第34話 巡察騒動 2

「熊……牛?」


 毒島があまりに想像と掛け離れた犬?の姿に呆然と呟いた。本当にデカイ。デカイ犬という概念が根底から覆られそうなくらいに。

 ユリウスはそっと一歩近づく。毒島が「お前、そういう所度胸あるよな」と囁いた。


 ひとしきり確認して、首輪も鑑札もないのがわかると、ユリウスは毒島を振り返った。


「でもあの顔の形は犬?ですよね……雑種?」

「いやお前の雑種の定義がどういう事だよ」

「これ、普通の大型犬の首輪しか持って来なかったんですけど入らないですよね」

「そこじゃねぇよ。誰が首輪付けんだ。明らかに噛まれたら死ぬだろ落ち着け」


 ユリウスと毒島が役に立ちそうにない首輪を持って混乱していると、犬?がピスピス、と鼻を鳴らしながら起き上がった。


「うわ、起きた」


 誰かの声に野次馬達は蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、犬?の視線を注がれている2人は動けない。他の人間に興味を持たせてしまう恐れがあるからだ。


 犬?はくぁ、と欠伸と伸びをして、眠そうな面でこちらをじっと見ている。毛並みは漆黒というより緑がかっていて、触ればさぞ手触りが良いのだろうと予想されたが、それは人畜無害な場合である。

 毒島が固まりながら焦ったように呟く。


「やばいぞコレ。殉職しちゃうよ」

「縁起でもない事言わないでくださいっ……ひぇ!」


 いつの間にか移動したのか、巨大な黒い鼻面が、ユリウスの顔面に迫った。獣臭い息が鼻をつく。


 すると、ぐわりと大きな口が開き、凶悪な牙が剥き出しになった。


 ひっ!という悲鳴が喉の奥で留まり、ユリウスは今度こそ殉職の二文字が脳裏に浮かんだ。


 べろり。


 生温かい何かが、ユリウスの顔面を撫ぜた。べたべたする。実家で飼っていた犬の臭いがした。


 べろり、べろり。ごろん。


 恐る恐る目を開くと、犬?はひとしきりユリウスの顔面を舐めた後、腹を上にして尻尾を振っていた。


「……ええと」


 隣の毒島は呆気に取られたようにこちらを見ていた。


「い、犬ですねコレは」


 よだれでベタベタになった顔で言うユリウスの言葉は、間の抜けたように響いた。


 ーーーーーー


 犬?は幸いというのだろうか、かなり人懐く大人しいタチのようで、ずっとユリウスにくっついて離れなかった。


「パトカーには入んないよなぁ」


 毒島がしきりにユリウスに顔を寄せる黒犬を見て言った。牛並みの大きさだ。セダン型のパトカーにはどうやっても入らない。


「軽トラならありますよ……斎場のですけど……」


 駐車場の隅の車の影から、男性が恐る恐る言った。

 その言葉に、2人は顔を見合わせた。



「やっと…着いた」


 ユリウスは慣れない軽トラのエンジンを切りながら息をついた。署に帰る途中行き交う車全てがギョッとしたように停まり、みな一様にスマホで写真を撮るので、パトカーで先導する毒島がマイクで何十回と注意をする羽目になった。これがSNSに出回ると思うと憂鬱だ。

 ふと、後ろの窓を見ると黒い毛皮しか見えない。


「おーい。大丈夫かー」


 心配になってトラックを降り、荷台に近づく。犬は暑さの為かぐったり寝そべっていたが、ユリウスを見て目をキラキラさせながら起き上がった。


「じゃ、行くよー」


 パトカーに積んでいたトラロープで作った即席のリードを荷台のフックから外す。

 駐車場の裏手に回ると、先に毒島が待っていた。


「やっぱデカイなぁ」

「喉渇いてるみたいだから、水あげますね」


 トラロープを駐車場に併設された駐輪場の柱に結び、洗車用のホースで水を大きなタライに汲む。

 待ちきれないとばかりに犬がタライに飛び込み、2人は漏れなくずぶ濡れとなった。


「うわっ!」

「やりやがった……はぁ……お前は着替えてこいよ。俺は会計課に報告してから軽トラ返してくる。

「すいません」


 頭からずぶ濡れになったユリウスは毒島の言う通りに、庁舎へ入っていった。


「あらま、ガーランド君、そんなびしょ濡れでどうしたの」

「あっ……署長!」


 裏口を開けた瞬間、署長がひょっこり出て来たのでユリウスは驚きに声を上げてしまった。

 ユリウスは簡単に事情を話すと、署長は興味深々といった風に身を乗り出した。


「え? いるの? その犬」

「はい。裏の駐輪場に……人懐こいですが大きさが……」

「わかった!」


 署長が若干足取り軽く裏口から出て行くのを見ながら、ユリウスは大丈夫かな……と若干不安になっていた。


 犬の噂はたちまち署内に広がり、業務の間をぬって署員達は犬の元へ集まり、写真を撮りまくった。

 現在県外へ出張捜査中のハーフリング族の生活安全課長、足柄(あしがら)警部によれば、犬はケー・シーと呼ばれる魔獣の一種で、ガーランドのごく一部に生息し、妖精族と共存しているとの事であった。

 性格は温厚で、普通の犬とは違い野菜や果物を好むらしい。試しに貰い物のスイカを1玉やってみたらひと口で平らげてしまった。


 ケー・シーはとりあえず拾得物預かりとして数日間警察署にて保管(飼育)する事になった。

「持って来る前に一言連絡してよー!」とオーガ族の会計課長、緒方が頑丈な鎖とロープに取り替えながらぶつぶつ文句を言っていたのに、ユリウスは心の中で謝った。



 その夜の事。


「あっち〜なぁ……飯だメ〜シ〜……あれ、ここにあった俺の冷奴丼は?」


 警らから戻ってきたワーウルフ族の犬飼巡査部長は、冷蔵庫から警らに出る前に入れておいた夕食を取ろうとして首を捻った。


「何で冷奴なん?」


 今日の相勤者である地域課自動車警ら班、原田警部補がカップ麺を手に取りながら言った。


「いや最近太っちゃって……じゃなくて、いやいやいや、俺出る前に冷蔵庫入れたんすよ!」

「妄想だったんじゃない? 全て」

「ひどっ! いやマジで出前頼んで来たの見たんですって! 薬味ネギ抜きで! 原田班長も見たじゃないスか!」

「あ〜確かそんな気も……いいじゃん一緒にカップ麺食べよーぜ! 心配すんな箱で買ってあるから!」


 見事なビール腹を叩きながら原田が言う。彼は四十を超えたばかりだが更に太ったようにも見える。


「原田班長この前の検診でコレステロール引っかかったって言ってたじゃないすか……」

「まぁいいじゃん。お前が一緒に食えばカロリーはお前に移る。カロリーハーフ」

「カロリー暴論じゃないスか……でもおっかしいなぁ……」


 犬飼は差し出された『超激盛り背脂豚骨ラーメン』を渋々手に取りながら、失われた冷奴丼が一体何処に消えたのかと首を傾げていた。

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