第19話 汚れつちまつた妄想に 2
但馬を先頭にして、6人の警察官が大盾と警杖、さすまたを手に裏口へ急ぐ。中からは何も聞こえてはこない。立てこもり犯が喚いたり何かを叩いたりしている様子も無さそうであった。
「静かっすね……」
ユリウスの後ろにいた毒島が呟いた。
「ね。取り敢えず、中の様子確認しないと。どっかから見えないかな」
但馬が辺りを見回す。裏口側の窓はほぼすべてが曇りガラスになっていて、到底中の様子を確認できるようなものではなかった。
「あ、あそこなら見えそうじゃないですか?」
一番後ろにいた刑事課の若い課員が警杖を上へ向ける。明り取り用の小窓であるが、曇りガラスにはなっておらず、中の様子がうかがえそうだ。
「高いな……」
ざっと4メートル近くはあるだろうか。但馬が後ろのユリウスと毒島を振り返った。
「毒島部長、ちょっとユリちゃん肩車してみてよ。この中で一番軽そうなのユリちゃんだし」
刑事課の若手二人は小太りと呼ぶにはいささか控えめな体格であるので無理そうだ。
「こちら但馬班、現在建屋の裏手に回っております……明り取り用の小窓から中の様子確認できそうですどうぞ」
≪了解。状況等確認でき次第連絡願います≫
但馬が現場指揮を執っている黒柳と本署へ無線を入れ、OKサインを出した。
「よし、ユリちゃん、乗って」
「はい。失礼します」
屈んだ毒島の方に跨る。ぐわんと一気に目線が高くなった。毒島の身長はリザード族の平均身長で2メートル弱。しかしユリウスの身長は167cmあるかないかくらいだ。座った状態ではあと頭二つ分ほど足りない。
「どう?」
「微妙に届かないです……」
「じゃあ肩に立って。靴脱がすから」
「すみません……よっと……」
リザード族特有の強靭で分厚い肩に足をのせ、恐る恐る立ち上がる。哀しいかな高さがあとちょっと足りない。平均身長より少し低めの自分の身長を呪った。
「んぎぎ……もうちょっと……ですが」
「よっしゃ、これでどうだ」
限界まで爪先を立てるがあと少し。毒島も同じくつま先立ちをして高さをかせいでくれた。
窓の縁に掴まり、思い切り身体を引き上げる。
「見えた!見えましたっ!……は?……なんで?」
エントランス部分、受付の窓口が良く見えた。不安そうな表情の数人の職員らしき人たちと、待合スペースの長椅子に座った黒いパーカー姿の男。手には何故か西洋式のブロードソードらしきものが握られている。恐らくコイツが立てこもり犯だという確信は、男の様子とその隣に座る人物のせいで、思わず間抜けな声が漏れてしまった。
「え? なになに? どうしたの?」
下にいる毒島がこちらを見上げた。だがユリウスは自分が目にした状況を、どう説明していいものかと戸惑っていた。
「あの……被疑者らしき男が待合スペースの椅子にいるんですけど、なんか、すっごい泣いてます」
「は?」
同じような間の抜けた声が下から聞こえる。
「ウチの母親とそいつがお茶飲みながらなんか話してて……男の方が滅茶苦茶泣いてるみたいなんですが」
「なんて?」
「立てこもってる感じはほぼゼロですね……」
予想外の状況に毒島達も戸惑いを隠せない。
「まあ……ここにいてもしゃあないから中入ってみようか。一応、警戒はしとこう。何があるか分かんないから」
但馬の言葉に、全員が頷いた。
裏口は狭く、一人ずつでしか入れない。大盾も引っかかってしまうくらいで入るのに苦労した。最後に一番大柄な毒島がこれ以上ないほどに体を縮こませて入る。
「境島署の方ですか!?」
裏口から少し離れた柱の陰から、JAの職員と思しき中年の男性が声を潜めながら手を振ってきた。但馬が頷くと、彼はエントランスの方を指差した。
「境島署地域課の但馬です。職員の方ですか?」
「営農課の田口です。始業時間すぐに剣を持った黒いパーカーの男が来て、金を出せと……」
立てこもり犯は、強盗目的であったようだ。すぐに刑事課員の一人が黒柳と連絡を取る。
「今の状況は?」
「倉庫パートのガーランドさんと話しだしてからいきなり泣き始めて……今、あの状況です」
カウンターの陰から、様子をうかがうと、嗚咽に混じって「そうよねえ。皆大変よねえ」というまるで緊張感の欠片も無い声が聞こえた。
「お城なんてね、大層な物じゃないのよ? 築800年くらい経ってるし雨漏りもあってエレベーターも無いし。テレビも無いの。冬なんかとっても寒いのよ~。お部屋で飼っていた金魚が凍って死んじゃうくらいでね。息子がわんわん泣いたのウフフ。今の4.5畳の県営アパートの方がよっぽど住み心地がいいわ~」
「ひぐっ……ぐすっ。そうなんスか……」
「一度も働いた事がないこんなおばちゃんの私でも、水川きよしのライブの為にパートができるようになったわ!あなたまだ若いんだから大丈夫よ!」
バシバシと遠慮なく男の背中を叩くユリウスの母カトリーヌ。内心ヒヤヒヤしながら見守っていたが、男はまた鼻を啜りながら泣き始めた。
「すいません……俺……大学中退してからずっと引きこもってて……王族の人が働いてるってのに……情けないっす」
「あらあら、これでお顔をお拭きになって?」
「ずびばぜん……ううぅ……優しいんすね」
カトリーヌがベージュの作業着の胸ポケットから白いレースのハンカチを取り出す。感極まった男が肩を震わせて泣き始めた。
ユリウスが但馬を振り返る。但馬が頷き、毒島と一緒に男を刺激しないように立ち上がった。勇気を振り絞ってユリウスは声を上げた。
「あの~……境島警察署ですが……」
立てこもり現場におよそ似つかわしくない掛け声であるが、男を刺激しないという事には成功した。
「あら!ユリウスちゃん!」
カトリーヌがユリウスに気づき、満面の笑みを浮かべ、隣に座る男を見た。
「この子がさっき言った息子のユリウスよ。今ねぇ、警察官やってるの。あんなに泣き虫さんだったのにねぇ~」
「ちょ、母さん。やめて……」
これ以上過去の黒歴史を暴露されてなるものかとユリウスは母の暴走を止めようとするが、カトリーヌのお喋りは止まらない。
「この間はね、初めてのお給料で水川きよしのライブDVDを買ってくれたの!嬉しかったわぁ!」
「ひええ、母さんってば!もうやめてよ!」
暢気に笑う母とそれを慌てて止める息子の姿を見て、男は俯いた。
「母親か……もう何年も口きいてないや……」
男が立ち上がり、若干の緊張が但馬達を襲ったが、それは杞憂に終わった。彼は深々と頭を下げると、真っ赤に泣き腫らした眼を向けて「すみませんでした。自首します」と小さな声で言った。
「ユリちゃん、手錠」
但馬の言葉にハッと我に返ったユリウスは、両手を差し出す男に手錠をかけた。
生まれて初めて他人にかけた手錠は、酷く重く、冷たく感じた。
「○○時〇〇分。現行犯逮捕(げんたい)ね。表はブンヤ集まってるって言うから、裏から出ようか」
男は大人しく頷いた。暫く陽の光を浴びていないであろう青白く痩せた頬だった。彼は一度だけカトリーヌを振り返ると、もう一度だけ深く頭を下げ、但馬達に連れられて行った。
その後、男の身柄は境島署にて留置された。押収された剣はアルミホイルと段ボールを使ったハリボテであった。
男は○○県在住の自称フリーターで、大学中退後、引きこもりと短期のバイトを繰り返しており、日々の生活態度を母親に咎められ、衝動的に犯行を行ったとの事であった。
取調べ中に彼はこう証言している。
「小説の中でしか知らない異世界に行ってみたかった。そこで暮らすお金が欲しかった。でも、王族の人があんな風に働いていてこんな事をしている自分が情けなくなった」
男は全面的に犯罪事実を認めており、境島署は男を強盗罪および監禁、強要の罪で再逮捕を予定している。
「世知辛い話だよなぁ」
仮眠用の休憩室でビリヤニを頬張りながら、毒島が向かいに座るユリウスに言った。
「そうですね」
スパイシーなビリヤニの香りが休憩室に充満する。初めて食べる異国の料理は予想以上に美味しかった。
署に帰ったのは13時過ぎだった。それぞれが空腹を満たそうと、疲れた体を引きずりながら買い置きのカップ麺に手をかけた時、巨大な寸胴鍋を持ったオークが「ニュース見たヨ! お疲れサマネ! 今日はサービスデーするからみんなお皿もてきてよ!」と片言の日本語で警察署のロビーに現れた。
空腹と疲れ切った警察官達には彼が救世主に見えた事であろう。続々と来る腹を減らした署員たちにBooBooカレーの店主は、瞬く間に50食以上のビリヤニを振舞ったのであった。
「ビリヤニ、旨いだろ?」
「すごい美味いです」
スプーンを無心で動かす。カルダモンやクミンのスパイシーな香りと味が口いっぱいに広がり、疲れた体に染み渡る。
「……次の帰省の時はおふくろに何か買って帰ろうかな」
独り言のように呟かれた毒島の言葉に、ユリウスは頷いた。
「いいですね。僕もそうしよう」
脳裏に、疎遠になって久しい兄の顔を思い浮かべていた。
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