第6話 真夏の畦道でつかまえて 1
「ねえねえねえねえ!犬のお巡りさん!ねえ!」
「今日ね!おれ算数で100点取ったんだぜ100てん!ひゃくてん!!!」
「お巡りさんてドッグフードくうの!?ねえ!!」
黄色い帽子とランドセル姿の子供たちが、給食袋を振り回しながらぎゃあぎゃあとデスクの周りで喚きたてる。3人ともそれぞれ赤、青、黄色のTシャツを着ている。信号機トリオとはこのことだろうか。
勤務日誌を書いていた毛むくじゃらの手がばぎり、とボールペンをへし折った。あ、ヤバい。と慌てるがもう遅い。ともかく煩い元凶を黙らせたかった。
「うるせえええええ!俺は犬じゃねえ!ワーウルフ!おおかみ!狼男なの!あとドッグフードは食わねえよ!」
彼はだん!とインク塗れになった机を叩いて怒鳴った。境島署大汐(オオシオ)駐在所に勤務する犬飼(いぬかい)巡査部長は歴とした純血のワーウルフである。黒く艶やかな毛並みと尻尾は、日々のトリートメントの賜物だ。
「だって見た目まんま犬のお巡りさんだもん。犬飼だし」
「だからおれ100てん取ったんだよ!」
「尻尾ってシャンプーで洗うの!?ねえ!」
減らず口を叩くクソガ……小学生たちは皆近所の小学校に通う子供である。通学路の途中に駐在所がある為、都合の良い溜まり場になる事がしばしばある。しかも勤務する警察官が狼男ならば好奇心が天元突破している小学男児達の格好の餌食であろう。
「もう帰れよお前ら!お巡りさんは仕事中なの!お前らの家の連絡先は知ってるからな!明日巡回連絡で行って親にチクるからな!」
巡回連絡とは地域警察官が各戸又は事業所などを回り、犯罪や災害抑止、住民との良好な関係の維持、受持区内の実態を掌握するためという目的がある。
「うわ!サイテーだ!」
「キョーカツだ!」
「もう来ねーから!バカお巡り!」
「はいはい何とでも言え!気をつけて帰れよ!」
捨て台詞を残してバタバタと駆けてゆく子供達にひらひらと手を振ると、ふう、とため息を吐く。デスクに置いていたマグカップのお茶はすっかり冷めてしまった。時計を見れば15時を回ったところだった。
「あー……巡回行くかぁ」
勤務日誌は後にしよう。冷めきったお茶を飲み干して立ち上がる。腹の虫が鳴いていた。昼前に物損事故の申報が入ってしまい、昼飯を食べ損ねていた。
「ついでに昼飯も買ってこよ」
ヘルメットを被り、駐在所に配備されている小型自動二輪(通称:ビジバイ)を外に出す。車庫がないのでいつも事務室の隅に入れているのだ。
「草刈りもしなきゃなあ」
駐在所の周りの伸びきった雑草を見ながら呟く。環境整備も駐在所員の役目であった。
「ま、次の非番にやろ」
全然説得力のない独り言は、エンジンの音にかき消された。
ひたすらに続く畦道をバイクで走る。青々とした田圃が風を受けて波打ち、清涼な空気が気持ちいい。
「バイクも夏はいいんだけどなぁ。冬は寒いからなぁ……」
一番近くのコンビニまでバイクで20分かかるし、繁華街など無い。だが、近隣の住民はとても親切だし、彼等にとっては異形ともいえる自分が赴任して来た頃は、最初こそは困惑していたが、地域の催事やボランティアに積極的に参加すると、徐々に住民たちは犬飼を頼りになる駐在さんと一目置くようになっていた。
暫く走っていると、畑で作業をしていたらしき女性がこちらに手を振った。
「あんら、駐在さん。丁度良かったよ。大根取ったから持ってけな」
「ああー、稲葉さんいつもすいません」
彼女は駐在所の真裏に住む農家で、齢80過ぎているというのに毎日自転車で畑に通い、作業をしている。何かと犬飼に世話を焼いてくれるので、独り身の犬飼にとってはありがたい隣人だ。
「大根と、小松菜と、キュウリもやるからもってってな」
「わ、わあ、すごい沢山……いつもすいません」
「なぁに。いつもカナタが世話んなってっから」
カナタとは先程駐在所に来て騒いでいった小学生3人組の内の赤シャツの子供で、彼女の同居する孫であった。
大量の野菜をキャリーボックスに詰め込む。若干はみ出すが仕方がない。
青々とした大根の葉がはみ出したままバイクに跨ろうとした時、畦道の向こうから青と黄色のシャツの子供たちが慌てたように走って来た。一人は何故かランドセルを二つ持っている。
「カナタのおばーちゃーん!!」
半泣きで走って来た二人に、ただならぬ雰囲気を感じた犬飼は「どうした!?」と声を掛けた。
「カナタがっ!みんなで裏の山に入ってっ…何か見つけた!て言って…いなぐなっぢゃっだ〜!!」
最後はふたりとも大泣きである。
「なにっ!!カナタが!!?」
孫の一大事に稲葉が驚愕の声を上げて色を失う。犬飼は素早く二人に近づいて言った。
「どこでいなくなった!?」
「はちまんさまの山……」
はちまんさま。八幡神社の裏の山だ。ここからなら2、3キロくらいの距離。犬飼の受持ち区だが、特別区(ガーランド)の北東に広がる深い森、アートルム樹海に繋がっている為何が起きるか分からない。樹海には獰猛なモンスターが生息しているし、文化の全く違う異種族の居住区などがある為だ。
「どうしよう……カナタ見つからなかったら……」
「俺たちが置いてったから探してるかもしれない……」
しゃくり上げながら言う子供達に犬飼は、しゃがみこんで二人の目線に合わせた。
「大丈夫だ。お巡りさんが見つけてやるから」
「うん。わかった」
子供達を安心させるために優しい声音で諭す。ふと、一人が持っていたランドセルに目を止めた。
「そのランドセル、カナタのか?」
「そうだよ。落ちてたから」
「貸してくれるか?」
ランドセルを受け取ると、ワーウルフ特有の口吻に近づけ匂いを嗅ぐ。
暫くそうしてから、ランドセルを返した。
「駐在さん……」
不安そうに稲葉がこちらを見る。
「お孫さんは必ず見つけます。この子らをお願いします。あと、バイクも。署に連絡しますんで、事情の説明をお願いします」
「わがった。孫をお願いします」
バイクで行く選択肢もあったが、法定速度を守っていたら間に合わない。すぐに無線で本署に連絡し、応援を呼んだ。
「後で大目玉だろうけど、そんな事言ってられねえよな」
支給品の革靴を脱ぐ。鋭い爪の黒い脚が露わになる。そのまま姿勢を低くして、思い切りアスファルトを蹴った。
たちまち、195センチの巨体が弾丸のように疾駆し始めた。ワーウルフの身体能力は人間をはるかに凌駕する。本気で走れば時速70キロ以上で走ることが出来るし、跳躍力も桁違いである。本当はみだりに自分の力を使う事は禁止されているが、今は緊急事態だ。
「すげー!」
子供たちの歓声が後ろで響く。
(誰にも見られませんように!)
心の中で祈りながら、犬飼は昼下がりの農道を走り続けた。
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