十二夜 美音子の三分の二

「でね、みぽーたちがどうしてもついて行くっていうから、三人で行ったんだよ」

「一人で行かなくて正解だよ」

「うん。でも店員さん、二人ともいい人だったよ」


 日曜日。美紀みのりは宣言どおりけいを映画へと連れ出していた。街はクリスマスが近いせいか、華やかな雰囲気に包まれている。

 二人は、新本城しんほんじょう区にある映画館へと向かっていた。目的地まであと少しだ。目指すのは複合映画館シネコンではなく、単館の小さな映画館。

 美紀はキャメル色のダッフルコートにオフホワイトのセーター。タータンチェックのミニスカートに、オーバーニーのソックスという格好だ。首には紅葉の店で買ったペンダントがかけられていた。


「変なモン、売りつけられてないだろうな」


 対する恵はホワイトのショートブルゾンにグレーのシャツ。下はジーンズを着ていた。


「ないよ。買ったのはこれだけ」


 そう言って、美紀は月長石ムーンストーンのペンダントを恵に見せる。淡い白色に包まれたパチンコ玉ほどの大きさの石が、六芒星を形作る木製の細工の中央に見えた。


「なんか、ぼんやり光ってるみたいだな」

「層がいくつも重なってるから、乱反射して光っているように見えるんだって。それにね――」


 美紀は少し上目遣いに恵を見る。美紀が自慢をするときの癖だ。


「この石は月長石ムーンストーンの中でも特別で、月の光を貯めることができるんだって」


 〝月〟という言葉を口にしたとき、美紀は今までにない幸福感が全身を包むのを感じた。口調もどこか誇らしげになる。


「だから、このペンダントから声が聞こえたんだって。月はね、やっぱり歌ってるんだよ」

「ふーん。こいつから声がね」


 興奮ぎみの美紀に対し、恵はどこか冷めた口調で言う。表情も心なしか固い。


「あー。めぐっちゃん信じてないでしょ? 昔っからそうだったよね。あたしがいくら言っても信じてくんなかったし」

「信じるわけねーじゃん。俺には聞こえたことなんてないんだし」


 恵は、ペンダントを軽く指で弾いた。


「もうっ、やめてよ! 壊れたらめぐっちゃんのせいだかんね」


 驚くほど真剣な表情で、美紀は抗議した。恵はそんな美紀を見て、冷めていた表情に熱がこもる。


「石がちょっと弾いたぐらいで壊れるかよっ」


 熱がこもった分、恵の口調が強くなる。予想外の反応に美紀は驚いて言葉が出ない。だがすぐに、驚きは不満へと変わり少女の口から言葉となって飛び出した。


「そんなに怒んなくてもいいじゃんか」

「怒ってねーよ」

「怒ってる。めぐっちゃんが悪いんじゃん。先にいたずらしたの、めぐっちゃんだよ?」

「あー、そうかよ。悪かったよ、俺が」

「何それ!? もー、あたまに来た!」


 売り言葉に買い言葉。急に不機嫌になった恵の雰囲気は、美紀へと伝染した。


「めぐっちゃんって、いっつもそう。勝手に切れて、勝手に決めつけて。分かんないよ」

「お前だってそうじゃんか。昔っから月の声が聞こえるだの、呼んでいるだの、わけ分かんないこと嬉しそうに話やがって、そんなの気のせいなんだよ!」

「う、嬉しそうになんか話してないっ」

「話してたっ」

「話してないっ」

「話してたよっ。俺の前で、嬉しそうに」

「うーっ、もういい! めぐっちゃんのばか! 嬉しかったのは、めぐちゃんが聞いてくれるからなんだよ!」


 そう言って美紀は恵に背を向けた。顔をうつむけ、そのまま歩き出す。二人が向かうはずだった映画館とはまるっきり反対方向だ。


「おい、美紀!」


 恵の声を無視して、美紀は歩き続ける。

 足音が近づいて来た。すぐに美紀の手が捕まれる。


「美紀、待てよ」

「知らない」


 美紀は俯いたまま振り向かない。


「……悪かった」

「知らない。手を離して」

「美紀」

「いいから離して!」


 美紀は手を思いっきり振った。恵の手はあっけないほど簡単に離れる。あまりのあっけなさに、美紀は思わす振り向いた。


「……めぐっちゃん?」


 そこには何かを言いかけて口を開き、しかし何も言えずに黙ってしまった恵の姿があった。浮かべる表情は悔しそうに見える。

 恵はなにも言わず美紀を見つめている。つなぎ止める手も、言葉もなく、ただただ恵は見つめている。


「……行くね」


 美紀はいたたまれなくなって、再び背を向け歩きだした。今度は呼び止める声も、近づいてくる足音もない。


「ばか」


 そう呟いた途端、美紀は誰かとぶつかった。


「ご、ごんめんなさいっ」


 慌てて美紀は謝る。


「ぶつかっておいて莫迦とはひどいな」


 そのまま走り去ろうとした美紀は、聞き覚えのある声に足を止めた。


「オトさん!?」


 そこにはミディアムのダウンジャケットと、ブラックのパンツを履いた美音子みねこが立っていた。その横には、同い年くらいのハーフコートを着た少年の姿がある。スマートで背が高いその少年に、美紀は見覚えがあった。


「……と、加納かのうくん」


 加納と呼ばれた少年は、美紀を見てにっこりと笑い、更に彼女の背後に向かって手を振った。


「奇遇だな、来崎くるさき。痴話喧嘩でもしていたのか?」


 美音子は美紀の顔と恵を交互に見比べ、最後に美紀の顔をのぞき込むようにして言った。


「おおおお、オトさん。ちち、痴話喧嘩ってナニ?」


 美紀はあからさまに動揺している。


「いや、なに。通りの向こうにいても聞こえるほどの大声で、なにやら言い合ってたみたいだからな。もしかしたら痴話喧嘩かと」

「そんなに声大きかった?」

「知り合いなら、バッチリ来崎だとわかるぐらいには」

「あわわわ」


 自分たちがどれほどの大声で言い合っていたかを知って、美紀の顔がみるみる赤くなった。思わずその場で頭を抱える。


「そういえば、オトさんはデート?」

「ああ。映画を観に来た」


 美音子は、美紀たちが目指していた映画館の方向を指さした。そして、美紀の目の前に組めと言わんばかりに、肘を突き出す。


「?」


 美紀は不思議に思いながらも反射的に腕を絡ませた。しっかり腕が絡まったのを確認すると、美音子はエスコートするかのように歩き出す。


「……って、ちょっとオトさん?」

「どうした?」

「あの、こっちに歩いちゃてるんですけど」

「そうだよ。映画に遅れる。来崎も観に行くつもりだったんだろ?」

「いや……あの……確かにそうだけど」


 確かにここで立ち話をしていたら、上映時間に間に合わない。だが美紀は、恵と喧嘩して映画館と反対方向へと歩いていたはずなのだ。

 前を見れば、いつの間にか恵が加納に捕まっていた。首をロックされ半ば引きすられるようにして歩いている。

 最初は抵抗していたようだが、美紀たちが歩いて来るのを見て加納が何か言うと、恵は大人しくなった。途中、美紀と目が合ったがすぐにそっぽを向く。それっきり、一度も振り返らない。


「話なら聞こう。一人でため込むのはよくない。余計なお世話でなければ、だが」

「……それは嬉しいけど、オトさんせっかくのデートなのに」

「こっちのことは気にしなくていい。そうと決まればまず映画だ。好きな映画でも観れば少しは気が紛れる」


 前方を見つめたまま、美音子は言う。彼女の心遣いが美紀には嬉しかった。突然出会って、しかもデートの最中だというのに、美音子は自分のために彼氏を巻き込んでまで慰めようとしてくれている。


「ありがと、オトさん」

「なに。どうせ観に行くつもりの映画だ」

「いいな、オトさんは。加納君としっかり通じあっているみたい」


 美音子の指示なのか自分の意志なのかわからないが、加納は彼女の一連の行動を受け入れているらしかった。あまつさえクラスメイトとはいえ、恵を捕まえて協力までしている。


「通じあってるとは。また古風な言い回しで、いやらしいことを言うなぁ」

「そそ、そんなんじゃないよぅ」


 美紀は手を振って否定しようとするが、生憎と片手は美音子に捕まっている。


「からかっただけだ」

「うー。なんかオトさん。最近みぽーみたいになってるよ」

「それはよろしくないな」

「そうだよ。オトさんまでみぽーみたいないじめっ子になっちゃダメだよ」

「善処しよう」

「……ねぇ」


 美紀の声のトーンが変わる。これからでる問いかけは真剣ものだと感じさせる声。

 美音子は前方を向いたまま、視線を美紀に向けた。


「オトさんは加納君と一緒にいて楽しい?」

「ああ。楽しい」


 ためらいなく言い切った美音子を、美紀はまぶしそうに見上げた。


たのしいし、なによりらくだ」

らく?」

「お互い、気を使わなくていい。私は生憎とこういう性格だ。少なくとも世間一般でいうところの可愛い女の子ではない」


 自虐しているわけでも、茶化しているわけでもなく、ただ事実を述べるように淡々と美音子は言う。


「オトさんって、たまにすごく男の子っぽかたりするもんね。今とかさ」

「言ってくれるね」

「あ、ごめん」

「いいよ」美音子が美紀の方を向く。「男っぽいとは、自分でも思ってるから。それに〝美音子みねこ〟の三分の二は〝音子オトコ〟で、できてるからね」


 そう言って美音子は笑った。二人が出会って間もないころ、よく言っていた冗談だ。それは美紀が美音子のことを〝オトさん〟と呼ぶようになったきっかけでもあった。

 美紀も笑い返す。


「それ、久しぶりに聞いた」

「そうだっけ?」


 笑みを残したまま、美音子は前を向く。美紀も彼女の視線を追いかける。視線の先には加納がいた。


「そういう男っぽいところも含めて、あいつは私のことを好きだと言ってくれる。そして多分、私もあいつが好きだ」

「多分……なの?」

「あまり考えたことはないからな。なんとなく自然に、一緒にいられるから」


 美音子の口調には、加納に対する信頼が感じられた。彼女の視線気づいた加納が、恵を捕まえたまま器用に手を振って見せる。

 そんな二人のやりとりすら、美紀には自然に見えた。


「いいな。オトさんって加納君に〝ひつよう〟とされてるんだね」

「必要? ああ、そうかもな。私にはあいつが必要で、あいつには私が必要なんだろう。だから、意識しなくても一緒にいられるし、いつもそばにいなくても不安にならない」

「少し、妬けるな」

「あいつに? 心配するな。私は美紀のことも大好きだよ」


 美音子に名前で呼ばれ、美紀はドキリとした。美音子は友達といえど名前で呼ぶことは滅多にない。普通は「来崎」のように名字か「みぽー」のようにあだ名だ。

 彼女が名前で呼ぶときは本当に大事なことを伝えたいときだということを、美紀は短い付き合いながらも知っていた。


「オトさん……ありがと」


 自然、涙声になる。


「さぁ、残りの話は後で聞こう。まずは映画だ。ダブルデートと行こうじゃないか」

「うん」


 二人は映画館の入り口で待つ、恵たちのもとへと急いだ。

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