六十一夜 運転はワイがする

 教団の敷地を飛び出し、虎児とらじは山の中を進んでいた。追っ手が来る様子はなかったが、宗弥そうやの待つ場所まで大きく迂回して山の中を進んでいた。


「宗弥、スマン。助かった」

あおいチャンも大丈夫。あのかつらって女性ひと紫雲しうんに葵チャンの正体を話さなかったみたい』

「ほうか。ワイの我が儘で、葵には申し訳ないことをしたな」


 虎児の顔に安堵の表情が浮かぶ。

 そのまま山を抜け、一度、場所を確認するために県道へと出た。しばらく道沿いに進む。カーブを曲がったところで、背後からヘッドライトの光が虎児を照らした。


 車の来た方向を考えると教団からの追っ手の可能性は低い。それでも用心のために虎児は姿を隠そうとした。そのとき――

 車は予想以上の速度でカーブを曲がって来た。タイヤが軋む音を立て、虎児の方へと突っ込んでくる。


「マジかいな!」


 車のバンパーが体に接触する寸前、虎児は素早く飛び上がった。迫ってくる車体に沿うように体を回転させ、獣化した腕でボンネットに触れる。ボンネットを抑えつけるようにして腕力のみで更に浮き上がり、そのまま屋根へと登った。


 車は急ブレーキをかけ、車体を右回りにスピンさせる。

 虎児は屋根の上で一回転して車体横へと投げ出された。猫のように器用にバランスを取ってアスファルトの上に降り立つ。

 車は対向車線にはみ出し、ガードレールにリアを接触させて動きを止めた。国産の高級セダン。そのボンネットが大きくへこんでいる。


「だ、大丈夫ですか!?」


 運転席側のドアが開き、若い女性の声が聞こえた。ヘッドライトの中に小柄な女性のシルエットが現れる。虎児は少し身構えて、様子を伺った。


「ごめんなさい。スピードが、出てたみたい、で、予想以上に」


 やや混乱した様子で女性が駆け寄って来た。腰まで届こうかという長さの髪が揺れるのが、シルエット越しにも分かる。

 白のニットの上にベージュのマウンテンパーカー。下はデニムパンツ姿の女性。小柄でほっそりとしているが、女性としての曲線美を備えている。

 女性が着ているのが作務衣ではないことを確認し、虎児の緊張が緩む。

 更に女性が近づき、その顔が見えた。


「ああ。大丈夫ですよって、気にせんで……」


 その顔を見て、虎児の言葉が止まった。


「女狐? なんでお前がおんねん!」


 虎児の言葉に女性の、やや横長で黒目がちな目が大きく開かれる。そして形のよい唇が動いた。


「バカ猫!? なんで……」


 女性――あき紅葉くれはが言う。そして何かに気づいたようにハッとした表情になる。


「アンタがここにいるってことは、近くに佳乃よしのがいるのね!?」

「お前、佳乃を追いかけて来たんか?」

「やっぱり! どこにいるの!」


 紅葉くれはは近寄って、虎児の上着を掴む。


佳乃あいつは近くの村におる」

「村? あんたと一緒じゃないの?」

「ワイは別件で来ただけや。そこにたまたま佳乃がおってん。ちゅうか、お前も知らへんかったんやな」


 虎児は驚いたように言った。その言葉を聞いて紅葉の表情が険しくなる。


「佳乃に何があったの!?」

「…………あいつは記憶をなくしとる。ワイのことも、お前のことも……覚えとらへん」


 しばし沈黙の後、虎児が絞り出すように言った。


「せやけど元気なんは確かや」


 突如、紅葉は両手で顔を覆い泣き始めた。


「お、おい。なんや急に」


 紅葉の様子に、虎児がうろたえる。


「良かった。佳乃生きてた。月長石ムーンストーンが反応したから、生きているとは思ってたけど。佳乃のストーカーのバカ猫あんたが言うんだったら間違いないわね」


 顔を上げ、充血した目をしながら、紅葉は笑ってみせる。


「褒めるんか、貶すんか、どっちかにせぇや。そう言や、なんでお前ら離れとったんや。喧嘩でもしたんか?」

「喧嘩なんてしてないわよ。わたしが風邪で寝込んで、支援者パトロンの家で休んでたの。佳乃だけ引っ越しの手続きで帰ってそれっきり……」

「そんときに土砂崩れに巻き込まれたっちゅうわけか」

「巻き込まれた? 佳乃、無事なの!?」

「せやから元気やて、さっき言うたやろ。いまは〝月の祝福〟教団におる」

「〝月の祝福〟教団? なにその怪しい宗教みたいなの」

「みたいな、やのうて新興宗教やな。表向きは」

「表向き?」

「ホンマは〝月に捕らわれし者ルナティック〟を集めとる。言うてもいまおるんは四人だけで、あとは〝人〟やが」

「……そう」


 紅葉はそれきり何も言わない。何か考え込んでいるようだ。


「なんや。お前のことやから、いますぐにでも教団に乗り込むかと思うとったんやが、えろう大人しいな」


 紅葉は一瞬、虎児を睨んだ。そしてすぐに表情を和らげる。それはどこか弱々しく、虎児の知っている気の強い紅葉とは違っていた。


「佳乃と話したことがあるの。そろそろ人気ひとけのないとこで暮らさないかって。だから、もし佳乃が教団で静かに暮らしてるのなら、そっとしておく方がいいのかなって……」

「あいつが本心から望んどんのやったら、それもええ。せやけどあの頑固モンはおんどれのそばにおることを選んだ。なによりいまは記憶をうしのうとる。せやけどお前と過ごしたことは断片的やが覚えてんねや。

 どうするかはうてから決めてもおそうはないやろ」

「……バカ猫」


 紅葉が驚いたように虎児を見つめる。そしてすぐに淡い笑みを浮かべた。


「そうね」


 虎児は決まり悪そうに顔をそらす。


「そないしおらしいお前を見とると、なんやかゆうなるわ。それに、悪いがワイらが来た以上、あの教団は潰さしてもらうで。特にあの能面野郎は絶対にしばく」

「能面野郎?」

「おう。教団を作ったやつや。あいつは月晶げっしょう使つこうて〝人〟にまで手ェを出しよった。あいつだけは絶対に許さへん」


 そう言って、虎児は先ほどあったこと。教団のことを紅葉に話した。


はなぶさ紫雲しうん九重くのうかずら……聞いたことないわね。それに隠れ里の話も初耳ね」

「いうて〝月に捕らわれし者おまえら〟は殆ど群れへんからな。知らんでも当たり前やろ。

 ちゅうことで、お前とは一時休戦や。紅葉」


 名を呼ばれ、紅葉が虚を突かれたような表情になる。そしてすぐに不敵な笑みを浮かべる。


「……わかったわ、虎児」


 そう言って、紅葉は虎児に背を向け車へと戻っていく。虎児はその後ろについて一緒に歩き始めた。


「…………」

「…………」

「ねぇ」

「なんや?」

「なんでバカ猫がついてくるの?」


 紅葉は立ち止まって虎児の方を振り返る。


「そんなん、仲間んとこに案内するために決まっとるやろ」

「はぁ? なんであんたの仲間の所に行かなきゃいけないのよ。まさか休戦とか言いながら、わたしを捕まえて佳乃を独り占めする気!?」

「なんでそうなんねん」虎児が呆れたように言う。「教団にはワイの仲間が潜り込んどる。何も知らんお前ひとりで行動するよりは、ワイらと一緒に行動した方がええやろ?」

「それは……そうだけど」

「なら、決まりや。ええな宗弥?」

『あーもう。虎児サンはいつも勝手だからね。あとで社長に怒られても知らないよ?』


 いままで黙って成り行きを聞いていた宗弥が、ため息をつきながら答える。


「社長の方は大丈夫や……多分」

「誰と話してるの?」

「仲間や。無線で話しとる。それよかお前、エエ車持ってんやな」

支援者パトロンから借りたのよ……とても返せないないけど」


 紅葉は車の前までくると、大きくへこんだボンネットを見てため息をついた。


「ちょっとへこんだだけやし、エンジンさえかかれば問題あらへん」

「これがちょっとって、あんたね」


 言いながら、紅葉は運転席に行く。虎児は助手席側に回った。そしてドアを開けようとして、車体側面そくめんのへこみに気づく。


「なぁ、一つ訊いてもええか?」

「なによ?」

「どう考えてもさっきのとは関係あらへんへこみや傷が、数多くようけあるんやが」


 夜のなので気づかなかったが、近づいて見ると車体にはいくつものへこみや傷ができているのがわかった。


「…………」


 運転席のドアを開けようとした紅葉の動きが止まる。


「さっきもえらい速度で突っ込んできよったが、まさか無免許で運転しとったんやないやろな?」

「も、持ってるわよ…………ペーパーだけど」


 最後の方は小声になりながら紅葉が言う。虎児は何も言わずに紅葉を見ている。


「だって、いつも運転してたの佳乃だし」

「…………運転はワイがする」


 紅葉は車を見て、虎児を見る。彼女と目が合うと虎児は首を横に振った。

 それを何度か繰り替えすと、紅葉は渋々といった様子で後部座席のドアの前へと移動した。

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