第17話 家宅捜索令状はございますか? 3

店舗を出ると、先程の甘ったるく淀んだ空気が嘘のようだ。相変わらず湿気った熱気が体の周りを纏わりついているが、あの場所よりはマシだった。


「……落ち着いた?」


 細身だが、鍛え上げられた白いブラウスの背中に声をかけると、微かに頷いたように見えた。


「あの……さっき」

「幼馴染なの」


 ユリウスの言葉をかき消すように、エルミラの声が響く。その声音は微かに震えているようだった。


「私より先に故郷を出てね。煌びやかな外界への夢に憧れて、周囲の反対を押し切って華やかな世界へ出て行った。何回か便りは来たけれど、いつからか無くなった。私は自分の事で精一杯で、気にすることも無くなってた」


 エルミラの独白に、ユリウスは何も言えなかった。


「何処に行くにもいつも一緒だった。本当に、姉妹のような存在。離れてからも、こっちで夢をかなえて幸せに暮らしているんだと思っていた、いいえ、そう信じていた」


 項垂れるエルミラの肩が震える。


「彼女の、夢って……」

「あの子、レティシアはモデルになりたいっていつも言ってた。ファッション雑誌を読みながら、いつかモデルになって海外へ行きたいって話してたな」


 懐かしそうに話す彼女を見ることが出来ず、ユリウスは空を見上げた。ぼんやりとした月が、星も見えない熱帯夜の空に浮かんでいる。


「あの子のパスポートを見たわ。ビザも切れて、所持金も1000円も無かった」


 オーバーステイの外国人達は、元々は故郷へ仕送りの為であったり、夢を追って来たという者が多い。だが、見知らぬ土地で右も左も分からない彼らを甘い言葉で誘い、近づいてくる輩は後を絶たない。その一つに、不法就労を斡旋するブローカーの存在がある。


「レティシアは都内でモデル事務所に入ったと家族から聞いたわ。その後ホストクラブの男に入れあげて、事務所をクビになって、ブローカーを頼った」


 そして、もぐりの風俗店を転々としながらここまで来た。


「全てはあの子の軽率さが招いた自業自得。解ってる。でも」


 ぎり、とエルミラが歯を噛み締め、燃え上がる様な怒りを必死で抑えるように呟いた。


「あの子をあんな風に貶めた奴らを絶対許さない」


 ――私は警察官だから、あの子の罪は看過することはできない。だけど、その背後で彼女たちを搾取する奴らを絶対に許さない。


 真っ直ぐに目の前の闇を睨み付けながら呟くエルミラは、まるで猟犬のようだとユリウスは思った。



「はーい、じゃ皆乗って~。えーと、ゲット インザ カ―」


 有川や捜査員達の誘導で、従業員達がぞろぞろと大型ワゴンに乗り込んでゆく。予想以上に人種も種族もバラバラだ。エルフにハーフリング、獣人族まで。泣き崩れる者、興奮して何かを叫ぶ者と反応も様々だ。ユリウスは仕事とはいえ、あまりいい気分ではなかった。

 そして、今まで大人しかったレティシアが車に乗る直前、ユリウスの方を見た。いや、隣のエルミラを睨み付けたのだ。


「絶対に、許さないから」


 日本語で吐き捨てられたその言葉は到底かつての幼馴染に向けるものではなく、刃を振りかざすかのような憎しみに満ちていた。

 一方エルミラはその言葉に何かを言う事も無く、ちらりとレティシアに視線を移した後「全員乗車完了しました」とだけ言って、ワゴンのドアを閉めたのだった。


 一通りの家宅捜索を終えた捜査員たちは、早急に次の段階に移らねばならなかった。

 不法滞在で就労していた従業員たちの身柄を確保し、身柄を留置しなければならない。

 従業員たちの殆どが特別区や外国籍のオーバーステイ、不法滞在者であった。最初に対応した東南アジア系の女性も同じく不法滞在者で店長として雇われていたが、オーナー、つまり店舗の経営者ではなかった。

 入管法違反で逮捕された彼等の身柄は一度警察署の留置場へ拘留される。その後、警察から検察へ送検され、入管へ移送される。

 大概は、強制送還という措置がなされるのが一般的だ。


 女子を拘留する留置施設がある警察署は限られる。小さい警察署はそれがない事が多い。境島のような小さい署が沢山の女性の身柄を持った場合、女子房がある署複数へ委託依頼をしなければならないのだ。それが夜間の場合、地獄のようにやることが多い。山のように書類を作り、恐ろしく大量の決裁が必要となる。


「留置場へ入れるのが、こんなに大変だとは思わなかった……」


 本署の裏口の自販機で飲み物を買った時、既に太陽は真上から西に傾いていた。朝飯兼昼飯兼おやつのコンビニおにぎりを齧りながら、ユリウスは独りごちた。それを聞いて、すぐそばの喫煙所で煙草をふかしていた有川と権田原が肩を揺らして笑った。


「今回は身柄多かったからね~。おつかれちゃん~」

「お前は写真撮るのガ上手いかラ、鑑識に向いてるかもナ」


 タバコを燻らせながらけらけらと笑う二人を見て、殆ど寝てすらいないのに何でそんな元気なんですか?と思わず口に出そうになり慌てて止める。

現場の写真撮影は想像以上に難しかった。照明が暗いのでフラッシュを焚いてもピンボケしてしまったり、手ブレで読めなかったりと言ったものがいくつかあった。権田原にカメラはセンスだからな。と慰めにもならない慰めを貰ってちょっと落ち込んだ。

 エルミラの幼馴染、レティシアは境島署ではなく隣管内の署に留置された。移送中、ずっとレティシアは情緒不安定で涙を流しながら、エルミラにエルフ語で何事かを喚いていたが、エルミラは終ぞ表情を変えることなく、彼女が留置されるのを見届けた。近いうちに強制送還になるだろう、とだけユリウスに言っただけで、彼女については何も言わなかった。


「ラヴィネは、捜査か生安に向いてるな。アイツはほんとにタフな奴だよ。私情に流されない、書類も完璧だった」


 有川が煙を吐き出しながらそう言った。そうかもしれない。彼女は職務を全うするのに常に全力で、冷静だ。少なくとも自分よりは警察官への適性があると認めざるを得ない。


「だけど、同期の誰より偉くなるのはお前だろうな。ガーランド」

「え?!」


 有川の予想外の言葉に、ユリウスは素っ頓狂な声を上げてしまい、気まずそうに俯いた。


「目端が利くって事だよ。上に行くにゃあ大事なことだ。猪みたいに血の気の多い奴らを束ねるのは、荒々しさだけじゃダメなのさ。だからもっともーっと現場で経験積んで、偉くなってくれよ? 王子様?」

「ガーランドが署長になったラ俺達ガ逆に苛められるだろうナ」

「そりゃあそうだ! 今のうちにゴマ擦っておかなきゃな!」


 また笑い始める二人を見て、ユリウスは困ったように眉毛を下げた。



 その後、数か月にわたり、本部の生活安全課と有川以下数名の捜査員が店舗オーナーの足取りを辿り、関東から遠く離れた東海地方の県にて、その身柄を確保した。


 斡旋ブローカーとの背後関係の洗い出し、及び事実関係が確認でき次第、送検される予定である。

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