十三夜 嫉妬だな

「オトさん、映画おもしろかったねぇ」

「おーい」

「ああ。今までのシリーズと演出が少し違ったけど、大事な部分は同じだったな」

「こら、呼び出しといて、二人だけで盛り上がるな」


 新本城しんほんじょう区の繁華街に、中心部を貫くように作られた十字形の地下街があった。そのさらに中心にちょっとした広場がある。

 美紀みのり美音子みねこは、広場に用意された石製のベンチに座って、話込んでいた。そばには瑞穂みずほが立っている。彼女はファーのついたダウンジャケットに、スリムジーンズという格好だった。


「なんかみぽーの声が聞こえる。幻聴かな」

「それはよくない。いい病院を紹介しよう」

「アンタらねー。よーし、そっちがその気なら」


 そう言って、瑞穂はその場を離れた。


「あれ? みぽー怒っちゃったかな」


 美紀が瑞穂の姿探す。


「問題ない。多分」


 美音子は瑞穂をLINEで呼び出していた。そして、映画を見終わった後に、二人は待ち合わせ場所まで瑞穂を迎えに来たのだ。

 けい加納かのうはひとまず別行動をとり、この後すぐに合流するようにしている。

 視線を避けるように美紀の後ろに瑞穂が現れる。気配でそれに気づいた美紀は、知らんぷりをして美音子に話かけた。


「でね、オトさん……きゃん!」


 首筋に冷たいものを感じて、美紀は悲鳴を上げた。慌てて振り向く。

 そこには缶ジュースを持った瑞穂が立っていた。


「へっへっへっ。まいったか美紀」

「もうっ、びっくりするでしょ」

「親友のピンチと聞いて飛んで来てやったのに、無視した罰じゃ」


 そう言って瑞穂は缶ジュースを美紀の頬に当てた。


「ひゃっ。だから冷たいって」


 そうやってひたすらじゃれ合ったあと、瑞穂は美紀の横に座った。


「で、ナニ? 美紀が痴話喧嘩して落ち込んでるって?」

「痴話喧嘩じゃないってば」


 美紀の抗議などどこ吹く風。瑞穂は買ってきた缶ジュースを開け一気に飲み干した。


「じゃあさ、どーいう経緯で喧嘩になったわけ? おねいさんたちに話してみ?」


 瑞穂は三メートル離れたゴミ箱に向かって空き缶を投げる。缶は見事にゴミ箱へと吸い込まれた。


「えっとね……」


 美紀は喧嘩になった経緯を、かいつまんで二人に話す。


「でね、めぐっちゃんが『嬉しそうに月の話をする』って怒ったの。酷いよね?」


 話を聞き終えた瑞穂と美音子は、美紀を挟んで顔を見合わせた。


「……みぽー、これは」

「……だよね、たきっち」


 二人はほぼ同時に口を開く。言葉は違ってもお互いの思うところは同じらしかった。


「え? なになに?」


 美紀の問いに返って来たのは、二人のため息だった。


「あんまり待たせると悪いし、行くか」

「だねー」


 二人は同時に立ち上がって歩き出す。美紀は慌てて後を追いかけた。


「え? え? え? ちょっと二人だけで納得してないで、何か言ってよ」

「あー、美紀?」歩きながら瑞穂が言う。「もういちど確認するけど、〝めぐっちゃん〟とはつきあってないんだよね?」

「う、うん。そりゃ、たまに遊ぶけど、べ、別につきあってないよ」

「でもなぁ、話聞く限りじゃ、どーみても痴話喧嘩です。ごちそうさま」

「違うよぉ」


 美紀は本気で否定する。そんな彼女を尻目に瑞穂は、美音子に目配せした。


「来崎、お前たちが喧嘩したのは、結局のところ折原が嫉妬したからだ」

「嫉妬ぉ? めぐっちゃんが? それは嘘だよ」


 美紀は本気で驚いているようだった。


「美紀、アンタそれにも気づいてないの?」

「気づくもなにも、めぐちゃんってあたしに対して嫉妬するようなことないよ」

「ほほう。その理由はナニ?」

「あたし中学んときに、他の男の子とつきあったことあるじゃん? でもそんときのめぐっちゃんは、別に普通に接してきたよ」

「あーそういやアンタ、つきあってたね。天木あまぎだっけ?」

「そう。半年で振られちゃったけど」


 「えへへ」と美紀は照れ笑いをする。


「まぁ、確かに仲のいい友達って感じだよね、アンタたちは。そのくせ、あんな喧嘩するんでしょ? アタシにゃ、アンタたちの関係はよーわからんよ」

「……あたしもよく分かんないよ」

「なんにせよ折原が嫉妬して怒ったのは事実だ」美音子が言う。

「……嫉妬かぁ。めぐちゃんにとって、あたしってなんなんだろうね」


 美紀はしんみりと言う。


「来崎は折原のこと、どう思っているんだ?」

「好きか嫌いかでいうんなら、そりゃ好きよ」

「それは友達として? それとも男の子として?」

「うーん……」


 美紀はそこで考え込む。そしてわずかに間を置いて答えた。


「よく、分かんない。でもね、めぐっちゃんにとってあたしが〝ひつよう〟だったら嬉しいなって思う」


 三人はいつのまにか、地下街から地上へと出ていた。


「ナンカ、消極的というか受け身というか――」


 瑞穂がため息混じりに呟いた。


「――どっちつかずというか、煮え切らないというか」


 美音子が言葉を継ぐ。


「なによぅ、二人とも。でも……めぐっちゃんて何に嫉妬したんだろ?」

「話を聞く限り……月だな」

「月って、あの月?」美紀は空を指さした。

「そう」

「嘘だぁー」

「来崎が言ったんだぞ、『〝嬉しそうに月の話をする〟って怒った』って」

「そりゃ、言ったけど……そうかぁ。月かぁ」


 美紀はどこかうっとりしたように〝月〟と呟いた。

 美音子は瑞穂を見る。それに気づいた瑞穂も視線を返す。二人は立ち止まった。


「ねぇ、美紀」


 瑞穂に呼ばれて初めて、美紀は二人が立ち止まっていることに気づいた。慌てて後ろを振り向く。

 瑞穂は美紀に近づくと、彼女の頬を両手で包んだ。


「ひゃ。みぽー冷たいよ」

「美紀、変に思うかもしれないけど、真剣に聞いて」

「う、うん」


 瑞穂の気迫に負け、美紀は頷く。


「美紀のことだから気づいてないんだろうけど、アンタ月の話するときホント嬉しそう」

「みぽー?」

「昔からだったけど、最近は特に。折原は怒り過ぎだとは思うけど、不安になる気持ちはアタシたちにもわかる。

 月の話をしてる時のアンタって、どっか遠くへ行ってしまそう」

「か、考えすぎだよ。あたしはどこへも行かないよ。そりゃこれから先、大学行ったり就職したりで他の街に行ったりするかもしんないけど、今はどこにも行かないよ?」


 なぜだろう。瑞穂の言葉は美紀の胸に深く刺さる。まるで隠し事を見透かされた時のような息苦しさを感じる。


「来崎、そういう意味じゃない」


 美音子が言う。美紀を見つめる瞳も真剣そのもだ。


「や、やだなオトさんまで。どこにも行かない。約束するよ。二人があたしのこと〝ひつよう〟だって思ってくれるんなら、ずっと側にいるから――」

「ちょっと美紀! 必要ってなによ!」


 美紀の頬に触れている手に力がこもる。


「アンタとアタシって親友でしょ? 必要かどうかなんて、いまさら確認しないとわからない? アンタにとってアタシってそんなモノ?」

「みぽー、落ち着け。来崎も悪気があって言ったわけじゃないだろう」

「……みぽー。ごめん」


 美紀に素直に謝られて、瑞穂は気まずそう手を離した。


「アタシも……ごめん」

「美紀、私たちは美紀の味方だ。私たちがいることを忘れないでいてくれれば、それでいい。今日、瑞穂が来たのも美紀のことを心配してだ」

「うん……わかってる。ありがと」


 美紀は二人に笑顔を向けた。


「よし、急ごう。あまり待たせると、折原おりはらに悪いからな」

「めぐっちゃんよりも、加納かのう君でしょ?」

「いや、来崎くるさきを私たちが独占してるのは、よくないだろう。くぞ。なぁ、みぽー?」

「へいへい。よーく考えたら、アンタたちは男連れだったよね。呼ぶんなら、もう一人ぐらい用意しとけ」

「心配するな。みぽーは私がかまってやる」

「そんなのいつもと変わんねー」


 駄々をこねる瑞穂を、美音子は笑いながら見ている。美紀も笑っていた。


 ――チリーン。


「?」


 どこからか風鈴のような音色が響いてきた。美紀にはそれが妙に気になった。


 ――チリーン。


 また聞こえた。瑞穂と美音子は気づいてないようだった。

(なんで、こんなのが気になるんだろ)


 ――チリーン。


 か細く、高く、澄んだ音。妙に美紀の耳につくその音は――

(ああ、そうか。月の声に似てるんだ)


「ドコ行くの? まだ決まってないんならカラオケ行きたい。久しぶりに、滝っちのMISIA聞きたいね。美紀もそう思う……って、美紀?」


 瑞穂が向いた先に、美紀の姿はなかった。


「みぽー、あそこだ」


 美音子の指さす先に、美紀はいた。デパートの壁面、横断歩道の近く。その場所で真言を唱える雲水の前に、美紀は立ち尽くしていた。

 雲水は右手に独鈷の先に小さい鐘が付いた金剛鈴こんごうれいを持ち、左手には鉄製と思われるはちを持っている。


「なにやってんのよ、美紀アイツ


 瑞穂が駆け寄り、美紀の肩を掴んだ。


「ちょ、美紀!」

「え? あれ?」


 美紀は驚いたように瑞穂の方を向いた。二人とも驚いた表情で互いを見つめている。


「なにしてんのアンタ!」

「え? えーと……」


 美紀は親友と雲水を見比べる。雲水は目の前の光景など我関せずといった風情で真言を唱えていた。


「え、あ、う……」


 美紀は壊れたからくり人形のように、口をぱくぱくさせる。自分でもなぜここにいるのか理解できいていないのだ。


「いくよっ! す、すみません!」


 固まって動けない美紀を、瑞穂は引っぺがすようにして連れ出した。


「ごごご、ごめんなさい」


 美紀は引っ張られながら、雲水に謝る。


「おかえり」

「滝っち走るよ!」


 三人は逃げるように、その場を離れた。


        ☆


 美紀たちがその場を去ってしばらくして、雲水の前に一人の男が現れた。

 革のジャケットに紺色のスラックス。身長はさほど高くないが、鍛え抜かれた肉体なのが服の上からも見てとれる。短く刈られた黒髪の下に見える瞳は、鋭い光を放っていた。

 男は鉢に小銭を入れると、雲水にしか聞こえない声で話しかけた。


風眼坊ふうがんぼう、あの嬢ちゃん……」

虎児とらじか。月長石ムーンストーンを持っておった。間違いあるまい」


 風眼坊と呼ばれた雲水は、声のした方へ顔を向けた。男――虎児を見る瞳に光りはない。白く濁った眼球が覗くのみだ。


「ほうか。この街に来ていきなりの収穫やな。幸先ええで」

「あの娘はおそらくなりたてだ。月長石ムーンストーンを渡したやからがおる。お主はそれを調べろ。印はつけておいた。三日はもつはずだ」

「わかった」


 短く言って、虎児はその場を離れた。

 後に残された風眼坊は、何事もなかったかのように真言を唱え続けた。

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