第3話 初任科生よ大志を抱け

 時は、少しだけ前に遡る。


 ポリカーボネイト製の防弾ヘルメットが酷く重い。両隣の同期達の荒い息が聞こえる。

 警察学校での一番憂鬱な授業は何かと初任科生達が聞かれたら、10人に8人が警備訓練と答えるだろう。

 制服から出動服に着替え、警察官の卵、初任科の学生達は機動隊とほぼ同じ訓練を行う。大盾を持ち、隊列を組んでグラウンドを走り、その後すぐにデモ警備を想定した訓練を開始する。暴徒役は、無論教官達である。

 バイザーに鉛色の空からポツポツと透明な雫が落ちてきたが、そんな事に構っていられない。

 警察署から訓練用に払い下げられた一昔前のジュラルミン製の盾の取手を握りしめる。

 今の盾は半分の重さだと言うのに。

 その不遜な考えが顔に出ていたのか、目の前の教官から思い切り盾を蹴飛ばされて、思わず身体がぐらついた。

 盾を持ってグラウンドを30周した後のこの警備訓練は本当ににきつい。


「オラァ!王子テメーボケっとしてんじゃねぇ!」

「はい!」


 《王子》という名は自分の渾名。

 同期の視線が刺さる。

 ダメだ。このような事では。

 この場の誰よりも努力しなければならないのだ。

 一人前の警察官となる為に。

 歯を食いしばり、厳しい表情の教官を見つめる。


「そんなんで一般市民守れんのかテメェらぁ!」


 教官の怒声がグラウンドに響いた。



 ――母上。寒くなりましたが、元気でお過ごしでしょうか。

 私はようやく警察学校の日々にも慣れ、訓練過程も半ばを過ぎようとしております。

 父上が身罷られてから、母上にばかりご苦労をおかけしてしまい申し訳ございません。

 ソフィアは母上を困らせてはおりませんか?アイツは昔から甘えたで私や兄上の後をひっついていたものでしたが。

 兄上は、私が警察官になる事を酷く反対されてましたが、いつか一人前の警察官となった暁には、兄上との和解を切に願う所存でございます。


 追伸 次のお休みに帰る時のお土産は何が良いでしょうか?


 ユリウス・フォン・ガーランド


――――――――


「頑張ってるのね。よかった」


 丁寧に綴られた文字を目で辿りながら、カトリーヌは息子の様子を思い浮かべて笑みを浮かべた。

 プラチナブロンドの髪、うっすらと薔薇色に染まった頬、深い蒼の瞳は一目でやんごとなき身分の人間だと分かるだろう。だが、その身に纏うのはベージュ色の作業服。そしてティアラを被る筈のその頭には【JA】と書かれた深緑色の帽子が被せられている。


「ガーランドさん!ちょっとフォーク動かしてくんねぇか!田中さん所から100袋届いたからよ!」


 同じ帽子を被った高齢の男性に呼ばれ、カトリーヌは手紙を丁寧に畳み、ポケットに入れた。


「はぁい!分かりました!」


 カトリーヌは颯爽とフォークリフトに飛び乗ると、素晴らしいハンドル捌きで倉庫内へ米袋を積み上げていった。


 ――愛するユリウスへ


 お手紙ありがとう。頑張っていますね。母は安心しました。

 ソフィアは相変わらずですよ。心配しないで。今は好きなアイドルに夢中になっているのでそれだけが心配です。

 お兄ちゃんの事ならあなたが気を揉む事はありませんよ。あの子はちょっと気難しいのは知っているでしょう?お父様の後を継いで、騎士団の再建に立派に尽力しています。大丈夫。いつか分かり合える日が来るわ。

 あなたは目の前の事を精一杯頑張りなさい。

 警察学校の卒業式、楽しみにしてます。


 PS.今、私とソフィアは市営のアパートを借りて住んでます。(お兄ちゃんは反対したのだけれど)あとお母さん、水川きよしのコンサートに行くために農協の倉庫でパート始めたの。フォークリフトの免許も取りました。


 ――――――


「ええっ!」


 最後の一文に、思わず大きな声が出た。が、すぐに自分のいる場所を思い出し口を継ぐんだ。

 警察学校の談話室は夕食後の自由時間であったが、静まり返っていた。皆、中間試験の為の試験勉強にピリピリしているようだ。


「なんだよ。どうしたユリウス」


 隣で教科書を開いていた同期の芝田(しばた)が声を潜めて聞いてきた。彼はユリウスと同室で、一番気の合う同期生だ。


「いや……母さんが農協の倉庫でパート始めたって……」


 その言葉に芝田は間抜けな声を出してぽかんとユリウスを見つめた。


「は?いや、お前のお母さんお妃様だよな?いや、え?パート?」

「いや、もう元だし。今は兄さんが後継いでるから。まぁ、城にいるよりいいんじゃないかな」

「そうだよな……お前も王子様だもんなぁ……見た目もだけど……なんでここにいるんだってたまに疑問だよ」

「うるさいな。王子なんて名前だけだし。城なんかWi-Fiもネットもないんだぞ最悪だあんな所」


 芝田のため息にユリウスはムッとしながら答えた。


「そこ、うるさいんだけど」


 怜悧な声に2人は首を竦める。

 恐る恐る見れば白金の髪をひっつめにした女性初任課生がきつい眼差しで2人を睨んでいた。その耳は長く特徴的な形をしており、彼女がエルフ族の血を引いているのだとすぐに分かる。


「やべ、短期の副総代だぜ」


 芝田が耳打ちする。初任科の教場は大卒の短期(6か月)、高卒の長期(10か月)に別れる。ユリウスは長期教場で短期教場の学生にはあまり面識がなかったが、特別区出身(ガーランド出身)は長期短期合わせて2人しかいない為、否が応でも名前を聞いていた。


「すみません、エルミラさん」


 ユリウスの謝罪に、エルミラは無表情のまま分厚い警察六法を捲り始めた。ほっと胸を撫で下ろす。


「こっわ……マル暴志望なんだとさ……怒らせんなよ。柔道の特練だぜ」


 特練とは、特別訓練生の事で、柔道、剣道、逮捕術において一定の段位、もしくは大会に出場し優秀な成績を残した実力がある警察官が指名される。


「すごいなぁ。芝田はどこ志望?」

「俺?俺は白バイ。兄ちゃんが交機(交通機動隊)だから」

「芝田のお兄さん、白バイ大会優勝してたもんね」

「お前はどうなんだよユリウス」

「僕は……地域かな。交番がいい」

「マジかお前、地域って昇任する気あんのかよ」


 地域課はすなわち交番のお巡りさんも含まれる。制服でパトロールしている警察官の殆どは地域課の警察官だ。

 地域がスタート地点と言われるように、地域課から昇任して他の課へ異動してゆくのが一般的である。


「いいだろ別に。ほらまた怒られるぞ」


 ユリウスは芝田を肘で軽く突くと、チラリとエルミラの方を見やる。鋭い視線がこちらに来る前に2人は慌てて教科書を開いた。

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