第7話 真夏の畦道でつかまえて2

 犬飼は走るスピードを緩め、農道から側道に入った。鬱蒼とした森の中は日差しはあまり入らず、空気はひやりと湿っている。

 大きな鳥居の前で立ち止まり、地面に這いつくばった。蝉の鳴き声と木々のざわめきが響いている。

 ぴくり、と黒い耳が動き、階段を半ば飛ぶように駆け上がる。犬飼のようなワーウルフ達の嗅覚は警察犬の数百倍。微かな痕跡からも何百キロと追跡ができる、生まれながらのハンターなのだ。


(こちらに続いているな)


 匂いを辿ると、山道から外れてゆく。どんどん奥深くへと続いているようだ。首を巡らせれば、草叢の中に光るものを見つけた。

 小さなそれを手に取る。黄色い反射材。地元の小学生が帽子に着けているものだった。匂いからしてカナタのものだ。


「まずいぞ。こっちは樹海だ」


 一度無線を入れようと防刃チョッキに装着した無線を取る。


「境島201から境島……」


 幾度か呼びかけるが、応答がない。樹海に近づくほどに通信機の類は通じづらくなる。もうすぐ日暮れだ。早く見つけなければ何が起こるか分からない。入れ違いで捜索隊が入る前に彼を見つけて連絡を取らなければ。


「匂いが濃い。此処を通ってまだ時間は経ってないな」


 獣道のような笹の藪を物凄い勢いで進んでゆく。その姿は獲物を追う狼そのものだ。

 笹藪を掻き分けると、少し拓けた場所に出た。その先に、夥しい蔦や葉に絡みつかれ、今にも朽ち果てそうな洋館が建っていた。見た所廃墟となったラブホテルだろう。入り口は【テナント募集】の張り紙と共にベニヤ板が打ち付けられている。

 建屋の側には【ホテルラブ&ハート】と書かれた風化した看板があった。

 匂いは建物内に続いている。とてもまずい状況かもしれない。と犬飼は頭を抱えた。


「無線は通じないし……うーん」


 本当は応援を待つべきなのだろうが、建物を一周する。3階に割れた大きな窓が見えた。少しだけ助走をつけて、地を強く蹴った。

 10mの高さなど元ともせず軽々と跳躍する。錆びたベランダに張り付くように飛びつき、割れた窓の中を伺う。

 人ならライトがなければ殆ど視界が効かないが、ワーウルフたる犬飼の眼は微かな明かりでも支障はない。


「この中にいるな。どこだ」


 音も無く中に入る。どぎつい色のカーテンを除けて、埃だらけの客室から出る。資材や木材が至る所に積まれた廊下は、其処彼処と床が腐っていて歩くことさえ危険な状態だ。

 聴覚と嗅覚を研ぎ澄ませれば、あらゆる情報が犬飼に流れ込んでくる。

 黴と埃の匂い。浮浪者か、物見遊山の野次馬が残したタバコの残り香、残飯とアルコールの饐えた匂い。その中に、カナタの匂いを感じた。

 廊下を進んでいくと匂いの流れが変わった。下だ。音を立てずに螺旋階段から飛び降りる。

 だんだん濃くなっていく匂いを辿るが、匂いから緊張と恐怖が色濃くなっていくようだ。ワーウルフは獲物の分泌物から感情や体調変化を嗅ぎ取ることも出来る。それは純血種の彼だから出来る芸当でもあった。


(何かあったのか)


 焦りが彼を襲う。もしも彼の身に何かあったら、稲葉やあの二人に合わせる顔がない。

 エントランスらしき場所に近づいた時、犬飼の耳は話し声を捉えた。細心の注意を払って柱から覗き込む。数人の男たちが破れた長椅子を囲んでいた。


「このガキは何なんだ?」

「【外界】のガキだろ。この服からしてな」

「この機械は売れるな。他にも持ってねえのか」


 長椅子には、泣き腫らし怯え切ったカナタが身を縮めて震えていた。見た目からして男達は【日本人】ではない。腰に提げた湾曲したナイフからして、特別区(ガーランド)の樹海近辺に根城を構える野盗と言ったところだろう。

 昨今、特別区内の不法入国者による空き巣や車上狙い、太陽光パネルなどの盗難が続発しており、刑事課長が頭を痛めていた。

 応援を待っている暇はない。犬飼は姿勢を低くして飛び出した。


「今、何か落ちたか?」


 男の一人が廊下の音に気づいた。残りの男たちがそれに倣ってそちらを見た。


「全員、動くんじゃない」


 低く、唸るような獣の声音が、上から響いた。


「ひっ」


 恐怖に引き攣った声を誰かが放ったが、誰も気にも留めなかった。

 天井の隅に、何かがいる。

 漆黒の獣毛に包まれた強靭な体躯、同じ色の長い爪、剥き出した鋭い牙。そして水色のシャツと耐刃防護衣。


「ぢゅうざいざん~!!」


 カナタが決壊したように泣き喚いた。

 犬飼がその巨体を翻し、音も無く降り立ち、男達の前に立つ。あまりの怒りに項の毛が逆立っていた。


「てめえら!もしも腰のナイフ抜くんなら公務執行妨害(コウボウ)も付くぞ!」


 エントランス中に凄まじい咆哮が轟く。カナタを含めて全員が恐怖に硬直した。2メートル近い体躯に、鋭い爪、恐ろしい唸り声と全てを噛み裂く牙は、男達の戦意を喪失させるのには十分だった。


「……すいませんでした」


 悄然と項垂れる男達に、犬飼は無線を取りながら金色の眼でぎろりと睨みつける。


「そこで動くなよ。俺はワーウルフだ。お前らの匂いは覚えた。逃げたって地獄まで追いかけるからな」

「はい!動きません!」




 ホテルの最上階でようやく無線は通じた。カナタも怪我一つなく無傷だったが、本署は蜂の巣をつついたような大騒ぎなようだ。全署員態勢での捜索隊が組まれ、付近の機動捜査隊の車両も数台応援についていた。ちなみに男達は犬飼の言う事を素直に聞き、うつぶせのまま腹ばいになっていた。

 無断での単独行動に対して何らかのお叱りはあるだろう。始末書で済めばいいが。ここまで事を大きくしてしまったのだ。始末書で済むかも怪しい。


(課長に怒られんなぁ)


 犬飼が一番恐れる上司の顔を思い浮かべる。杉本左京警部。冷静沈着怜悧冷徹。監察室出身の若手ホープ。丁寧な口調ながら、本気で怒った時のオーラは筆舌にしがたいものがある。

 続々と集結するパトカーやら捜査車両がホテルを取り囲む。捜査員がエントランスに到着した時、犬飼は未だ泣き続けるカナタを抱えながら宥めていた。

 手錠をかけられ車両に乗せられてゆく男達を見送ると「カナタ!」という声が遠くから響いた。


「ばあちゃん!」

「ああ~。いがった……ほんといがった……」


 泣きながら孫を抱きしめる祖母の姿を見たら、犬飼はそんな事どうでもよくなっていた。


(まあ、無事でよかった)


 犬飼が後続で来た捜査員の見分を手伝いながら、彼の無事を喜んでいると、銀色のジュラルミンケースを持った青い作業着に帽子姿のドワーフが近づいてきた。


「おう、おつかれ」

「あ、土井頭班長。おつかれさまっす」


 彼は刑事課鑑識係で土井頭(どいがしら)警部補。微物、足跡(ゲソ痕)、特別区からのあらゆる違法銃器刀剣、宝物類や鉱物の鑑定に関してのスペシャリストである。


「あいつら、S署(隣の管内)での連続太陽光パネル窃盗もしてるな。ゲソ痕からしてビンゴだわ」

「そうすか……余罪洗うの手間取りそうすね……」

「なに、どうにかなるべ。お前の顔がよほど怖かったみてぇだからな」

「は、はは……」

「まあ、子供助けてあんだけの窃盗団の面子パクったんだ。本部長即賞辺り貰えんじゃねえか?」

「え?いや~どうでしょうね~へへ。でも課長に絶対怒られちゃうと思うんで……」


 その時、ストラップで首から下げていた土井頭の公用携帯が鳴った。


「はい土井頭。え?ああどうも。いますよ?目の前に。代わる?はい」


 ドワーフの鑑識係長が手にした携帯を犬飼に差し出した。


「え?」と首を傾げる犬飼に土井頭が笑いながら言った。

「課長。代わってって」

「ひえ!……あ、もしもし、犬飼です」

『杉本です。犬飼君。署に戻ったら今回の事案の時系列と発生状況の報告をお願いしますね?もちろん、署長室で。私と副署長、署長に対面で報告を』

「あ、ハイ……」

『それと、非常事態とは言え、公用バイクを路上に≪鍵を着けたまま≫放置するのは、あまり感心しませんね』

「ぎゃあ!すみませんすみません!」

『分かればいいです。では。本署でお待ちしてます』


 ツー、ツーという切断音が無情にも響く。


「どうした?怒られたか?」


 土井頭が意地悪そうににやりと笑い、犬飼はがっくりと「これから怒られます」と肩を落とした。


 男達は任意同行後、容疑を認め、未成年者略取の容疑で通常逮捕された。メンバーの一人が境島管内で発生した太陽光パネル窃盗を自供したため、近日中に再逮捕予定である。また、他管内で発生した連続車上狙い又は空き巣についても、関連性があるとして現在も捜査員が余罪を追及している。

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