二十一夜 泣いてんのか
唐突に、目が覚めた。いつの間にか眠っていたのだ。ほとんど身動きのとれないこの状態で眠れる神経の図太さに、
冬は日が暮れるのが早い。部屋の中はすっかり暗くなっていた。暗さに慣れた目は、なんとか部屋の形を伝えてくれる。
ついさきほどまで見ていたのは夢。それは懐かしい記憶。
「懐かしいなぁ」
美紀はポツリと呟いた。
小学校に入って間もないころの記憶。母親と喧嘩して初めて家を飛び出したときの記憶。九年たった今でも、美紀はしっかりと覚えている。
自分が月の歌を聴いたのは、あの時が初めてだった。迷子になって、心細くて、でも誰もいなくて、どうしたらいいかわからなくて……。そんな時、月の歌を聴いたのだ。
いや、あの時は聴いたというよりは気づいたというのが正しいのかもしれない。月の歌に気づいたときの、何とも言えない懐かしさ、切なさ。まるで、自分を包んでくれるような優しさを、美紀は感じたのだ。
そして理解した。いつでも月の歌は美紀のまわりに満ちていたのだ。なぜなら、月の歌とは月光そのものだから。
美紀はもう、寂しくなかった。そのままどこへでも行けそうだった。どこにいても月があれば生きていける気がした。
多分あのとき、美紀は月に捕われたのだ。
(でも……)
そのままどこかに行ってしまわなかったのは、自分を呼び止める声があったからだ。隣に住む、幼なじみの男の子の声。
月の歌よりも身近で力強い声で、少年は美紀の名前を呼んでくれた。そして美紀のことを〝ひつよう〟だと言ってくれた。
「ばかだよね。〝ひつよう〟の本当の意味なんて、知らなかったのに」
でも、美紀は恵が〝ひつよう〟だと言ってくれたから戻ったのだ。
(そうか)美紀は心の中で呟く。(あたしは、めぐっちゃんにもう一度〝ひつよう〟って言ってほしかったんだ)
歳を重ね、お互い一緒に遊ばなくなって、それでも気づくと美紀は恵のそばにいた。それが普通だと思っていたから。
「ばかだな、あたし。めぐっちゃんは覚えてなんかいるわけないのに」
言葉にすると、涙が出た。涙が出ると、声も出た。止まらなかった。声を止めようとすれば涙が出て、涙を止めようとすれば声が出る。手で拭うこともできず、口を抑えることもできない。
――ガタ。
格子戸が開いた。マグライトの明かりが美紀を照らす。まぶしさのあまり、美紀は目を細めた。
「泣いてんのか、嬢ちゃん」
「…………」
美紀は答えない。泣き顔を見られまいと、床へと顔を向ける。
「帰りたいか?」
虎児は美紀の近くまで来ると、しゃがみこんだ。
「………ないじゃん」
「?」
「帰りたくないわけ、ないじゃん!」
美紀は顔を上げ、叫ぶ。目は充血して、端にはまだ涙が溜まっている。鼻水もでていた。たぶん顔は涙でぐちゃぐちゃだろう。
それでも虎児に向かって叫んだのは、怖くて泣いているのではないからだ。
「いきなりこんなとこ連れてこられて、わけわかんないこと言われて……。なんなのよ、あんたたち。帰してよ!」
虎児は、美紀の剣幕に驚いた表情を浮かべた。だが、すぐに破顔する。
「しおらしく泣いてんのかと思うたら、気丈な嬢ちゃんやな」
「うっさい! ここから帰せ!」
「ええで」
「…………え?」
今度は美紀が驚く番だった。すごまれると思っていたのに、虎児はあっさりと承諾したのだ。美紀を見る瞳は、優しい光すら浮かべている。
「帰して……くれるの?」
「せや」
「でも、あのお坊さんはあたしをおとりに使うって……」
「
虎児の声は固い。本気で怒っているようだった。
「さっきも言ってたけど捕われるって、何? 紅葉さんが〝月に捕われる〟って言ってたのと関係あるの?」
虎児が美紀の目を見つめる。真剣な様子に、美紀は息苦しさを感じて身じろぎした。少女には、目の前の男が話すかどうか悩んでいるように見えた。
永遠にも、一瞬にも感じられる静寂。
吐き出した息と共に、虎児は表情を緩めた。
「嬢ちゃんは、どこまで知ってんねや?」
「どこまでって……何も」
「月が歌っとることは?」
「知ってる。あたしも聴けるから」
「ほうか……。ワイらは、月の歌を聴ける人間のことを〝
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