六十三夜 今回は賑やかだなぁ

 あおいかつらを見つけたのは、昨晩に虎児とらじと彼女を引き合わせた場所でだった。桂は庭木の方をじっと見つめている。


「桂……佳乃よしのさん」


 葵の呼びかけに、桂が振り向いた。葵の姿を認め、微笑んでみせる。


たちばな……いえ、葵さんでしたっけ?」

「橘でいいです」

「ならわたしも桂でいいわ。佳乃って呼ばれ方、慣れないの」


 柔らかい表情を浮かべて桂は言った。葵は彼女を見つめる。桂の持つ雰囲気は随分と落ち着いた、大人の女性のそれだ。

 外見だけなら自分と同じくらいに見える。けど桂は虎児の幼なじみであり、実年齢ならば四十を越えているのだ。百合ゆりにしてもそうだが〝月に捕らわれし者ルナティック〟と相対していると、他人の外見に対する感覚がおかしくなってしまう。


「桂さんは……なぜ黙っていてくれたのですか?」


 葵が訊く。桂は〝月に捕らわれし者ルナティック〟だ。虎児の幼なじみとは言え、いまは記憶も失っている。そして〝月を喰らいし者エクリプス〟である葵たちは、桂だけでなくこの教団にとっても脅威となるはずだ。

 なのに桂は葵のことを紫雲しうんに話さなかった。


「一つは、虎児さんだっけ? あの人と紫雲さまの話を聞いたせいね。月晶げっしょうとか、わからないことも多かったけど、紫雲さまが何か恐ろしいことをしたのだということは理解できたわ。そして紫雲さまが攻撃したとき、あの男性ひとは避けられたはずなのにそれをしなかった。避ければわたしに当たるってわかってたのね。

 わたしは事故にあってこの教団に拾われたわ。だから紫雲さまのことを信頼していた。あのとき、それが揺らいだの。でも――」


 葵は黙って桂の言葉を待つ。


「本当の理由は違うかもしれない」

「違う?」

「わたしね、なんとなく懐かしかったのよ。虎児さんに庇われたとき、子供の頃に同じことがあった気がしたの。わたしを守ってくれた背中があった気がね。だから、あなたのことを〝月を喰らいし者エクリプス〟だって話さないで欲しいって言われて、黙ってようと思ったのよ」


 そう言った桂はどこか吹っ切れたようだった。


「桂さん。明日の晩、また先輩が来ます。今度は紫雲と決着をつけるために」

「……そう」

「そして、もう一人、あなたに会いたがっている女の人を連れて来るそうです。紅葉くれはさんという女性ひとを」

「……紅葉」

「桂さんはその女性ひとと会ってください」


 桂は「紅葉」と何度も名前を呟く。そして痛みを感じた時のように、微かに眉をしかめた。


「桂さん?」

「ごめんなさい。最近、頭痛がね。よくするの。わかったわ」

「では、明日の晩、またここに来てください」


 それだけ言うと、葵は桂に背を向け、本殿の方へと向かう。


「これでいいですか?」


 葵は誰にともなく呟いた。


『うん。バッチリだよ。……こっちはちょっと騒がしいけどね』


 メガネに仕込まれた骨伝導イヤホンから、宗弥そうやの声が聞こえてくる。その声に疲れを感じて、葵は宗弥の苦労を思い浮かべた。


「橘さん」


 本殿に近づいた時、葵は呼び止められた。声のした方を向くと、そこには紫雲の姿があった。葵の体に緊張が走る。


「紫雲さま、どうしましたか?」


 表情に不自然さが出ないよう意識しながら葵は答えた。


「一人で行動しないように……と言っておいたはずですが?」

「すみません。敷地内であれば大丈夫かと思っていたので」

「狙われているという自覚を持ってください」


 紫雲の口調は少し厳しかった。能面に隠されていない左側の目が葵に向けられている。


「すみません」

「明日以降の〝月の癒し〟が中止になったことは聞きましたか?」

「はい」

「では明日の晩、大広間まで来てくださいませんか?」

「明日の……晩?」


 葵の背筋が冷たくなった。わざわざ明日の晩を指定してきたということは、葵たちの計画が気づかれたのだろうか。


「何か用事でも?」

「いいえ」


 葵は紫雲を見る。紫雲も見返す。彼の表情から内心は伺い知れないが、少なくとも葵を疑っている様子はない。


「ではお願いします。〝月を喰らいし者エクリプス〟はまたいつやってくるか分かりません。深山しんざんさまたちを守るためにも、一人でも多く月のがわの人間を揃える必要があるのです」


 虎児との関係に気づいたわけではないとわかり、葵は内心ホッとする。しかし彼女を大広間に呼びつける意図がわからない。

 思い浮かべた葵の心の声が聞こえたかのように、紫雲が言葉を継いだ。


「幸いにも明日は満月。あなたには〝月の贈り物ギフト〟を受け取ってもらいます」


        ☆


『幸いにも明日は満月。あなたには〝月の贈り物ギフト〟を受け取ってもらいます』


 ノートパソコンから聞こえて来た声に、宗弥の後ろで言い合いをしていた虎児と紅葉の動きが止まった。


「なに? あの、月の歌が聴けるって触れ込みで潜入したの? 〝月を喰らいし者エクリプス〟なのに」


 紅葉が画面を見て言う。ノートパソコンの画面には口元を除く顔の右半分を能面で隠した男――紫雲が写っていた。


「あいつはちぃと特別や。どっちか言うと〝月に捕らわれし者ルナティック〟に近い」

「ふーん?」


 紅葉は一度見た葵の顔を思い出す。外見の年齢だけなら、紅葉や佳乃と同じくらいに見える。画面越しに見た葵には、月に捕らわれている者特有の雰囲気というものは感じなかった。


「だけど、ちょっとマズイね」宗弥が虎児の方を向いて言う。「紫雲が何をする気かはわからないけど、葵チャン一人だとさすがに」

「せやな。逃げるだけならなんとでもなるやろうが、ここまで来てあいつは撤退なんぞせぇへんやろな」

「わたしは手伝わないわよ?」

「そんなんわぁとるわ。お前は佳乃と合流して、とっととね。宗弥、こいつの誘導を頼めるか? ワイは葵を助けに行く」

「そりゃ、構わないけど……」


 紅葉は意外だといった表情で虎児を見る。その視線に虎児が気づいた。


「なんや? いまさら騙したりせぇへんわ。宗弥やったらちゃんと案内してくれる」

「……そうじゃないわ。あなた少し変わった? いえ、変わってないのかしら」

「どっちやねん」

「葵ってのことになると、なんだか必死ね。佳乃のことより大事みたい」

「虎児サンは葵チャンに対し、過保護だからね」

「宗弥、お前は黙っとれ。葵は大事な後輩やし。……佳乃のことは別や」

「そうね。昔っからあなたはそうだった。自分のことよりも他人ひとのことを優先する」


 虎児を見つめる紅葉の視線に敵意はない。古い友人を見るときのような表情を浮かべている。虎児はそんな紅葉を見て、開きかけていた口を閉じた。

 それを見て紅葉が急に悪戯っぽい表情になる。


「でも案外、娘が出来てバカ猫も変わったのかもね」

「あはははは」

「はぁ!? 何言うとんねん、ワレ!」


 紅葉の言葉に宗弥は笑い、虎児は嫌そうな顔をする。


「あら、違った?」

「当たり前や。いくらなんでも葵みたいな娘がおる歳やないやろ」

「そう? じゃあ佳乃によく言っておかないとね。随分年下に手を出してるって」

「なんでそうなんねん!」

「だってあの二十歳はたちを超えたくらいでしょ? あんた見た目は三十前半だけど、ホントは四十越えてるじゃない。むすめじゃないなら若いにお熱を上げてるスケベオヤジね」

「それ言うたら、お前かて歳変わらへんやろ。ワイどころか葵より若こう見える分、タチ悪いわ。ワイがスケベオヤジやったら、お前は若作りのババァ……いや、近頃はロリババァ言うんやったか?」

「なんですって!? バカ猫あんたねぇ」

「…………ホント、今回は賑やかだなぁ」


 再び言い合いを始めた虎児と紅葉を見て、宗弥はどこか諦めたような笑いを浮かべた。

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