第5話 仰げば鬱陶し

警察学校の卒業式は、一般の学校とは一線を画す。警察本部の地域部や刑事部の総括である地域部長、刑事部長や県警トップである本部長までが出席する。初任科生、警察官のタマゴ共は最終試験が終われば卒業式に向けてひたすらに礼式の訓練を課されるのだ。県警のお歴々が出席する式には、一切の粗相も許されない。

 大講堂に並べられたパイプ椅子には、真新しい制服を着た初任科生達が真っ直ぐ背筋を伸ばして腰かけている。皆、緊張した面持ちで、己の名前が呼ばれるのを待っていた。


「ユリウス・フォン・ガーランド!」

「はい!」


 金色の髪を短く刈り揃えたユリウスが、大きな声で返事をして立ち上がる。緊張に震える掌を握りしめ、錚々たる面々が見守る中、登壇し、警察学校長に礼をする。


「ユリウス・フォン・ガーランド。貴殿はI県警察学校における全課程を修了し、本日を以てI県警警察官巡査を任命する」


 修了証が手渡される。これで、警察官としての新たな道が開かれた。緊張と喜びを噛み締め、これからの事に思いを馳せていた。


「ユリウス!お前、何処に配置されるんだ?」


 式典後、同期である芝田が声をかけて来た。警察学校を卒業した後、彼らは即座に県内各署に配属される。官舎への引越し作業など諸々の手続きをしながら、今度は県警の第一線で実戦的な知識や業務を学んでゆくのだ。

 ユリウスは制服に付けた式典用徽章を外しながら荷物の整理を始めていた。


「境島だよ。俺たちは大体そうだけどね」

「ああ……【紐付き】だったな。エルミラも。でも実家が近くて羨ましいな。俺なんか県最北端だぜ」


 ユリウスのように特別区出身は配属先が決まっている事が多い。このように予め人事的に配属が決まっているのを【紐付き】と呼称する。


「県北は温泉もあるしいいじゃないか。俺は真新しい事なんてないし、つまらないよ」

「俺も特別区行ってみたんだよー!異世界ってやつ!憧れるよなー!」

「だからネット環境も整ってないし、最悪だぞ」

「ドラゴンとか騎士とかさ!見てみたいじゃん!」

「そもそも向こう側には規制線で簡単には行けないんだよ。検疫もあるしさ」

「たまにいるだろドラゴンとかさ。飛んでるって聞いたぜ」

「ちゃんと届け出してるんだろ。こっち側に来るには許可がいるって言ってたよ」


 因みに、ドラゴン等の飛行生物は航空機に分類され、規制線を超える場合は事前に飛行計画の提出又は承認が必要になる。


「何か……俺の考えてる異世界と違う……」

「勝手にがっかりするのはいいけどさ。特異地区が特別区になってもう二十年以上だよ。ちょっと珍しいテーマパークみたいな感じでしかないよ。スタバも進出してるみたいだし」


 がっくりと芝田が肩を落とすのを、ユリウスがばっさりとぶった切った。


「憧れが現実に侵食されていくってこういう事かよ……くそぅ……」

「ほら、芝田。迎えが来ちゃうよ。行かなきゃ」

「ガーランド君。もう配置先の係長が来てる。あまりお待たせすると失礼よ」


 荷物をまとめたエルミラが冷たい眼でユリウス達に告げると、二人は慌てて荷物と身支度を整えて校舎を飛び出した。


 警察学校から卒業した初任科生達は、配置先の各署担当者が迎えに来るのが通例である。この場合、大体は警察署の警務課の担当となる。警務課の業務は採用、装備資器材の管理、厚生関係など多岐にわたる。直接捜査に加わることはないが、署員の業務を裏で支える大事な役割だ。


「ユリウス君、こっち」


 駐車場をうろうろしていると、エルミラの呼ぶ声が聞こえた。急いでそちらへ向かう。

 恰幅の好い中年の警察官が、年季の入ったセダンにエルミラの荷物をトランクに詰めていた。


「遅れてすみません!境島に配置されたガーランドです!よろしくお願いします!」

「はいよろしくね。警務係長の浅野です。いいから。荷物貸して」


 階級章からして警部補だろう。それにしても事務方の警務係とは思えないほどに顔が怖いし眼光も鋭い。それもそのはず、彼、浅野均(あさのひとし)警部補は捜査二課出身のバリバリの刑事畑である。定年前に幼い孫との時間を作りたいと警務係を希望したという孫想いのお爺ちゃんの一面もある。そんな事知る由も無いユリウスはビクビクしながら浅野に礼を言った。


「あ、すみません。ありがとうございます」

「じゃ、お二人さん。行こうか」


 古いセダンはけたたましいエンジン音を鳴らしながら、10カ月を過ごした警察学校を後にした。


「二人は何で警察官になろうと思ったの?」


 ハンドルを切りながら、ずっと黙っていた浅野が口を開いた。ぶっきらぼうだが、二人の緊張を解こうという彼なりの心遣いだったのかもしれない。


「実家を闇金業者の抵当に入れられてた所を組織犯罪対策課の方に助けていただきました。同じような人を出したくないと思い、警察官を志望しました」

「本当に!?大変だったねぇ。組織犯罪対策課(そたい)はいつも人手不足だから助かるよ」


 しょっぱなからヘビーな志望動機を聞かされ、余計に肩身が狭くなるユリウスだったが、意を決して口を開いた。


「あ、えと、昔妹と迷子になった所を助けてもらいまして……警察署で保護してもらって……」

「あれ?昔迷子になった王子様って君?」

「えっ?」

「俺、あの時機動捜査隊(きそうたい)にいてさ。丁度境島で休憩してたの。あの時の当直長、刑事課長だったよね?」

 まさしくそうだ。だが、何故彼がそれを覚えているのだろうか。

「あの時の刑事課長、今、君が配属される境島署の署長だよ。知ってるでしょ?よかったね」


 まさかまさかの展開である。それを聞かされてユリウスはますます身体を緊張に縮込めるしかなかった。


 I県警境島警察署。日本で唯一異種族の警察官がいる警察署。署員数は60人弱と小さい規模ではあるが、現代日本と全く文化も価値観も違う特異地区という場所が出現してから、ころころと変わる法案や条例に翻弄されながら治安を守ってきた。だからユリウスは此処に来た。沢山の人の役に立ちたい。王族に生まれたけど、自分は何の役にもたたないから。


「じゃ、お二人さん。申告要領はわかってるよな?」


 警察署の駐車場に車を停め、荷物を下ろしながら浅野が言った。


「あ、はい」

「はい。存じてます」


 ユリウスの返事をかき消すようにエルミラが答えた。

 警察職員は、新規配属及び転属する時、新所属長への申告をすることが通例だ。新人にとっては一番最初の関門である。

 二人は浅野の後に続く。お世辞にも綺麗な庁舎とは言い難いし、警察学校の宿舎よりも古いかもしれない。

 裏口から署の中に入ると、途端に喧騒がユリウスを襲った。


「免許の点数ってさ、もとに戻るんじゃないの?!ねえ!」

「免許の点数は加算なので元に戻るという概念は存在しません。貴方は免許停止の処分なので停止処分が明けた日から翌年の同日で一年として数えます。お分かりですか?」

「財布を……失くしたんです…」

「ではこちらの書類に詳細を記載お願いします。出来るだけ詳しく」


 運転免許更新の窓口で騒ぐ高齢男性を、浅黒い肌のダークエルフらしき女性が事務的に淡々と諭している。その向かい側【落とし物、失くし物窓口】とプレートに書かれた窓口では、青ざめた中年女性に、身の丈3メートルはあるであろうオーガ族の男性が薄緑の作業用ジャンバーを着て書類の書き方を丁寧に教示する姿があった。見回せばリザード族やワーウルフなど多種多様な職員がいる。


「じゃあ、副署長。新人二人申告してよろしいですかね」


 浅野が事務室の奥のデスクで書類を読んでいた副署長に声をかける。白髪交じりのリーゼント頭がゆっくりと上げられた。銀フレームのメガネの奥からじろりと睨み上げる様に見つめられ、ユリウスは反射的に気をつけの体制になっていた。


「おう、来たか。副署長の川嶋だ。よろしく。さっさと申告しちまうか」


 ドスの効いた声に、リーゼントと左の眉を斜めに切り裂く傷跡。制服がなければ完全にその筋の者だと勘違いされるだろう。だが彼、川嶋祐二警視は地域交番から交通指導課、交通機動隊(白バイ)副隊長を経て境島署副署長に着任した交通部の叩き上げである。無駄を嫌い、決断の早さと的確な指示に定評があり、その竹を割ったような性格は署員たちからも慕われている。

 川嶋が後ろの署長室のドアをノックし「入ります。署長、新人二人の申告いいですか」と言った。


「ほら、入って入って」


 浅野に急かされ、心の準備もないままに二人は署長室へ向かった。


「入ります!」


 エルミラの後にユリウスが続く。署長室のデスクの向こうでは白髪頭を撫でつけた紳士が穏やかな笑みを浮かべて「どうぞ」と言った。

 署長の面前に二人が並び、エルミラの「申告いたします!」という声が署長室に響いた。


「巡査、エルミラ・ラヴィネ」

「じ、巡査、ユリウス・フォン・ガーランド」


 どもってしまった。ユリウスは内心がっかりと肩を落とした。


「以上2名、本日付けを持ちましてI県警察学校を卒業し、境島警察署勤務を命ぜられました!」


 はきはきと申告をするエルミラと共に敬礼をする。室内なので脱帽時の敬礼である。


「署長の高柳です。今日から二人とも境島署の一員として職務に励んで頂くわけですが、まだまだ分からない事も沢山あると思います。ここにいる署員全員が君たちの先輩です。分からない事があったら諸先輩方に遠慮なく聞いてください。君達が一人前の警察官になる為に私達が全力でパックアップしますよ。だから暫くは沢山学んで、職務に生かしていってくださいね」


 その言葉にユリウスは地味に感動していた。警察学校の教官達からそんな事聞いたこともなかったからだ。


(がんばろう……憧れの警察官になれたんだから!)

「あ、ガーランド君」


 退出しようとすると高柳がユリウスを呼び止めた。


「は、はい!」

「大きくなったねえ。覚えてる?あの時私、当直長だったんだよ。といってもこんな白髪頭になっちゃったから覚えてないかな?浅野班長も機捜隊で丁度ここで休憩しててさ。凄い偶然だよねえ。妹さんは元気?」


 幼い頃、内緒で城を抜け出し、妹のソフィアと迷子になった時に保護されたのがこの警察署だった。【当直長】と書かれた腕章をした警察官が優しく対応してくれたのを今でも鮮明に覚えている。


「お、覚えてます!あの時は大変お世話になりました!えと、妹は高校生になりました!管内の高校に春から通う予定です!」


 恐縮しながら答えると、高柳はにっこりと笑って「そうかそうか。良かったよ。これからよろしくね」と言った。


 署長室を出る。ユリウスは傍らのエルミラに「これから一緒に頑張ろうね」と言ったが、

 エルミラは小さくため息を吐いて切れ長の眼でユリウスをじろりと見つめた。


「ガーランド君。貴方とは同期だけど、貴方より上へ行くわ。だから下手な馴れ合いはごめんよ。悪いけど」

「あ、はい。すいません」


 さすが初任科を優等で卒業しただけある。とユリウスは思った。若干の不安が胸の内をよぎったのも束の間、窓口が騒然とし始めた。

 職員の一人が困惑しながら浅野を呼んでいる。


「浅野係長!」

「何?どうしたの?」

「なんか、窓口にハリウッド女優みたいな金髪の人が来てて……えーと、ガーランドって人の家族らしくて……」


 それを聞いてユリウスはものすごい勢いで窓口へ駆けていった。

 窓口の長椅子に見事なブロンドの女性が優雅に腰かけていた。滲み出る気品と美貌が彼女を市井の人間の雰囲気とは明らかに一線を画しているが、服装はベージュの作業着。農協(JA)と書かれている。


「げ!!!母さん!!!」

「母さん!???」

「マジかよ!」


 周りの警察官や来庁者が驚きに眼を瞠る。


「あらぁ。ユリウスちゃん。お母さん農協でパートするって言ってたでしょ?ここのお隣なのよ。ついでだからご挨拶しなきゃって。あ、息子がお世話になります~」


 ドが付くほどにマイペースな母に、ユリウスは今度こそがっくりと肩を落とした。

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