに停めとくから」
「ユリウス、行くぞ」
「は、はい」
シートベルトを外し、毒島を追う。外は風も無く、むっとした蒸し暑さが全身を包み、雑草や土の独特の匂いが鼻についた。
二人が近づくと、タクシーのボンネットが開いており、運転手らしき男性がエンジンルームを覗き込んでいた。
「どうしました?」
毒島が問いかけると、運転手が顔を上げた。人の好さそうな5~60くらいの男性が、白い手袋の手の甲でしきりに額の汗を拭いている。ユリウスは一瞬ドキリとしたが、見る限り血色もあり、足もある。普通の人間だ。
「ああ、助かった。すみませんちょっとバッテリーが上がってしまいまして……」
「そうでしたか。パトカーにブースターケーブル積んでますんで、今持ってきますね。ユリウス、ちょっと待ってろ」
「はい」
ブースターケーブルを取りに行く毒島の背中を見送ると、ユリウスは運転手に向き直った。
「今夜は災難でしたね」
「本当に。……随分お若いお巡りさんなんですね。私の息子と同じくらいですよ。まぁまだ大学生で遊んでばかりいるんでお巡りさんとは天と地の差ですがねぇ」
あっはっは。と運転手の笑い声に、ユリウスは先程までの緊張が解けてゆくのを感じていた。
丁度そこに、ブースターケーブルを手にした毒島と但馬の運転するパトカーが現れ、無事にタクシーのエンジンは復活した。
「本当にありがとうございました。お勤め頑張ってくださいね」
運転手は3人にしきりに感謝の意を述べ、タクシーはパトカーの進行方向とは逆方向へ走り去っていった。
「よし、じゃあ、お勤め頑張りますか」
「そうですね。タクシー、動いてよかったです」
但馬が運転席に乗り込みながら言った言葉にユリウスは頷いた。毒島が先程の件を本署に無線で連絡し、再度通報場所へ向かう旨を伝えていた。
そして3人を乗せたパトカーは真夜中の荒れた道を進みだした。
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