第2話 騎士様の入店はご遠慮下さい

「貴様!私が誰か知っての狼藉か!」


白金色の全身鎧(フルプレート)の騎士の声が長閑な畦道(あぜみち)に大きく響き渡る。同じく傍らの真白い乗騎が戸惑ったように鼻を鳴らした。

 傍には白と黒のツートンカラーのパトカー。傍から見れば酷くシュールな光景だろう。


「はいはい。知ってますよ。ゼペット……えーと、シュタインブルクさん?」

「シュタイン【ベ】ルクだ!!」


 警察官が身分証と騎士風の格好をしている男を交互に見上げた。身分証は羊皮紙のようなもので明らかに手書きだ。警官はもはやこんな事態には慣れ切っているといった風で、次にはバインダーに挟まれた書類にペンを走らせている。

 但馬次郎(たじまじろう) 警部補。45歳。境島警察署 地域課自動車警ら係。柔道5段の特別練成員でもある。

 彼の隣で、緊張した面持ちで成り行きを見守っているのは、若い男性警察官。真新しい制服に身を包んだその面立ちは、まだあどけなさが抜けきらない。彼は警察学校を卒業したばかりの新人巡査であった。卒業したばかりの警察官は地域課の先輩警察官の下で半年ほど基本的な業務を実戦で学び、業務の基本と対応を培う。


「だから私は!フィンブルグ公領第三騎士団の千人長だぞ!」

「そうなんですか。だからといって一時停止無視はダメですよねー。騎馬はね、軽車両だから。あとちゃんとした身分証あります?」


 それにもの凄いスピードだったでしょ。ね?お巡りさん競馬場かとびっくりしましたよ。と落ち着いた口調で自称千人長と名乗る男を諭す。柔らかな口調は、流石にベテランと言ったところか。


「私は忙しいのだ!全く不愉快だ!失礼する!」


 突然激昂したように、騎士が立ち去ろうとする。その不自然な行動に、若い巡査がそれを止めようとしていたが、その前に大きな影が目の前に躍り出た。


「まぁまぁ。ちょっと待ちましょう。ね?」


 男はその大柄な警察官を見て何か喚こうとしたが、言葉に詰まったように俯いた。2メートル近いその体躯はレンガ色の堅い鱗に覆われており、特徴的な縦長の瞳孔は見つめるものを圧倒する迫力がある。リザード族の警察官は、強面の見た目から意外なほど穏やかな口調で男を宥め続けた。

 その時。胸に付けた所轄系の無線が鳴った。書類を作成していた但馬が大柄な警察官を呼んだ。


「毒島(ぶすじま)部長。無線聴いてもらっていい?」

「わかりました」


 毒島と呼ばれたリザード族の警察官が無線機のボリュームを上げた。


 ≪境島から境島2の移動≫


 本署からの無線であった。毒島が無線に応答する。


「境島2から境島。現在○○地内。交通違反対応中となりますどうぞ」

 ≪了解。一般加入(※110番通報ではなく、通常の電話通報)より無銭飲食の申報あり。現場(げんじょう)にあっては境島町戌亥、ヤマダ蕎麦店。被疑者(マルヒ)にあっては店主の制止を振り切り、3500円分の飲食代を払わずに逃走。狢穴(ムジアナ)方面へ逃走した模様≫

「本署から?なんだって?」


 書類を書き終えた但馬が毒島へ問いかけた。


「食い逃げっすね。ヤマダ蕎麦で。狢穴方面逃走中です」

「狢穴っちゃあ、この近くだな……マルヒの人定(じんてい)聞いてくれる?もしかしたらビンゴかもしれねぇ」

「了解っす」

 但馬の鋭い視線が、そわそわと落ち着かない様子の自称騎士を捉えた。小声で毒島に指示を出すと、ゆっくりと男に近づいた。


「いやぁ、お時間取らせちゃって申し訳ありませんでしたね。こっちも仕事なんで」


 日に焼けた顔に浮かぶ笑顔は、先程の会話などおくびにも出さない屈託のない人好きする笑顔だ。但馬は地域部【職質指導班】出身。所謂職務質問のプロ集団だ。中でも彼の巧みな話術と鋭い観察眼で犯罪者の嘘を見抜くその技術は、県内でも屈指に入る。


「いや、私も落ち度があった。すまぬ」


 手のひらを返したようなその態度は但馬の職質センサーに引っかかった。


「でね。ちょっと2,3教えてほしいんですけど」

「なんだ」

「さっきはどこから来たの?まあ、この道、農道の一本道だからな。戌亥辺りから?観光?この辺何もないでしょ」

「あ、う、いや、その」

「あー。でもあそこ、戌亥にさ、お蕎麦屋さんありますよね。結構美味しいんだけど、場所分かりづらいんだよね」


 にこやかに話しているが、但馬の眼は笑ってはいなかった。鋭い観察眼は更に男の狼狽を見抜いていた。

 パトカーの近くで本署と無線でやり取りをしていた毒島巡査部長が3人の方へ歩いてきた。


「但馬班長。人定判明しました。ビンゴです」

「ね?シュタインベルクさん。言わなきゃいけない事、あるんじゃないの?」

「何と無礼な!」


 再度、自称騎士が声を荒げた時であった。


「……あの、すみませんがガーランド(特別区)にはフィンブルク領という名の場所は存在しません……」


 後ろにいた若い巡査が、遠慮がちに手を挙げて言った。「へ?」と自称騎士の間抜けな声が長閑な農道に響く。すかさず但馬が巡査を振り返った。


「そうなの?」

「はい。既にガーランドが特別区と認定された時に資本主義政策が導入されて、自治貴族制は廃止されてますし、私設軍隊を持つことも法令によって禁止されています。今は貴族の肩書だけはそのままに一般市民と同じ扱いです」

「へえ~。だってさ。シュタインベルクさん」



 但馬が兜に覆われた顔を覗き込むように見る。自称騎士はブルブルと震えると、腰の柄に手をかけようとしたが、蛇の如く伸びた濃紺の腕がそれを捉えた。鋼の腕筒がミシリと嫌な音を立てている。鱗に覆われた大きな掌と鋭い爪は鋼ですら簡単に引き裂くことが可能だ。


「ダメだよ。そういうのは。ね?騎士なんだからさ。ちゃんとしないと」


 毒島巡査部長の声はあくまでも冷静だ。

 男はよく分からない呻き声を出しながら、がくりと肩を落とした。


「すいません……」

「ホントの名前と、生年月日言って」

「〇〇です」


 毒島が氏名と生年月日から照会をかける間、但馬が男を粘り強く諭す。

 それが但馬班のやり方だ。


「何で食い逃げなんかしたの」


 但馬が優しく声をかける。男は観念したように兜を脱ぎ、項垂れた。どこにでもいそうな、やつれた中年の男だった。


「いや、自分、無職で、その。お金なくて」

「鎧は?」

「前に仕事してた頃フリマアプリで買いました」

「何で鎧?」


 至極もっともな問いに男は「趣味です」と答えた。


「そっかー。あなた住所、ホントは○○(他県)でしょ。馬でここまで来たの?」


 自称騎士の無職男が頷く。3人の警察官は驚いたように声を上げた。


「マジで?すごいね。馬はどうしたの?」

「馬は、○○(他県)の乗馬施設から盗みました。乗馬部だったんで。金なくて、その、自分、異世界転生小説とかすごく好きで、此処に来れば新しい自分になれるんじゃないかなって」


 但馬たちは呆れたように男を見る。無理もない。


「あのねぇ。気持ちはわかるけど、盗みはいけない事なんだよ。此処だってちょっと変わってるだけで他と変わらないからね? それに君自身が変わらないと環境は変わらないかんね?」


 但馬が優しく諭しながら、男をパトカーに乗せる。男はしゃくり上げながら号泣し始めた。若い警察官が男を宥めながら隣に座り、毒島が事の顛末を無線で署に報告する。


「班長、馬、どうします?」

「取り敢えず置きっぱなしにはできねぇべ。応援来るまで待機だ」

「了解です」


 後部座席で、男は「すいません、すいません」とずっと泣き続けている。毒島は助手席から優しく声をかけた。


「お兄さん、乗馬上手いんだね。あんな鎧着てあんなに走らせるの中々本業の騎士でもできないよ。役者になったら?」


 毒島巡査部長の実家は代々リザード族戦士の家系であった。遥か昔は領地を巡り人間達と争う事もあったらしい。それが地震と共に特異地区と呼ばれる場所が発生する天変地異が起きてから数十年。種族雇用均等法が可決され、どんな種族でも差別されることなく職に就くことが出来るようになった。彼はリザード族初のI県警警察官である。ちなみに本名はかなり長く発音しづらい為、改名している。


「うっ……そんなこと言われたの初めてで、ありがとうございます……」


 男はまた泣き始めた。窓の外を見ると、遠くからパトカーや原付バイクの警官が続々と向かってきていた。


「さて、応援が来たから、行くか。〇〇さん」

「はい」


 但馬の言葉に男は素直にうなずき、警察署へ任意同行という形になった。(刑法第二百四十六条、詐欺罪により通常逮捕)

 


「あの、貴方はなんでそんなに特別区に詳しいんですか?」


 ひとしきり泣きじゃくった後、後部座席で手錠をかけられたまま、自称騎士男が隣に座る若い巡査を不思議そうに見つめた。彼は、少しだけ戸惑ったように前に座る上司達を見つめた。


「この子ね。王子様なの。ガーランド王国の」

「えっ!」


 運転席の但馬の言葉に、男は声を上げた。


「元ですし、第二王位継承なのであまり関係ありませんよ……ユリウス・フォン・ガーランド巡査です」


 ユリウスと名乗った巡査が帽子を取った。長ければさぞや王子に相応しいだろう綺麗な金髪は短く刈り上げられている。


「しかも半年前に警察学校を卒業したばっかりだからな」


 本署に連絡を取り終えた毒島が助手席から顔を覗かせた。自称騎士男が呆けたように呟いた。


「王子様が、警察官ですか……」

「そう。普通の人と変わらないんだよ。貴方が異世界って言ってる場所に住んでる人も、ウチらもね」

「………」


 俯いて黙り込んでしまった男を見て、ユリウスは少しだけ居心地悪そうに座り直して、窓の外を見つめた。


「あ、ほら、○○(男の本名)さん。あそこが境島警察署ですよ」


 窓の外を指差して、ユリウスが男に声をかけた。田園に囲まれた国道沿いにぽつんと建てられたその警察署は、いかにも田舎の、普通の警察署と言った佇まいであった。


「普通ですね……」

「普通に決まってるじゃん」

「何を期待したのさ」


 運転席と助手席からすかさず笑い声が飛ぶ。男も、それにつられて弱弱しくだが笑った。


 後の捜査で判明したのは、男は○○(他県)出身の無職で、I県へ徒歩で移動しながら万引きや盗みを繰り返していたとの事であり、余罪多数から現在も裏付け捜査が進められている。


 これは、数十年前にI県とC県との境に突如現れた、世間では異世界と呼ばれる特別区ガーランド王国と、I県の境の治安を守る、警察官達の熱き戦いの記録である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る