第8話 家畜泥棒にご注意ください 1
ユリウスの一日は早い。
5時半に起床し、隣の先輩方の迷惑にならぬように身支度を整え、朝のランニングに出る。1時間ほど走り込み、官舎へ戻ってシャワーを浴び、出勤までの時間に警察六法を読み込む。
それが出来たのは最初の3日であった。4日目からは上の部屋に住む副署長の誘いを断れず、何故か各課長が勢ぞろいする酒席についていた。無論場所は副署長の部屋だ。ちなみに警察組織では警部以上の大体が単身で、配属先に近い官舎に住む。それは急な事案が発生した時にすぐに出向いて各課の陣頭指揮を執る為である。
「あったま痛ぁ……」
焼酎3本目を空けたところまで覚えている。ヨタヨタと部屋に帰り、気づけば玄関でぶっ倒れていた。ちなみに二度目である。一度目は歓迎会という名目の酒が飲みたいだけの輩が集まりであった。
「なんで副署長はあんな強いんだろ」
一切顔色が変わらないままグラスを傾けていた気がする。自慢のリーゼントも一切乱れない。何で固めてるのか謎だ。
「うう……シャツ、アイロンかけなきゃ……」
染みついた習慣がユリウスの鈍った体を動かす。ちなみに警察学校では各自が制服のワイシャツにアイロンをかけなければならない。しっわしわのシャツで教官の前に立とうものならばビンタが飛んでくる。
出勤まであと15分。ユリウスはのろのろとアイロンを手に取った。
「おはようございます!」
始業時刻30分前にどうにか着いた。官舎は徒歩で10分の距離であるが、着替えたり装備を着けたり事務室のゴミ捨てをしなければならない。
「おう、はえーなユリちゃん」
昨日の当直長だった黒柳(くろやなぎ)刑事課長がカップ麺を手にしたままユリウスを見た。配属されて10日。署員の幾名かはユリウスの事を『ユリちゃん』と呼んでいる。警察官というものは渾名を付けたがるのかもしれない。
当直明けの黒柳の顔にはちらほらと不精髭が生えて普段から精悍な面立ちが更にダンディになっている。50代半ば。10年近く捜査一課の第一線で活躍してきた黒柳は数多くの凶悪犯罪者を逮捕してきた、いわば生ける伝説である。
「黒柳課長は今朝食ですか?」
ユリウスが荷物を下ろしながら言うと、彼は笑った。
「晩飯だよ。もー事案ばっかり。物損から始まって車上狙いからの変死は入るし当直長なのに現場行くしーでお蔭で飯も食えなかったのよ」
「そうなんですね……お疲れさまでした」
「まあいつもの事だしねー。俺が泊まりの時は引くんだよねなんか」
「ははは……」
警察の中でも結構ジンクスというものがある。誰と誰が当直だと事案が沢山発生する、夜にカツ丼を食べると事案がヤバイとかけうどんしか食べない、そういうものだ。黒柳が当直長の時は、必ず何らかの事案が発生する。と署員の間ではもっぱらの評判だ。
ユリウスは身支度と事務室内の掃除を済ませ、デスクに着いた。地域警察官のデスクはスペースの問題もあり共用だ。パソコンも同じくである。
「うーん……何て書いてあんだろ」
先日の勤務中に発生した自販機荒らしの調書を作成する。前に指導部長である毒島巡査部長から教わったメモを参考にするが字が達筆すぎて読めない。
「毒島部長の字、読めないよこれ……」
うんうん唸っていると毒島といつもコンビを組んでいる但馬がひょいと後ろから覗いた。
「どしたの。ユリちゃん。あ、これ?毒島ちゃんの字読めなかった?」
「あ、但馬班長」
「これはね~○○で○○だよ」
「なるほど。ありがとうございます」
「いいよー。毒島ちゃんの字俺じゃねえと読めねえもん。今日は俺らと通常警ら(つうけい)だからよろしくね」
「あ、そうなんですね!よろしくお願いします」
初任科生は警察署に配属されると2,3カ月は地域課で勤務をして基本の業務を覚える。そして刑事、生活安全、交通、警備課にて数日間の実地研修を受けてから、もう一度警察学校にて研修を受け、晴れて一人前の警察官となる。それまでは指導部長と呼ばれる警察官にくっついて歩くひよこちゃんなのだ。
「皆さん、配置を始めますよ。道場へお願いします」
朝の幹部会議から戻った杉本地域課長の声に、ユリウスは急いでパソコン内の報告書を保存した。
「では、配置を始めます」
地域課の朝は配置と呼ばれるミーティングから始まる。地域警察官の勤務は交番や自動車警らの三交代勤務、日勤と呼ばれる通常勤務と分かれるので少々複雑である。なので勤務の変更や誰が誰と組んで勤務をする、という勤務編成や幹部会議での指示事項を課長が伝えるのだ。
「……ガーランド君は但馬班と通常警ら(つうけい)、あとは先程の通りです」
ああ、それと。と杉本がフレームレスのメガネを神経質そうに直した。
「刑事課から最近家畜の盗難被害が多発しています。養豚場や養鶏場、牧場などを重点警戒としてください。また、特別区からの不法就労者ですが、精巧な偽造ビザが出回っているとの事です。職質時には一歩踏み込んだ姿勢で臨んでください。よろしくお願いします。では、解散」
家畜の盗難って、なんだそれ。と首を傾げながらユリウスは道場を後にした。
「よろしくお願いします!」
ぴかぴかに磨き上げられたパトカーの後部座席に乗り込む。運転席には但馬、助手席には毒島。いつもの配置である。
「はーい。よろしくねー」
但馬がにこりと人の良い顔で笑う。但馬警部補は地域課内でも特に人望が厚い。ユーモアがあり仕事も出来る。唯一弱点があるとすれば鳥が苦手という点だろうか。
「おう……そうだユリウスお前この前の自販機荒らしの見分終わったか?手順のメモ渡してあったろ?」
毒島がシートベルトを締めながらユリウスをバックミラー越しに見た。
「あ、はい大体ですが。端末の中に保存してあります」
「おっ、早えーな。後で見てやるから印字しといてくれ」
「了解です」
「毒島ちゃーん、もっときれいな字で書かないと読めないからねユリちゃんは。新人なんだから。大事に育ててあげて」
「えっ、マジすか俺!?え!?ごめんね!?そんなに汚かった!?」
「きったねーよ。暗号だねあれは。俺しか読めないもん」
「いえ!あのそんな事ないですよ!毒島部長!ね!」
「いや……そんな慰めはいらねぇ……そうか……」
しょんぼりする屈強なリザード族の指導部長に慌ててフォローするユリウス。そんな二人に爆笑しながら但馬はパトカーを発進させた。
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