第16話 家宅捜索令状はございますか? 2

≪入りました。○○(常連の名前)です≫


 蒸し暑く、闇だけが支配する車内に生安課員の無線が響いた。しきりに汗を拭いていた有川(ありかわ)警部補が腕時計を確認した。


「よし、入ったばっかだな。10分後にガサかけっぺ」

≪了解。待機します≫


 いよいよだ。ユリウスはすっかり温くなったペットボトルの水を一気に飲み干した。


「ガーランド君、大丈夫、あんま緊張しなくていいよ。リラ~ックス」


 有川がおどけるように身体を揺らしながら言った。小太りで四十半ばの彼は、生安課内でもムードメーカー的な存在。一見すると地味なサラリーマンのようにも見えるが、組織犯罪対策課(ソタイ)出身、柔道4段のバリバリの猛者で、組対時代、指定広域暴力団幹部宅への家宅捜索を行った際、立ちはだかるヤクザ達を押し退け、真っ先に先陣を切ったという逸話がある。


「あ……はい!」

「カメラ、電池入ってるよね?」


 今回、ユリウスは記録担当である。とは言っても捜査員から指定された場所の写真を撮るだけなのだが。

 デジタルカメラのスイッチを入れる。ディスプレイが点灯し動作し始めた。


「大丈夫です。予備も持ってきました」

「さァすが! 今年の新人は違うね~」


 念の為に予備の電池を持ってきて正解だったな、とユリウスは心の中でホッとしたのも束の間、有川の腕時計のタイマーが鳴った。


「よし、行きますか。総員降車、まずは2班と3班、裏口とキャッチ押さえて。逃走させんなよ」


 有川の号令で一斉に車両から降りた捜査員たちは、闇の中へ駆け出していった。


≪2班、キャッチ押さえました≫

≪3班、裏口配置完了です≫


 捜査員から続々と入る一報に、有川は素早く正確に対応し指示してゆく。


「了解、じゃ、入りますか。我々1班と4班、5班は正面から行くよ」

「了解です」


 しばらく歩くと、駐車場所からは見えなかった家宅捜索先が見えてきた。2階建てのテナント1階の一番奥が、件のメンズエステ店Kであった。見た目にはいかがわしいサービスを提供する場所には見えない。看板も巧妙にカモフラージュされているようであった。


「ここが……そうなんだ」

「今はこういうエステ店って名乗って開く手が多いの。風営法の規制対象外、禁止区域でも開ける。宣伝はSNSで事足りるし、海外からの不法就労者の温床の可能性も高い」


 ユリウスの独り言に、隣のエルミラが丁寧に説明してくれた。組対志望だと聞いていたが、生安関係の知識も豊富なようだ。

 一般的に、ファッションヘルスやソープなどの営業には性風俗特殊営業許可が必要になる。なお、これらの営業許可には開業する地域などに制限があり、風俗営業許可の中では最も規制が厳しい。

 その網をかいくぐる為に、一般的な店舗を装い営業する店も少なくはない。これが都心部などであったらなおさらである。


「じゃあ、行こうか。俺がまず行くから。両脇について。インターホンのカメラに映らんようにね」


 店舗の入り口で、有川はショルダーバッグからクリアファイルに入った書類を取り出す。家宅捜索令状、通称ガサ状だ。それが裁判所から発付されて初めてガサが行われる。

 全員が配置に着き、有川がインターホンを二回押した。


『ハイ』

「すいません。ちょっとよろしいですか」


 扉を開けるまで絶対に名乗らない。鍵をかけられるのを防ぐためだ。

 かちゃり、と扉がゆっくりと開いた。


「なんでスカ」


 40代位の小柄な女性が対応に出てきた。拙い日本語と、顔立ちから察するに東南アジア系だろうか。

 すかさず有川が半身をドアの隙間に滑り込ませ、後ろからは彼の部下がドアをがっちりと抑える。


「警察署。境島警察署です。日本語わかる? 私達、ポリス。今日はお宅に家宅捜索令状が出てます」


 女は狼狽えたように早口で何かを言った。日本語ではない。


「オーナーは居る?それとも貴方がオーナー?」

「ワタシちがう。今いない」


 女の言葉に有川の眼が光った。


「日本語分かるじゃん。今日は、こちらの店舗K(仮名)が違法なサービスをお客さんにしているという事で、裁判所から家宅捜索の令状が来てます。ね? なのでこれから私達はこちらの店舗を家宅捜索します」


 戸惑う女を余所に、有川はガサ状を読み上げる。ユリウスは後ろで緊張しながらそれを聞いていた。


「はい、じゃあ、22時53分着手!」

「ユリウス、本署に着手時間連絡しろ」

「了解!」


 時間を告げた瞬間、雪崩れ込むように捜査員たちが店舗内に入り始める。ユリウスは生安課員に言われた通りに本署へ電話し、現時刻に家宅捜索を開始したと連絡した。


 店舗内は薄暗く、近づかねばお互いの表情すら確認できない位だ。入り口には受付、その後ろにはパーテーションとカーテンで仕切られた簡易個室が並び、個室番号が付けられていた。香水のような、お香を焚き染めたような甘ったるい香りが充満していて、頭がくらくらした。


 ユリウス自身、こういう場所に入るのは生まれて初めてである。緊張と狼狽で何をすればいいのかと立ち尽くしていたが、有川警部補以下先輩捜査員達の指示に慌てて動き始めた。


「ガーランド、チョット待て」


 受付や入り口の写真を撮り終え、簡易個室の方へ移動しようとすると、特徴的な低い声がユリウスを呼び止めた。白目のない暗褐色の鋭い目と、下あごから突き出る鋭い牙は暗い所で見るといつもぎょっとしてしまう。


「権田原さん、どうしました?」


 生活安全課員の権田原(ごんだわら)巡査長である。彼はホブゴブリンとゴブリンのハーフで、いかにもゴブリン族と言ったずんぐりとした逞しい見た目とは裏腹に、ゴブリン語、リザード語、タガログ語、タイ語を操るマルチリンガルである。

 英語すらままならないユリウスは、以前彼にどうすればそんな風に言語を操れるのか聞いた事があるが「ゴブリン語は東南アジア圏の語感に似ている」との事らしい。

 彼は黒いTシャツの上に羽織った砂色のナイロンベストからライトを取り出し、受付の中で何かを探している。


「何を探しているんですか?」

「裏メニュー」

「裏メニュー?」

「大体こういう店には裏メニューがアル。ホンバンやF、スマタ一本幾らって具合にな。口頭のみの場合もあるが、料金表があれば万々歳ダ」


 二人は受付のチェストや棚を漁る。奥からは捜査員たちの鋭い声と、予想外の事態に客や従業員らしき女性たちの戸惑うような声や嗚咽が響いていた。

 その声を何とも言えない気分で聞きながら、受付に置いてあるラップトップを持ち上げた時、小さなメモ用紙が見えた。

 ボールペンで書かれた汚い字は辛うじて【1H ¥9000】と読める。


「あ、これですか?」

「ドレドレ……【オイル】……【尺】……これダナ。よし、写真撮レ」

「了解です」


 権田原の指示通りにメモ用紙を写真に収める。置いてあった場所が分かるように少し遠目からと、字が読めるくらいに近づいて撮影した。これは調書や捜査報告書を作成するときに必要となるのだ。

 一通り写真を撮り終えた時、簡易個室の方から「ゴンちゃーん! ちょっと来て! 2番個室!」と捜査官の声が聞こえた。


「了解!……行くゾ」

「は、はい」


 二人は有川の元へ急いだ。2番個室のカーテンを開けると、白いガウンを着たエルフ族の女性とエルミラが、表情から察するに何やら言い合いをしているようであった。エルフ語は独特な発音で、ユリウスには森の木々がさざめく様な音にしか聞こえない。

 困惑したように二人を囲んでいた捜査員の一人が権田原に声をかけた。


「さっきからずっとこんな調子でさ、ゴンちゃん、何言ってるか分かる?」

「エルフ語は……少ししか分からんガ……単語の断片から察するに、あの女とラヴィネは同郷のようだナ」

「えっ!?」


 思わずユリウスは声を上げていた。だが二人の舌戦は止まらない。

 その時。


「は~い、落ち着いて」


 ぱん、と乾いた音がした。言い合っていた二人は柏手を打った有川を思わず見つめた。


「天川さん、ゴンちゃんと一緒に彼女お願い。ラヴィネ。ちょっと頭冷やしてこい」


 天川と呼ばれた女性捜査官がガウン姿の女性を宥めながら移動させる。

 エルミラは唇をかみしめた後「……はい」と呟くように返事をすると、足早にその場を後にした。

 戸惑いを隠せないユリウスは、彼女の背と有川を交互に見つめる。


「ガーランド君、ちょっと彼女頼むよ」


 気づけば、有川の言葉に返事をする前に彼女の後を追っていた。







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