十九夜 玉桂にて 其ノ五

 ――カラン、カラン。


 来客を告げるベルの音が二人の会話を中断した。佳乃よしの紅葉くれはは、同時に入り口へと顔を向けた。


「いらっしゃいま……って、あれ?」


 扉を開けた人間を見て、佳乃の言葉が止まる。扉からは美音子みねこ瑞穂みずほ、そして佳乃の知らない少年――けいが入ってきた。

 三人ともジャージ姿で、息を切らしてる。


「あなたたち、学校はどうしたの?」


 紅葉が不思議そうに訊ねる。


美紀みのりがいなくなったんです」

「え?」


 瑞穂の言葉に佳乃と紅葉は顔を見合わせた。


「いつから?」

「昼休憩のとき、トイレに行ったっきり……」


 少女二人は、昼間に起こったことを説明する。そして美紀を襲った男の言葉からこの店に来たことを話した。


「……まさか、虎児とらじが?」


 先に反応したのは、佳乃の方だった。


「あの男を知ってるんですか?」


 恵が前に出る。


「君は?」

「俺は、美紀の……」


 恵は言いかけて口をつぐむ。続く言葉が見つからないようだった。


来崎くるさきの幼なじみで、折原おりはらけいです」


 美音子が代わりに答える。

 それを聞いた佳乃の表情が、優しいものへと変わる。恵を見る表情はどこか懐かしいものを見ているようだ。

 その視線を遮るように、紅葉は前へと出た。


「あなたが〝めぐっちゃん〟ね」

「!」


 見知らぬ女性に美紀しか呼ばない愛称を言われ、恵は赤くなる。


「紅葉、知ってるの?」

「昨日、美紀ちゃんが話してくれたわ。あいつからお姫様を救ったナイト君よ」


 揶揄するような紅葉の顔と声。恵を見る視線はどこか冷たい。


「からかわないで下さい!」


 恵は紅葉を睨みつけた。


「あら、怒っちゃった? ゴメンなさいね。可愛い男の子を見ると、ついからかいたくなるの」

「紅葉!」


 紅葉の恵に対する言葉には端々に棘があった。佳乃にたしなめられ、紅葉は肩を竦めてみせる。


「ごめんなさい。紅葉も悪気があって言ったんじゃないの」


 紅葉にかわって佳乃が謝った。紅葉はぷいっと背を向け、奥へと消える。その様子は悪戯をして謝らない子供と、その保護者といったふうだ。


「いえ。気にしてませんから」

「ありがとう。美紀ちゃんのことはこっちでも調べみるわ。何かわかったら教えてあげるから」


 佳乃の恵に対する言葉は、紅葉と対照的なほど優しかった。


「あの男と美紀がいなくなったことと、何か関係があるんですか?」

「今はなんとも言えない。だから調べるの」

「あなたは、あの男と知り合いなんですか?」

「……ええ」やや間を置いて、佳乃が答える。

「俺、あのとき美紀を守ろうとしました。でも手も足もでなかった。

 何者なんですか? あいつも、あなたも」

「そうね。なんて言えばいいのかな……」


 そう言って、佳乃は少しだけ寂しそうに笑った。


「教えてあげればいいじゃない」


 奥に入っていた紅葉が、木製の箱を持って現れた。正方形でクッキーのギフト缶を思わせる大きさ。その上にはひと回り小さな、これも木箱が積まれていた。

 机の上に二つを分けて置き、まず大きな箱の蓋を開けてみせる。

 箱の中には白い布が敷いてあり、その上に直径三十センチはありそうな朽葉色くちばいろの円盤が入っていた。中央の直径十センチくらいが丘状に盛り上がっており、さらにその中心がサイコロの一の目のように窪んでいる。

 丘状の盛り上がりの周囲は平たくなっていた。その平たい場所に恵たちの知らない記号や文字が、放射状にびっしり彫られている。

 紅葉はその盤を両手で取り出した。すかざす佳乃が木箱に蓋をして、紅葉はその上に盤を置く。置いたときの音から、盤も木製であると理解できた。


「それは……羅盤?」


 美音子が興味深そうに訊く。


「違うけど、似たようなものね。この盤を使って美紀ちゃんの居場所を探るのよ」

「これで?」


 否定するよりも先に、美音子は興味を惹かれたようだった。


「美紀ちゃんが昨日の忠告をきいて、ペンダントを身につけてくれてるのなら……だけどね」


 そう言って、紅葉は小さい方の箱を開けた。箱の中は細かく仕切られており、各仕切りの中には石のかけらが一つずつ入っている。仕切りの底には数字が書かれていた。


「美紀ちゃんのは……これね」


 紅葉はその中から石を一つ取り出した。乳白色でさざれと言うには少し大きいが、彼女の細指でつまめるほどのサイズだった。

 取り出した石を木盤の中央の窪みに乗せる。


「これは美紀ちゃんのペンダントに使った月長石ムーンストーンと同じかたまりからつくった、かけらよ」


 興味深そうに見つめる美音子に向かって、紅葉が言った。


の使う月長石ムーンストーンはね、月の光を中に閉じ込めておけるの。その月長石ムーンストーンを使って、美紀ちゃんの持っているペンダントなんかに加工してるのよ。

 そして月の光を閉じ込めた月長石ムーンストーンは、同じかたまりから別れた石同士で共鳴するの。その性質を利用して、この木盤で片割れがどこにあるか調べるのよ」

「そんなことが、本当にできるんですか?」

「この街にいるのなら多分、見つけられる」

「すでにこの街にいなかったら?」


 美音子の声はあくまで冷静だ。


「それは大丈夫。あいつの狙いはわたしたちよ。あのだけ連れ去る理由はない。むしろ、わたしたちをおびき出すための人質にするでしょうね」

「なら、連絡がくるまで待つという手もあるのでは?」

「あなた、他の二人に比べて随分と冷静ね」紅葉が苦笑する。「でも、助けられるならすぐにでも助けたい……でしょ?」

「それは当然です」

「なら居場所が分かるなら、奇襲をした方がいいわ。見てて」


 そう言って紅葉は木盤の中央にある丘に右手を当てた。そして円を描くように手を滑らせる。

 どのような仕掛けがしてあるのか、丘が音もなく回り始めた。

 回転に合わせるように、まわりの文字が点滅を始めた。文字は一見するとランダムに光っているように見える。


「なにこれ……光ってる」


 瑞穂が言う。美音子も恵も言葉なく木盤を見つめている。


「この反応なら、ペンダントは間違いなく美紀ちゃんの元にある」

「もう居場所がわかったんですか?」

「それはまだ。これから詳しく調べないとね。でも。これで少しは信じる気になってくれた?」

「…………はい」


 言葉では肯定しているが、美音子はまだ納得していないようだった。それは瑞穂と恵も同じらしく二人の表情は固い。

 石を使って人の居場所を探す。普段なら一蹴するような話であっても、その一端を目の前で見せられてしまった。だからといって素直に受け入れてよいのか迷う。でも完全に否定することもできない。

 これは藁にもすがりたい三人にとって、目の前に現れた希望の蜘蛛の糸なのだ。


「わたしたちを信用できない気持ちはわかる。でも後は私たちに任せて、あなたたちは帰りなさい」

「……え?」

「来崎の居場所がわかるかもしれないのに、それも知らされずに帰れと?」


 瑞穂も美音子も抗議の声を上げる。恵は黙っていたが、紅葉を見る視線から同じ気持ちなのだとわかる。


「……もし本当にあなたたちの言うように、美紀ちゃんを襲った男が関わっているのなら」


 紅葉はそこで、わざとらしく言葉を切る。


「あなたたちでは手に負えない。それなら居場所なんて知らずに、家で美紀ちゃんの帰りを待っていた方がいい」

「そんなことあるか!」


 恵が口を開く。その言葉は強く、浮かべる表情は荒々しい。


「俺たちは美紀のことが心配でここまで来たんだ。もしかしたら何かわかるかもしれないってのに、それを知らずに帰れだって? おとなしく待ってろと?

 そんなことができるぐらいなら、ここに来たりしない!」

「だから何?」


 紅葉の言葉はあくまで冷たい。


「紅葉!」

「居場所がわかれば、助けに行くつもり? ムダね」


 佳乃の制止も効果はない。恵たちの想いを一刀のもとに切り捨てる。


「あなた、恵君だっけ? さっき言ってたわよね、自分は手も足もでなかったって。そんな人間が行って、助けられると思う?」

「くっ……じゃあ、あんたは助けられるのかよ?」

「できるわ」紅葉は即答する。「わたしと佳乃なら、美紀ちゃんを助けられる」


 紅葉は勝ち誇ったような表情を浮かべ、恵を見ている。それは少年に対する優越感と、本人が持つ絶対の自信からきたものだ。

 昨日の虎児とのいさかいで自分の無力さを思い知らされた恵には、その表情はひどくこたえた。


「……それでも、それでも俺は行かないといけないんだ。約束なんだ」


 うつむき、悔しそうに恵は呟いた。美音子は黙ってそんな恵を見ている。瑞穂は恵と紅葉のやりとりに、おろおろしていた。


「……わかったわ。もし美紀ちゃんの居場所がわかったら、あなたたちを連れて行ってあげる」

「佳乃!?」


 突然の佳乃の言葉に、彼女を除く全員が驚く。


「……いいんですか?」


 美音子の言葉に、佳乃は頷いた。


「ちょっと、佳乃、何考えてるの!?」


 抗議する紅葉の頭を一度、佳乃はノックするように軽く叩いた。


「紅葉。もし虎児が原因なら、これはわたしたちのミスよ。そしてこの子たちが知り過ぎてしまったのは、誰かさんが調子にのって話してしまったせい」

「……それは」

「この子たちには知る権利があるわ。ただし――」


 そこで佳乃は恵、美音子、瑞穂の順に三人を見る。


「死ぬかもしれないっていうほどの、危険な目にあう覚悟があればだけど?」

「…………」


 脅すような佳乃の顔と声に、誰も何も言わない。だが恐れて声が出ないのではない。それは三人の表情を見れば、佳乃にもわかった。

 佳乃は軽く息を吐く。


「美紀ちゃんは、ホントにいい友達をもったわね」佳乃は微笑んだ。「約束は守るわ。だから、いまは学校に戻りなさい。放課後になったらもう一度来て。それまでに美紀ちゃんの居場所を突き止めておくから」

「絶対ですよ?」

「ええ絶対。なんなら、ここで指切りしましょうか?」


 恵が佳乃を見つめる。佳乃も恵を見つめ返す。一瞬だけ、何かを思い出したかのように恵の表情が揺れた。


「いえ、佳乃さんでしたよね。あなたを信じます」


 そう言って、恵は佳乃に背を向ける。


折原おりはら、いいのか?」


 恵はすれ違いながら頷く。それを見た美音子と瑞穂も後に続く。

 

 ――カラン、カラン。


 恵たちが帰った後の店内は、静かだった。


「佳乃、わたし怒ってるからね」

「わたしもよ、紅葉」


 二人は目を合わせる。それ以上何も言わず、互いの視線を絡ませる。

 先に目をそらしたのは紅葉の方だった。


「むかつくのよ、恵って子を見てると」


 拗ねたように紅葉は言う。


「なんの力もないくせに、ひたすら突っかかってきた、莫迦な男を思い出すのよ。佳乃をあたしから奪おうとした虎児あいつに!

 佳乃だってそうでしょ!? あの子見てあいつのこと思い出してたんでしょ!? 懐かしそうにしてたもん……」


 佳乃は黙って紅葉の頭を自分の胸へと寄せた。紅葉はされるがままに、顔を埋める。


「わたしはここにいるから」

「……うん」

「あのときだって、今だって、ここにいるから」

「……うん」

「それに、美紀ちゃんはあの子たちと一緒にいられるようにしてあげるんでしょ?

 それともわたしが紅葉の側にいるだけじゃ、いや?」

「そんこと、ない!」紅葉は顔を上げる。「……ごめん、佳乃」

「いいの。長い付き合いなんだもの。あなたのわがままには慣れてるわ」


 佳乃は紅葉に笑ってみせる。


「美紀ちゃんの居場所、調べないと」


 紅葉は恥ずかしそうに、佳乃から離れた。


「ねぇ佳乃、ホントにあいつの仕業だと思ってる?」

「そうじゃないと信じたい。簡単に約束を破るようなやつじゃなかったもの」


 佳乃は窓際に置いてある香炉のような物の中から、チョーカーを取り出した。しずく型の月長石ムーンストーンをあしらったものだが、美紀のより大きく透明度が高い。更には様々な色の反射をみせており、まるで月長石ムーンストーンが七色の色彩を放っているように見える。

 佳乃はそれを紅葉に渡した。


「〝月の贈り物ギフト〟に頼ることになると思うわ。十五夜が近いから月の光は十分だと思うけど、念のために身につけておきましょう」

「そうね。ありがと」


 そして香炉から今度はピアスを取り出す。

 スタッドタイプのピアスには紅葉と同じ種類の月長石ムーンストーンがあしらわれている。紅葉のよりふた回りほど小さいが、形は双子のように同じだ。

 佳乃は今つけているピアスを外すと、月長石ムーンストーンのピアスへと付け替えた。


「ねぇ、紅葉」

「何?」

「さらったのが本当にあいつなら……」


 佳乃は眼鏡を外し、紅葉を見る。紅葉はチョーカーを着ける手を止めた。


「わたしは虎児を許さない」

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