【第一部完結】激闘!異世界警察24時最前線スペシャル!
片栗粉
第1話 伸びるな我が冷やし中華、と警官は言った。
酷く蒸し暑い夏の夜だった。
築三十年以上の交番は、それまでに何度も修繕されてはいたが、空調の類がまともに機能しなくなって久しい。
I県警境島警察署、戌亥(イヌイ)交番所長の林 浩二警部補は、古い事務机に向かい、扇子で顔を仰ぎながら勤務日誌をつけていた。
五十半ば、地域警察官三十年のベテランである。
「あっづいなぁ。夜なのに32℃とか干からびそうだ。……あ、所長、飯どうしますか?」
相勤者(あいきんしゃ)の西山巡査部長が汗でまみれた顔をタオルで拭う。林と西山の食事は大体が地元の店屋物だ。警察署独自のメニューがある店も多い。
気休めの扇風機が事務室の片隅で、耳障りな音を立てて首を左右に動かしていた。
「どうすっかな……俺、ダイエット中なんだよ。豆腐サラダと鮭握りと……いや、冷やし中華か……」
そう言いかけたとき、林はカタカタと扇風機が揺れているのに気づいた。
「あ、地震だ」
西山が扇風機と同じくぎしぎしと音を立てる天井を見上げた。
すぐにドン!と地面が突き上がるように揺れ、机の上の書類がばさばさと零れ落ちる。
「大きいぞ!これ!」
簿冊が入った戸棚を手で押さえながら、林が叫んだ。西山も別の棚を押さえ、揺れが収まるのを待った。
びしりと壁に亀裂が入り、ともすれば崩れ落ちてしまうのではないかという恐怖が二人を襲った。
だが、揺れは徐々におさまり、二人はほっと息をついた。
「結構揺れましたね」
「そうだな。地震速報やってっかもしれねぇからテレビつけっぺ」
その言葉に、西山が事務室の端に備え付けていた古いテレビのスイッチを入れたが、砂嵐だけで何も映らない。
何度か叩いてもうんともすんとも言わず、ザーという音だけを垂れ流していた。
「あれ?映らない。もう限界ですかね……」
「だな。今度会計さんに直してもらえるか聞いてみっか」
林が机から落ちた簿冊を拾っていると、県内系の警察無線の受信機からけたたましいアラームが鳴り響いた。
≪I県本部から、境島(サカイジマ)≫
受信機からあまり聞きたくない言葉が聞こえた。本署の当直員が応答するのが無線から響く。
≪不審者情報。畑に不審な男がいるとの通報。
現場(げんじょう)にあっては境島町戌亥○○ー××、申報者〇〇自宅前の畑となります。なお、臨場の際は十分に気を付けられたい。134番で送信。≫
無線が終了したのを確認してから、林は本署へ無線を入れた。
「境島12から境島」
≪境島ですどうぞ≫
「先程の134番の申報ですが、こちらから現場に向かいますどうぞ」
≪了解。今から刑事課員と境島2も向かいますので、受傷事故等十分に注意してください。以上境島≫
境島2とは自動車警ら係(パト係)の呼称である。
「やれやれ。飯は後になるな。警仗(けいじょう)持って行くぞ」
「了解です」
林はため息をつきながら、夜間は机のそばに立てかけてある木製の警仗を手に取った。
同じくして西山がパトカーの鍵を持って運転席へ乗り込んだ。
「じゃあ、行くべか」
「了解」
夜の農道には街灯すらついてはいない。夜8時過ぎだというのに殆ど深夜と変わらない。パトカーのライトだけが延々と伸びる道を照らしていた。
片側は雑木林が生い茂り、反対側は見渡す限りの田園だ。真昼なら青々とした風景が心地よくも感じられるが、今は深海のような闇の中だった。
「こんな所にいるって、どこかの畑の所有者じゃないんですかねぇ?」
ハンドルを握る西山が言った。
「あり得るな。この前も杉原の爺さんが鎌持って別の家の庭に居たからな。あそこの爺さんボケてっから」
「あー。そうっすね。あの時も夜中でしたもんね」
二人は今年に入って数回保護した徘徊癖のある認知症の男性ではないかと考えていた。
自分の畑へ行ったつもりが他人の家の敷地であったり、隣の県の河川敷であったりと、度々家人からの捜索願が出される程であった。
だが、その予想は、二人が想像もしていない形に裏切られるとは露ほども思っていなかった。
「あ、あれじゃないすか?」
「え?どれ?」
運転席の西山が指さしたが林にはよくわからなかった。彼は意外と夜目が聞き、夜間のシートベルト無着用も見えるほどの視力の持ち主だった。
「あれっすよあれ……? 今いたのに……?」
林は西山が見ている方向に目を凝らしながら、無線に呼びかけた。
「境島12から境島。現着しました。車両離れますどうぞ」
≪境島了解。受傷事故等十分に気を付けられたい。以上境島≫
当直の刑事課員は今向かっているのだろう。凶器を所持している以上、細心の注意を払わねばならない。
「じゃあ行くべ」
二人はパトカーから降りた。途端に湿り気を帯びた熱帯夜独特の匂いと空気に包まれる。
懐中電灯のライトが、辺りを照らし、よく育ったトウモロコシ達が映し出される。
その隣に、明らかにトウモロコシではない影が映りこんだ。
「あ!いた!」
西山の声に、影がびくりと動く。思っていたより大分小さい。脇のトウモロコシのほうが大きいくらいだ。
徐々に近づきながら林が声をかけた。
「子供か……? おーい。ここでなにしてるのかな?」
「……」
影は答えない。
「所長、ちょっと、あれ……」
照らされたその姿をみて、林は絶句した。
子供の姿をしたそれは、子供ではなく、緑色の肌に尖った耳と鼻。ぎょろりと光る黄色い目はライトに照らされてらんらんと輝いている。
ジャガイモを髣髴とさせる頭には幾つもの小さい角が生えていた。
林は知らなかったが、知っている者が見れば、西洋ファンタジーに出るようなゴブリンそっくりだと言うだろう。
「なんだあれ……あ!」
ごつごつとしたその小さな両手に、零れ落ちそうな程抱えられたトウモロコシを見て、林が声を上げた。
「おい!それ!」
「ギィ!」
その声に驚いたのか、それは抱えていたものをばらばらと落としながら、素早い動きで暗闇の中へ走り去っていった。
「あ!ちくしょ待てこの!西ちゃん追って!」
林の言葉に西山が走り出す。林はそのまま所轄系無線機で本部へ応援を要請する為連絡し始めた。
「境島12からI県本部境島! 不審者らしき人物を確認。本職が声をかけたところ、畑のトウモロコシを持って逃走。
人着にあっては……あー、身長約130cmくらい。スキンヘッド、緑色の肌をしており、裸足。」
≪I県本部から、境島12、人着再送願いますどうぞ≫
恐らく聞き取れていたはずだ。突拍子もない単語に、端末の前で戸惑う通信指令課のオペレーターの姿が浮かんだ。
だがそんな暇はない。早く追わなければ夜の追跡は危険が伴う。迅速かつ慎重に行わねばならない。
「了解I県本部!再送する!スキンヘッド!緑色の肌で裸足!現在C県N田方面に逃走中!」
西山がその後を継ぎ、怒鳴りつけるように言いながら追いかける。マラソンを趣味とし、フルマラソンも走破する彼が猛然と正体不明の闖入者を追跡する。だがそれでも距離は縮まらない。恐るべき速さだ。トウモロコシ畑を突っ切り、国道へ出る。いつもはぽつぽつと街灯が点いているのだが、何故かすべて消えていた。
代わりに、不気味なほどに赤く大きな満月が、国道を照らしている。
正体不明の対象が、国道の上で振り向いた。だが、西山はその向こうの光景を見て、呆然と呟いた。
「こちら境島12。信じられない事だが、国道××号線からC県へ至る橋が無くなっている。○○川は此処からは視認できない代わりに……」
見た事のない広大な土地と、古い欧州の城のようなものが、確認できる。
西山は目の前の捜査対象の事など忘れたように、呆然と目の前の現実を見つめていた。
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