第20話 警談百景 1

 それはいつもの、彼等にとってはあまりうれしくはない現場であった。


「あー……これは」


 ワーウルフの犬飼巡査部長は、通報現場である車両を見て溜息をついた。人間の数千倍の嗅覚を持つワーウルフの鼻は、それがあまり歓迎されない事態になっていると分かっていた。


 年季の入った紺色の軽自動車。それだけならば問題ないのだが、窓ガラスにべったりと目張りされた夥しい数のガムテープと、マフラーから伸びるゴムチューブがそれが異常な事を物語っていた。

 ムッとする湿気が犬飼の体毛に纏わりつく。周りを見れば、鬱蒼と茂る木々、雑草。バイクも通ることすら難しいぬかるみ。


「こいつ、どうやってここに来たんだよ」


 ここまで車で来るのは至難の業だ。周りには急傾斜の獣道のような山道と、もう少し上がれば神社があるがそこまで上がるには徒歩でかなりの石段を上がる必要がある。この様子を見れば参拝に来たとは思えないのだが。


「よっこいしょ……うぇえ」


 力づくでドアを開けると、ばきりと鍵が壊れ、ばりばりとガムテープが剥がれる音と共にドアが開いた。ワーウルフの腕力はリザード族には及ばないが、人をはるかに凌ぐ。

 途端に羽虫の大群が外の世界を求めてわんわんと飛び出してきた。犬飼は煩わしそうに手を振り、中を覗き込んだ。


「あーあ。やっぱりな」


 独特の腐敗臭と何かが焦げる匂いが鼻をつく。鋭敏すぎる嗅覚は既に麻痺したも同然だった。

 運転席に横たわる人だったものを見つめて、犬飼はため息を吐きながら、本署へ連絡を入れる為に無線を手に取った。


※※※※※※


「ガーランド君、ちょっとよろしいですか」

「あ、はい」


 コピー機の順番待ちをしていると、地域課長の杉本に声をかけられた。いつもの事であるが、細い銀縁のメガネから覗く眼光は、どこか腹の底まで見透かされそうな気がして、何故か無駄に緊張する。38歳で警部試験を合格した若きホープ。一般的に40歳前に警部になる警察官はほんの一握りである。それくらいに優秀であるという事だ。


「ちょっとお願いがあるんです」

「はぁ」


 そのまま作業していてかまいませんよ、と言われたがそういうわけにもいかず、地域課長のデスクへ向かう。


「つい先ほど加入(一般回線の通報)で入ったのですが、大汐(オオシオ)の管内で不審者の申報がありまして。小学校にも近いという事なので向かって欲しいんです」

「成程。分かりました」

「犬飼部長は今変死に行っていて手が離せないので、申し訳ありませんが、よろしくお願いします」


 犬飼は山中で不審な車があるとの申報に出向き、その中に変死体を見つけたという事で地域、刑事ともどもにわかに騒然としていた。


「変死、ですか」

「練炭があったので自殺でしょう……所在地のバイクなら空いてますのでガーランド君、お願いしますね」

「了解です」


 配属されて4カ月。ついに一人で現場へ赴くときが来たのだ。バイクの鍵を受け取り、ユリウスは緊張を胸に通報があった現場へ向かった。



「ええと、ここかな」


 舗装された県道から砂利道の農道に入る。ウインカーを点け、右の空き地に停めた。大汐の管内の殆どは田畑と山、広い敷地の農家が点々とあり、住宅地といえるような集落でさえ10軒程度の家が集まっているようなものだ。


「不審者か……特別区からの不法入国者ってこともあるかも」


 以前犬飼が逮捕した窃盗団は特別区の者達であった。現在彼等はパスポートの偽造も発覚しており、拘置所へ移送されていた。


「うーん、話を聞こうにも誰もいないぞ」


 周りを見てものどかな田園風景が広がるばかりで誰もいない。しかも今日は土曜日で学校は休みである。


「誰かいないかなー……あ」


 直ぐ近くの用水路の方へ向かうと、子供用の自転車が停まっているのが見えた。用水路の端には、それぞれ赤青黄色のシャツを着た小学生くらいの三人の子供たちがザリガニ釣りに興じている。


「こんにちわ。ザリガニ釣れる?」

「こんちわー!あれ?今日は駐在さんじゃないんだ」


 赤いTシャツを着た少年が釣ったザリガニをバケツに入れながらユリウスを見た。彼は以前、特別区からの不法入国者に誘拐された子供、稲葉カナタ。犬飼に助け出されて以来、彼らは犬飼の事を非常に尊敬しているようであった。


「うん。犬飼巡査部長はちょっと別のお仕事で僕が来たんだ。初めまして。地域課のガーランド巡査です」

「あ!知ってる!王子様だろ!!駐在さんから聞いてる!」

「え!?」


 青と黄色のシャツの少年たちがユリウスをきらきらとした目で見上げた。犬飼は子供達に自分の事を何て言っていたのだろう……とユリウスはぎこちない笑みを浮かべながら、子供達の話を聞くことにした。


「金髪だし確かに王子サマっぽいよ!」

「うう……ん、まあ元だけどね。あ、そうだ、この辺で不審者、変な人が出たって聞いたことある?」

「変な人かー。あ!」


 手製の釣り竿をもう一度水面に向けながら、カナタが何かを思い出したように言った。


「ハチマンさまの話、聞いた?」

「ハチマンさま? 駐在所の近くの八幡神社の事?」

「そうだよ。夕方に行くと、歌が聞こえるんだって」

「3組の中野が言ってた! 真っ黒い影が歩いてたって!」

「俺も聞いた!」


 子供たちが興奮気味に頷く。どうやら思っていた不審者の姿とは180度違っていたのでユリウスは心なしかがっかりした。


「そっかあ。先生や大人の人から何か聞いてたりする?」

「あ、信じてねーな! お巡りさん!」

「俺らが子供だからって!」

「サイテーだな! これだから大人は!」

「あ、いやそんな事はないってば」


 口々にブーブーと文句を言い始める少年たちにたじたじとなるユリウス。まだ新人のユリウスは犬飼ほどこのやんちゃ盛りの子供たちの相手に慣れてはいない。


「わかった!  わかったってば! お巡りさんが見てくるから!」

「ホント!? 絶対だからな! 約束だぞ!」

「わかった。約束するよ」


 まだ疑っているらしいカナタに苦笑しながら、ユリウスは頷いた。



 あまり収穫はなかったなと思いながらバイクに跨り、ヘルメットを被ろうとした時、後ろから「お巡りさん」という声が聞こえた。

 振り返れば、白いサマーワンピースに、水色のサンダルを履いた少女がこちらを見上げている。年ごろから、カナタ達より少し年上だろうか。


「どうしたの?」

「あそこに行くの?」


 鈴の音のような可愛らしい声が少女の唇から零れ出た。咄嗟に彼女の言葉が何を示しているのか分からず、首を傾げる。


「ハチマンさまの事?」


 少女が頷く。爽やかな風が、長い黒髪とワンピースの裾をふわりと撫ぜた。


「そこで髪飾りをなくしちゃったの」


 悲しそうに俯く少女に、思わずユリウスは声をかけた。


「じゃあ、お巡りさんが探してきてあげるよ。確実に見つけるっていうのは約束できないけど、それでもいいかな?」

「うん。ありがとう」

「あ、お名前教えてくれるかな?」

「スミレだよ。お願いね。お巡りさん!」

「いい名前だね。この辺に住んでるの?……あ! ちょっと!」


 スミレと名乗った少女は、ユリウスの問いに答える間もなく走り去ってしまった。


「何だったんだ……まぁ、いいか」


 狐につままれたような顔で少女が走り去った方を見つめていたが、気を取り直してエンジンをかける。

 真上から若干傾いた日差しが、雑草の伸びた地面に濃い影を作る。


(そういえば、この辺って人家あったっけ?)


 ユリウスは先程の少女の事を考えながらバイクのアクセルを開けた。




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