第18話 汚れつちまつた妄想に 1

「ビリヤニの日?」


 始業時刻15分前、ロッカールームで耐刃防護衣を着込んでいると、コルクボードに貼られたいかにも手作り感満載なチラシを見つけて、思わずユリウスは首を傾げた。


 チラシには「毎月17日はビリヤニの日!おいしわよ!ぜひ食べて!」とたどたどしい文字に、満面の笑み?を浮かべたコック姿のオークが寸胴鍋を手にしている写真がカラフルな象のイラストで飾られている。


「ああ、今日だっけな。BooBooカレーって店知ってるだろ?月一でビリヤニって料理を直接売りに来るんだよ。キッチンワゴンとでっけー鍋持ってさ」


 隣で帯革に手錠を着けていたリザード族の毒島巡査部長が笑いながら言った。ビリヤニとはインド、ネパールなどの周辺国ではポピュラーなスパイスと羊肉の炊き込みご飯のようなもので、作るのにかなり手間暇がかかる。

 数十種類のスパイスの奥深さとほろりと口の中でとろけるマトン肉、野菜と肉の旨味を十分に吸ったバスマティライスのハーモニーに、一度食べればハマる人は物凄くハマる中毒性の高い料理である。


 BooBooカレーは気の好いオーク族の男性が経営するカレー店で、境島署にも度々出前に来てくれるし、安くて本格的なカレーが食べられるので署員からも人気のお店である。

 因みにそこのバターチキンカレーとココナッツナンの組み合わせがユリウスのお気に入りであった。

 店主は本格的にカレーを学びにインドとネパールに滞在したという筋金入りである。オーク族は食に強いこだわりがあるらしく、オーク族出身の料理人は意外にも多い。


「へぇ、美味しそうですね」

「俺5回は食ってるけどめっっちゃ美味い。だけど数量限定20食だからすーぐなくなっちまうんだよな。一回食ってみ?マジで美味いから」


 そんな事を言われれば食べたくなるのが人の性である。警察官は職務の傍ら管内を把握すると同時に、美味しい店も開拓するのが上手いのだ。


「え~……そんな事言われたら絶対食べたいじゃないですか」

「こればっかりは階級なんか関係ねーからな。飯時になったら速攻で裏の駐車場に並ぶしかねえよ」


 ここ最近仕事が忙しく、食事しか楽しみがないユリウスは、絶対にビリヤニなるものを食べたいと決意した。



 朝の地域会議と配置が終わり、先日の事案の報告書を作っていると、いつもと違う警報音が事務室に鳴り響いた。

 その場にいた全員が嫌な予感がするとばかりに仕事の手を止めて無線に聞き入る。


≪至急至急。I県本部から境島≫


 聞きたくもない無線が本部から入り、地域課のデスクにいた警部補が応答する。しかも≪至急≫の無線だ。

 一気に場が緊張に包まれる。


≪JA境島支店にて男が刃物のようなものを振りかざし、立てこもっているとの申報。現在、数名の職員が中におり外に出られない、との事。申報者はJAの職員で○○なる女性。大至急臨場願いますどうぞ≫


「JA、って隣の?マジかよ」

「うわ……帰れないわ詰んだ……」


 それを聞いて、丁度、当務明けで帰ろうとしていた犬飼ら数名の警官が白目をむいて肩を落とした。24時間勤務した後のロスタイム12時間と言ったところであろうか。

 署内がにわかに騒然となる。青い作業服に耐刃防護衣を着た刑事生安課員達がどかどかと2階から降りてきて、外へ飛び出していく。副署長が各課長へ指令する声が響いている。


「大盾と警杖持って行ってください!受傷事故には十分気をつけるように!」

「但馬班長、毒島部長とガーランド巡査と臨場してください。刑事課長が既に行ってます」

「了解、毒島部長、ユリちゃん行くべ」


 地域課長の杉本や地域デスクの指令担当の警部補が地域課員達に声を張り上げる。いつもより緊張をはらんだ声音に、事務室内に緊迫した空気が流れる。


 一方で、ユリウスは内心穏やかでいられなかった。


「母さん……!」


 母親のカトリーヌは隣のJAの倉庫でパートをしている。

 ユリウスは大盾と警杖を手にすると、他の署員たちと共に現場へ急行した。


 JAは警察署から歩いて3分ほどだ。続々と機動捜査隊や自動車警ら隊(本部自ら隊)の車両が到着し始めていた。


「どんな状況ですか?」


 現場に到着するや否や、既に到着していた刑事課長の黒柳に但馬が聞いた。白いワイシャツを腕まくりしていた黒柳が鋭い視線をJAの出入り口に向ける。


「入口の構造上、こっからは死角になってんな。さっき唯一中が見える窓のブラインドが下がった。後は裏口から行くしかねぇ」


 2階建ての建屋のエントランス部分は風除室のある2重自動ドアの構造になっており、二枚目の自動ドアの前には目隠し兼掲示物用のパーテーションが置かれていて、中に入らねば様子をうかがうことが出来ない。


「行かせてください」

「おい、ガーランド……」


 思わず進み出たユリウスを毒島が止めようとしたが、黒柳は無言でユリウスを見つめた。まるで思考全てを見透かされている様な、そんな気にさせる百戦錬磨の刑事の眼だ。思わず怯みそうになるが拳を握りしめて睨み返した。すると黒柳の表情がふ、と緩んだ。


「確か、ユリちゃんのお母さんがいるんだよね」

「……そうです」

「但馬班長、毒島とユリちゃん……あと捜査から3人つけるから裏口から様子見れるかお願い。俺らも正面から入ってみるからタイミング合わせて挟み撃ちしよう」

「判りました。毒島部長、盾持ちでユリちゃんはね」

「了解」


 さすまたを持つ手が震えそうになるのを握りしめて誤魔化す。緊張で口の中が異常に乾き、生唾さえも絡みつく。


「よし。行こうか」


 但馬を筆頭に5人が続く。ユリウスは人生で初めて、立てこもり現場へ踏み入ろうとしていた。

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