六十二夜 紫雲と深山。百合と葵。

はなぶささん、お話があります」


 朝の礼拝を終えた大広間で、深山しんざん紫雲しうんを呼び止めた。大広間の中には深山と紫雲だけが残っている。


「なんでしょうか? 込み入ったお話なら私の部屋で伺いますが」

「いえ。〝月の癒し〟を中止させていただきたい」


 そう言って深山は紫雲を真っ直ぐに見る。


「それは、なぜですか? しばらく〝月の癒し〟を行っていなかったので、希望している方も多いのですよ?」

「昨晩の侵入者のことがあるからです」

「侵入者……〝月を喰らいし者エクリプス〟のことですか?」

「はい。昨晩、侵入を許したのは、外部からの来客があったからではないですか? 普段ならこの里によそ者が来ても目立つのですぐにわかります」


 深山は落ち着いた様子で紫雲に問う。


「……それは、確かに〝月の癒し〟を行う期間だけは、こちらで把握しているとはいえ外部からの来客がありますから。その隙を、というのは否定できません。ですが……」

「英さん。私は怖いのです。百合ゆりにまで危害が及ぶことが」

「…………」


 深山の言葉に紫雲は黙る。


「あなたは昔、私に言いましたね。月の歌を聴ける者たちが安心して暮らせる場所を作りたい……と」

「そうです。その為に教団を作り、深山さまの〝月の贈り物ギフト〟を使って人を集めることを提案しました。世間への露出を控え、〝月の癒し〟を受けたり入信するには、紹介が必要という形にしたのです。

 こちらで情報の流出をある程度コントロールして少しずつ噂を流し、月のがわの人間を集めるために」


 紫雲の言葉に深山は頷いた。昔、紫雲がこの村にやって来たとき、彼は確かに同じことを言った。そして深山は知った。自分たちの言う〝月読命つくよみのみことの声〟と同質の〝月の歌〟を聴き、不老となった者たちがいるのだと。

 自分たちと同じ時間を生きていける者が、他にもいるのだと。


「それを聞いて私はあなたに協力することにしました。〝月を喰らいし者エクリプス〟という存在についてもあなたに聞いていましたし、危険なことも承知で私は教祖という立場を演じています」


 危険はあるかもしれない。それでもこの先自分がいなくなってしまっても、娘に残してやれるものがあるのなら。そう思って紫雲に協力したのだ。命ある者の儚さは、身にしみてわかっていたから。それは自分も例外ではないということも。


「ですが避けることができる危険であるなら、避けたいのも事実です。特に私の回りにまで被害が及ぶ可能性があるのなら。

 せめて今回の件が片付くまで〝月の癒し〟を中止させていただけませんか?」

「…………」


 紫雲は口元に右手を当て、少し考え込む。深山はそれを黙ってみていた。


「わかりました」紫雲が口元から手を下ろして言う。「ですが、今夜の〝月の癒し〟だけは行ってください。大事なお客さまです。できれば百合さまにも〝月の贈り物ギフト〟を使っていただきたいのですが……」


 紫雲の言葉に深山は首を横に振る。


「……わかりました。とにかく今夜はお願いします。警戒は厳重に行うよう指示しますから」

「ありがとうございます」深山が頭を下げる。

「深山さま。私にも妻子はいました。ですから、あなたの気持ちは分かります」


 深山は少し驚いた表情で紫雲を見た。紫雲は能面に手を掛け、深山の前で外してみせる。


「それは……」


 紫雲の顔の右半分。口元より上の部分には酷い火傷の跡があった。皮膚は引き攣れ、大きな痣もある。右目はほぼ潰れていた。そして眼窩に眼球はなく、月長石ムーンストーンはまっていた。


「私の娘と妻は〝月を喰らいし者エクリプス〟に殺されました。月の歌を聴いたのは娘でした。やつらは突然やって来て娘と一緒にいた私たちを襲い、二人を殺したのです。この傷はその時にできたものです」


 深山が紫雲の過去を聞いたのは初めてだった。話している紫雲の顔に表情はない。それはなにも右半分が火傷跡で動かしにくいから、というわけではなさそうだった。無事な方の目に浮かぶ光は昏い。


「私は〝月を喰らいし者エクリプス〟を許すことはないでしょう。彼らを滅ぼすことが出来るなら、何でもするつもりです」


 能面を掴む指に力が入る。面がきしむ音が、深山の耳に届いた。


「……英さん?」


 それに応えることなく、紫雲は再び能面をつけると大広間を後にした。


        ☆


 朝の礼拝を終え朝餉あさげを済ませたあおいは、本殿にある百合の部屋にいた。


「なんとか〝月の癒し〟を中止できたわ。但し、中止になるのは明日以降ね」


 百合は葵を見て言う。百合の部屋は八畳ほどの和室だった。文机に鏡台。押し入れは障子戸になっている。部屋に飾り気はなく、どことなく古風な雰囲気を漂わせていた。


「では、今夜は行うのですね」

「そうね。〝人〟を巻き込みたくないのなら、潜入は明日以降よ」

「だそうです。宗弥そうや先輩、決行は明日の夜でどうでしょう?」

『おーけー。それで行こう』


 メガネに仕込まれた骨伝導イヤホンを通じて、宗弥の声が返ってくる。


『え? ちょっと。無理だって、紅葉くれはサン。これ僕の能力だから! 葵チャンと話せるの僕だけだから!』


 イヤホンを通じてなにやら慌ただしい様子が流れてくる。昨夜から虎児だけでなくもう一人、向こうに増えたらしい。宗弥の説明だとかつら――佳乃よしのの知り合いということだった。

 その女性が「紅葉」という名前だと聞いて、葵は気づいた。虎児とらじの言っていた〝女狐〟とは彼女のことであると。


『ああもう。虎児サンみたいなこと言わないでよ。虎児サンが二人に増えたみたい』


 宗弥の疲れたような声を聞いて、葵は思わず笑った。それを百合が不思議そうに見る。


「ほんと、便利な世の中になったのね」

「宗弥先輩の能力あっての便利さですけどね。かけてみます?」


 そう言って葵はメガネを百合に差し出した。


「いいの?」


 百合が興味深そうにメガネを受け取り、そっとかける。


『分かったって、伝えるから。あー葵チャン……って、あれ? 葵チャンが映ってる』

「ああ。ごめんなさい。メガネをかけさせてもらったの。すぐに返すわ」


 そう言って百合がメガネを取ろうとする。


『ああ、いいよ。桂……じゃなかった、佳乃って人を映して欲しいんだって、葵チャンに伝えておいて。もうっ、これでいい?』

「わかったわ」


 声で向こうの状況を察したのか、百合が笑う。そしてメガネを外して、葵に返した。


「桂さんを見せて欲しいって。あなたたちは賑やかね」

「多分、いつもより賑やかです」メガネをかけ直して葵が言った。「あたしはこれから桂さんを探しますが、百合さんはどうしますか?」

「里の者たちに、あなたたちのことを伝えておくわ。見かけても気にしないようにって。それと明日の晩、何があっても教団に近づいちゃ駄目ってこともね」

「そうですね。巻き込まれたら……そうだ、宿坊にいる信者の人たちはどうしますか?」

「それは明日にしましょう。信者の中には紫雲に目をかけられてる人もいるわ。そこから話が漏れないようにしないと」

「では、もし桂さんが施設の外にいたら、あたしが探していたって伝えてください」

「わかったわ。伝えておくから、それまでは大人しくね」


 百合は葵と、メガネの向こうのメンバーに向かって言った。

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