第12話 落とし物は何ですか? 2
「と、言うわけで、その防空壕跡地へ行きたいと思います」
「え!」
昼休みの会計課事務室。さっきまでスマートフォンを弄っていた江田島の爆弾発言に、鉢植えの水やりをしていた緒方が思わず水を溢した。オーガ族の彼には丁度いいサイズのじょうろが無く、傍から見ればミニチュアで慎重に水をやっているとしか見えない。
「あ! しまった!……じゃなくて、江田島さんホントに? ホントに行くの? あそこ、結構有名な心霊スポットだって聞いたよ?」
「あのタリスマンの作成者は、かなり実力の高い術者だと推察されます。なので防空壕跡地になにかあるのではないかと。もしまかり間違ってあのようなアイテムを署員が手にしてしまったら大変ですから」
「何でそんなに好奇心旺盛なの……あんな呪いのアイテム落ちてた所に一人で行くとかとんだチャレンジャーじゃない……」
零れた水をぞうきんで拭きながら緒方が、お構いなしに出掛ける用意をしている江田島を見た。彼女は無表情で懐中電灯と軍手、その他諸々を安全協会から貰ったどぎつい色のエコバッグに突っ込んでいる。
「ご心配なく。誰か暇そうな方を一人連れて行きます。課長でもいいですが」
「えー。ちょっと私ホラ、会計課1人しかいなくなっちゃうじゃない?ねえ?」
その時、会計課のドアを控えめに叩く音が響いた。恐る恐る入ってきたのは、幸か不幸か、消耗品を貰いに来た新人巡査のユリウスであった。
「失礼します……あの、ガムテープを頂きたいんですが……」
「いました。彼を連れて行きます」
「え!?」
「ああいいね! 地域課長には私から言っておくから! ユリウス君、江田島さんとちょっとさ、行ってほしい所があるんだ」
全く事情が呑み込めないユリウスが、目を白黒させながら「え!? え!?」と困惑の声を上げる。だがオカルト大嫌いの緒方はどうしてもユリウスに役目を押し付けたい気満々だった。
江田島は小さくため息を吐くと、ユリウスに向き直った。
「じゃあ、申し訳ありませんが、少しの時間お付き合いいただけますか」
「え! あ、はい! 分かりました!」
「では、課長。行ってまいります」
「行ってらっしゃーい!気をつけてね!」
※※※※※※
無責任な緒方の声に押され、何が何だか分からないまま江田島に同行することになってしまったユリウスは、公用車のハンドルを握る江田島を恐る恐る見上げた。白金のショートボブに翡翠色の瞳、彫像のように整った顔立ちだが、感情の一片すら感じさせないその表情はより一層怜悧さが増していて、話しかけるにはかなり勇気が必要だった。
「あの、江田島主任、どこへ……」
「○○地内の防空壕跡地です」
「何を……するんですか?」
「ああ、貴方に言っておかなければなりませんね。強い呪いがかけられたアイテムがあの場所で拾得されたので、ちょっと気になりまして」
「え!呪い!?」
「大きな声を出さないでください。気が散ります」
素っ頓狂な声を上げるユリウスに、江田島はぴしゃりと言った。
「あ、すいません。でも、そしたら僕はあまりお役に立てないんじゃ……」
呪いや魔術の類ははっきりいって唯の人間であるユリウスには専門外である。
「いてくれるだけでいいです。万が一何かあった時、制服の力は大きいですからね」
「あ、なるほど」
江田島のような警察職員は制服が支給されない。傍目からは一般人としか見えないのである。
「さて、着きましたよ。此処に停めましょう」
車を降りると、【立ち入り禁止】と書かれた錆びついた看板と、ボロボロになったトラロープが入り口に張られていて、異様な空気を醸し出している。まさに、心霊スポットという雰囲気であった。
「じゃ、行きますよ」
「ちょ、待ってくださいよ!」
軍手を嵌めて懐中電灯を点けた江田島がロープを跨いでさっさと中へ入ってゆく。ユリウスは慌てて彼女の後を追った。
「暗いですね……」
「防空壕跡ですからね。かつてこの国で戦争があった時に一時避難用に造られた場所です」
「うう、防空壕ってそういう事だったんだ……」
ひやりとした湿った空気と今にも何かが這い出てきそうな暗闇だが、江田島は平然とずんずん進んでいく。ユリウスは彼女の後ろをおっかなびっくり歩く事しかできない。
「待ってくださいよ~。江田島主任……」
泣き出しそうな声でユリウスが言うと、彼女はぴたりとその場で進むのを止め、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
「何か聞こえませんか」
「え!」
「静かに」
いよいよ怖くなったユリウスが江田島を見た時であった。
(ううぅぅうううううぅ)
風の音とも違う、地の底から湧き上がる様な不気味な声がユリウスの耳にも聞こえて、驚きに声を上げそうになった。
「こっちですね」
あの声を聴いた筈なのに、彼女はその声の方へ容赦なく進もうとしていた。
可憐な見た目に反して豪胆すぎるというか、異常に肝が据わっているなと思う間もなく、必死でユリウスが止める。
「ちょっと!危ないですよ!応援を待ちましょう!」
「置いていきますよ」
抵抗もむなしく、闇の中へ消えようとする江田島を、新人巡査は必死で追いかけるのであった。
※※※※※※
「江田島主任……帰りましょうよぉ……」
「もうちょっとです。此処を右です」
まるで行き先が判っているかのような彼女の歩き方に首を傾げる。入った時から目的地がどこなのか分かっているようだった。
「何でわかるんですか?」
「これです」
「うわっ!」
目の前にライトで照らされたタリスマンの入ったパケ袋を差し出され、思わず仰け反る。紫の石が何だか光を帯びている様な気がした。
「光って……るんですか?これ」
「こういったものは、作成者の魔力に呼応することが多いのです。まぁ、それ以前に気になることがありましてね」
ぼんやりと光るタリスマンをかざしながら、二人はそれが示す方向へ歩いてゆく。暫く歩くと、陽の光ではない明かりが通路の奥の方で点いているのが確認できた。
「灯りだ……でも、電気って」
ユリウスが懐中電灯で地面を照らすと、幾本ものケーブルが地面を這っていた。
「灯りはこれから来ているようですね」
ケーブルを辿っていた江田島が指をさした。大きな業務用の発電機が稼働している。通路は工事用の電球の明かりが煌々と点灯しており、懐中電灯など要らないくらいに明るい。
「誰かいるんですかね。工事の人とか」
「あの入り口の様子からすると、その可能性はほぼないでしょうね」
「じゃあ……」
「無許可でここに立ち入っている者がいるのでしょう」
その時は自分が江田島を守らねばならない。ユリウスは腰に提げた警棒を確かめる。こんな狭い場所で発砲するのは非常に危険だった。
『ううううぅえええええあああああ』
あの呻き声が聞こえた。先程よりずっと近い。びくりと肩を竦めたユリウスに比べて、相変わらず江田島は平然としている。
「こっちですね。扉があります」
工事用に造られた金属製の扉を指しながら、江田島が言った。だがユリウスにはその扉の向こうを確かめる度胸が無い。
「止めましょうよ、ちょっと……」
渋るユリウスを尻目に江田島が無遠慮に扉を叩いた。
「こんにちは。ごめん下さい」
そんな巡回連絡の家に行くようなノリで扉を叩く江田島に、ユリウスは信じられないと言う目を向けていたが、彼の予想は裏切られる事となった。
「はーい。どちらさま?」
がちゃり。とフレンドリーに扉を開けたのは、ボロボロの漆黒のローブに身を包み、袖からは枯れ木のような腕が剥き出しになっている。そのフードに隠された素顔は、新月の闇の中のように覗う事は出来ない。
「境島警察署会計課の江田島と申します。失礼ながら、貴方はリッチですね?」
リッチ。高位の僧侶又は魔術師が自らを強力なネクロマンシーで死霊化した姿。生ける即身仏と言った方が分かりやすいだろう。本来ならば俗世に興味を持たなくなるという事であるが、彼?はクリーム色の可愛らしいエプロンに身を包み、菜箸を手にしていた。ユリウスは生まれて初めて目にするリッチに驚いたが、あまりに生活感のある姿に若干毒気を抜かれた。
「あ!お巡りさんでしたか!ご苦労様です~!」
リッチはぺこりと頭を下げ、おそらくニコリと笑った……と思われる。
「ここでは何ですから、中へどうぞ~。大したおもてなしは出来ませんけど」
「そうですか。ありがとうございます」
「ちょ、江田島主任!」
「わぁ、お客様なんて久しぶり!狭苦しい我が家ですがこちらへどうぞ~」
無駄にフレンドリーなリッチの誘いを断れず、ユリウスは江田島と共に扉の中へ入っていった。
「普通に、綺麗だ」
ユリウスが正直な感想を述べた。いや、あの外見でこれは予想などできないだろう。ピカピカに磨き上げられたフローリングのワンルーム。深い青と白色の北欧雑貨で統一された家具や食器はセンスも良く一見すれば雑誌を飾るモデルルームにも見えるだろう。
「うふふ。ありがとうございます~!色々な雑誌を参考にした甲斐がありました」
コーヒーでよろしいですか?とオシャレなカップに注がれた真っ黒な液体は、署内で飲むコーヒーと比べるのが烏滸がましいくらいに薫り高い。江田島がコーヒーを手に取りながら礼を言った。
「ありがとうございます。五百蔵(いおろい)さん」
彼?は五百蔵(いおろい)と名乗り、5年前からこの一帯を買い取り、此処で居住していると言った。
「私、アンデッドだから太陽の下よりこういうところの方が落ち着くんですよね」
もっともな言であった。リッチという特性ゆえに彼?は衣食住に気を遣う事は解放されているはずであるが、現代日本と世界が繋がった時に好奇心からこちらへ移り住もうと決意したらしい。探求心を究極まで極めたリッチらしいというべきか。
あの呻き声は何か?と江田島が聞くと、五百蔵は恐らく顔を赤らめて「今ハマってる海外ドラマが泣けてしまって……つい」と言った。ユリウスが恐れたあの呻き声は五百蔵がドラマを見て感極まった声だったらしい。
「こちらのタリスマン、貴方の物ですか?」
江田島がパケ袋に入ったタリスマンを差し出すと、五百蔵が「あ!」と驚愕の声を上げた。表情は相変わらず伺い知れないが。
「失くしたと思っていました……これ、どちらで?」
「ユー○ューバー崩れの若者が拾いまして。かなり強く危険な呪力が封じてありましたので私がこちらへ出向きました」
「すみません!これは私が若い頃に造った品でして、他人の手に渡らないように気をつけていたつもりでしたが……!」
五百蔵が恐縮したように頭を下げた。
「いいえ。持ち主が特定できましたので問題ありません。身分証と、こちらの書類にサインをお願いします」
「でも、私だとよく分かりましたね?」
五百蔵が不思議そうに首を傾げる。最もな問いだ。
「以前ハンドメイドサイトで購入した品に良く似ていましたので。好きな作家さんの作品はチェックしております」
「嬉しい! ありがとうございます〜!」
リッチがハンドメイドやるんだ……とユリウスは美味しいコーヒーを啜りながら思っていたが、何も言わなかった。
「では、これで返還手続きを終了いたします。ご協力ありがとうございました」
「あの! 拾ってくれた方にご連絡とかしなくていいんですか? 是非ご連絡したいんです!」
「判りました。拾ってくれた方はこちらの方です。所有権や謝礼の権利は放棄していますが、ご連絡先はお伝えしていいとの事でしたので、こちらへ」
「ありがとうございます! 連絡します!」
しきりに礼を言う五百蔵の見送りを後に、二人は帰路に就いた。
あまりに現実離れした事のオンパレードに、ユリウスはなんだか夢見心地になったような気分だった。
「リッチって初めて見ましたけど、あんなにフレンドリーだったんですね……」
「さあ、私はあの人が初めてですね。普通、ああいった高位アンデッドは自分の領域を犯す者を容赦なくアンデッドに変えますから」
「ヒェッ……」
五百蔵でないリッチならば容赦なく死霊魔法の実験台にされていたのかと思うと、肝が冷える思いであったが、無事に帰れたのは江田島の冷静な対応のお蔭かもしれない。
「江田島主任。ありがとうございました。僕だけでは到底対応しきれなかったので」
ユリウスは素直に頭を下げた。無愛想で向こう見ずなな彼女だが、自分を最大限フォローしてくれた。それにはとても感謝しているし、貴重な経験までさせてくれた。
「いいえ。こちらこそ巻き込んでしまったのは私ですから。お疲れさまでした」
真っ赤な夕陽で分からなかったが、彼女の頬がうっすらと赤らんでいたのは、誰も知ることはなかった。
その後、五百蔵の住む防空壕にはちゃんとした番地の郵便受けが設置され、心霊スポット巡りを売りにしたユーチュー○ーのアカウントが軒並み消失したという。
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