十一夜 玉桂にて 其ノ三
――カラン、カラン。
扉を開け、
「いらっしゃいませ」
にっこりと笑う
「あ、えっと……」
昨日とは違う店員に、美紀は戸惑い、口ごもった。
「美紀、そんなところでボサッとしてないで、さっさと入る!」
「うわっ、みぽー押さないでってば」
躓きそうになりながら美紀は店内に入った。その後ろから、
「今日は、お友達も一緒?」
「えっと……」
前から自分を知っているような口ぶりに、美紀は戸惑った。昨日、店を出て行くときにぶつかりそうになった相手が佳乃であることに美紀は気づいていない。
「……えっと、昨日の方は?」
「あ、
佳乃は店の奥へ顔を向けて叫ぶ。
「紅葉! あなたにお客さん」
「なるほど。雑貨屋だ」
美紀の後ろで美音子が呟いた。彼女は店内をぐるりと見回している。関心を引くものがあるのか、ときおり顔を止めてなにやら呟いていた。
「おっ、すごいよこのオルゴール。小さいのに、細かく絵が彫ってある。うわー」
瑞穂は勝手に店内を歩き回り、商品を手に取っていた。この店に入るまで、来ることをさんざん反対していたのに、一番はしゃいでいるのは瑞穂だった。
足音がして紅葉が現れる。佳乃は視線で美紀の存在を示すと、入れ替わるように奥へと入って行った。
「誰かと思ったら」
紅葉は美紀の姿を認めると嬉しそうに笑った。思いがけず笑顔を向けられて、美紀は照れて目を伏せる。そして少し慌てた様子で鞄から紙袋を取り出した。
「あの、これ」
「わたしに? ありがとう」
「あ、いえ、その……昨日、試着した商品を持って帰ってしまったんで……」
申し訳なさそうに美紀は言う。最後の方など消え入りそうな声だ。わざと勘違いさせたわけではないが、素直に喜ばれると罪悪感が美紀をさいなむ。
「そうなの?」
紅葉は袋の中からペンダントを取りだした。
「ああ、これね。すっかり忘れてたわ」
視線を美紀に戻し、また笑う。そして袋の中にまだ何かあることに気づいて、それを取り出した。出てきたのは淡いグリーンの小さな洋封筒だった。
「手紙……かな? 紅葉、ラブレターでも貰った?」
紅葉の後ろから、佳乃がひょっこり顔を出した。
「あ、や。違うんです! それほんとは朝、ポストに返しておこうと思って。でもそれだけじゃいけないから、後から伺いますって伝えときたくて……」
美紀の慌てように店員二人は顔を見合わせて笑った。
「とりあえず、コーヒーでもどうぞ。話はこっちでゆっくり聞きましょう」
そう言って、佳乃は店の隅にあるテーブルへと向う。手にはコーヒーカップが五つ乗ったお盆を持っていた。
「うわっ、なんかサービスいい」
「まだまだ開店したばっかりだからね。これも営業努力。常連さんになってくれそうなお客さんは、大切にしないとね」
瑞穂の方を向いて、佳乃はウインクして見せる。
美紀たち三人は誘われるままにテーブルへとついた。佳乃は美紀たちの目の前にコーヒーカップを置く。そしてその向かいに、自分と紅葉のカップを隣り合うように置いた。紅葉は当然のように佳乃の横に座る。
置かれたコーヒーの匂いが、美紀の鼻をくすぐった。
「あ、なんか甘い匂いがする」
「フレーバーコーヒーって言うのよ。実際には甘くないわ」佳乃が言う。
「でも苦みもなくておいしい。こんなコーヒー初めてかも」
「佳乃のいれるコーヒーは一級品よ」
美紀の言葉に、紅葉は自分のことのように喜ぶ。
「あの……」
落ち着いた頃合いを見計らって、美紀がおずおずと口を開いた。
「ああ、ペンダントのことだったわね? 気にしなくていいわ。こうして返しに来てくれたんだし。なにより、わたしが忘れてたんだから」
「あ、でも……もし、商品として使えないようだったら弁償します!」
真剣に見つめてくる美紀を、紅葉は優しい表情で見返す。
「あなたは真面目ね。弁償とかは考えてないわ。でも、そうね……あなたさえよければ、買ってもらえると嬉しいかな。その方がこの
「石が、喜ぶんですか?」
美紀よりも先に疑問を口にしたのは、瑞穂だった。
「そうよ。このペンダントを彼女が手にとったのも偶然じゃないわ。モノにも人と一緒で出会いがあるのよ」
「ふーん、じゃあ、美紀はこの石に呼ばれたってワケか。声が聞こえたってのも、あながち嘘じゃなかったりして」
瑞穂のなにげない言葉に、紅葉と佳乃は顔を見合わせた。
「声が……聞こえた? あなたも?」
「いいえ。聞いたのは美紀です。声っていうか、歌が聞こえてビックリして、ペンダントつけたまま飛び出したって。アタシはそんな馬鹿なって言ったんですけどね」
「呪いだって騒いでいたのは、どこのみぽーだったかな」
「
「はは。呪いか」佳乃が言う。「君たちは仲いいんだね。何でも話せるみたい」
「ホント、うらやましいな」紅葉が言葉を続ける。
「そ、そんなことないです。みぽーなんかあたしのこと、いじめてばっかだし」
「えー、立派な愛情表現じゃん」
「見解の相違だな。私も来崎に一票」
「滝っちはひと言多い」
「それに……」親友二人のやりとりを尻目に、美紀はなおも言葉を続ける。「わたしには、お二人の方がすごく仲良しに見えます」
「そう? ありがと」
紅葉が言い終わると同時に、二人はどちらからともなく顔を見合わせて笑った。その様子は自然で本当に仲がよさそうにみえた。互いが互いを気づかっているのが、今までの二人を見ていてもわかる。
「でもまぁ、美紀だけにしか聞こえないなら、確かめようもないわけで。アタシャ話半分かな。滝っちは?」
「こればっかりはみぽーと同意見。ただ、そういう話があってもいいと思う。夢があって」
「意外……」
美紀と瑞穂、二人が口を揃える。
「何がだ?」
「えっと、オトさんてもっと現実主義というか、こういうの否定する方だと思ってたから」
「二人とも私を誤解している」
美音子は軽く咳払いをした。心なしか頬が赤い。
「ねぇ……もし、本当に歌ってるんだとしたらどうする?」
挑むように、紅葉は三人を見つめる。
「紅葉?」
紅葉の言葉に、佳乃は驚いたように名を呼んだ。紅葉は視線で佳乃に何かを訴えかける。それを見て彼女は開きかけた口を閉じた。
「このペンダントの石はね。
「月の光を?」
「そう。歌が聞こえたのは蓄えられた月光のせいなのよ」
そこで紅葉は言葉をいったん切った。美音子と瑞穂を見て、最後に美紀を見る。
「そして、月は歌ってるのよ」
紅葉の言葉に、美紀の鼓動はひときわ大きく打ち始めた。あの時と同じだ。昨日、紅葉の口から〝月〟という言葉を聞いた時と。
なに気ない言葉のはずなのに、美紀は大胆な告白を受けたかのような気恥ずかしさを覚える。なぜこの女性は、〝月〟という言葉をこれほどまでに愛おしそうに紡ぐのだろう。そして自分はなぜ、これほどまでに〝月〟という言葉に反応してしまうのだろうか。
「あなたたち、〝
「……いいえ」美音子が答える。
「月はね、振動してるの。昔からずっと震えているの。それが〝月震〟」
そこで紅葉は言葉を止める。美紀はもとよりその場にいる全員が紅葉に注目していた。
「〝月震〟が生んだ波動が月光にのって地球に届くの。それが月の歌よ」
「でも、アタシはそんなの聞いたことないよ」
「歌はみんなが聴けるわけじゃない。だから、あなたが言ったように聞けない人には確かめようがないわ。
でも、〝月震〟の話は本当よ。NASAがアポロ計画の時に行った実験によって証明されてるわ。moon quake って単語もあるのよ」
「でも、それだけじゃ月が歌ってるって証拠にはなりませんよね?」
美音子の声と表情はあくまで冷静だ。それは瑞穂にしてもそうだった。二人とも紅葉の話を本気にはしていない。かといって頭から否定もしない。
「そうね」
紅葉は微笑む。それは美紀には寂しそうな笑みに見えた。
「こればっかりは月の歌が聴ける人にしかわからない。でも、月の光は昔から特別扱いされてるわよね? 色々な言い伝えがあったり。
太陽の光を反射するだけなのに、なぜだと思う? それは月の光が〝月震〟の波動を、月の歌を地球に届けているから――」
そこで紅葉は悪戯っぽい笑みを浮かべた。まるでさきほど浮かべた笑みを隠してしまうかのように。
「――そう考えるとロマンチックでいいと思わない?」
「やられた! もしかして、今までのってお姉サンの作り話?」
瑞穂は大げさに両手を上げる。
「さぁ、どうかしら?」紅葉は笑ったままはぐらかす。「でも、もしさっきの話が気に入ってくれたら、何か買っていってもらえると嬉しいかな」
「商売上手だなぁ……じゃあアタシあれ貰います」
そう言って、瑞穂は最初に見ていたオルゴールを指さした。
「作り話だと思いながらも、なんだかすっかりのせられた。私も何か買います」
美音子は軽く息をつくと、眼鏡を押し上げた。
「お買い上げ、ありがとうございます」二人を見て紅葉はにっこりと微笑む。そして美紀へ視線を向けた。「そちらは?」
問われても、美紀は何も言わない。いや、言えなかった。話の間、紅葉の顔をずっと見つめていた。
「美紀?」
「…………」
「美紀!」
「あ、え? みぽー、何?」
「アンタは何か買う?」
「え……あ、うん。じゃあ、それを」
美紀はテーブルにのったペンダントを指さした。
結局、美紀はペンダントを。瑞穂は木彫りのオルゴールを。美音子は木彫りの猫のストラップ二つを買った。
包まれた商品を佳乃から手渡され、三人は扉へと向かう。
最後に扉をくぐった美紀は、振り返って紅葉を見る。
「あの……」
「何?」
「あなたは月の歌を聴けるんですか?」
紅葉は驚いたように目を見開く。しかしすぐに表情を戻し、さきほど浮かべた悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さぁどうかしら。でも……あなたが歌を聴くことができるなら、わかるはずよ。他の人が月に捕らわれているかどうかがね」
「捕らわれてる?」
「美紀! 行くよー!」
声と同時に手を引かれ、美紀は無理矢理外へと引き出された。
「ありがとうございました」
紅葉と佳乃、二人の声が唱和する。
最後にもう一度、紅葉を見て美紀は理解した。紅葉は月の歌を聴けるのだ。そして隣りにいる佳乃も。あの二人は互いが互いを理解しあっている。それも多分、美紀には計り知れないほど深いところで。お互いを〝ひつよう〟としているのだ。
寄り添うように立つ二人を、美紀は少しだけうらやましいと思った。
☆
「……紅葉」
「ごめん」
三人が出て行ったのを見届けたあと、佳乃が口を開く。紅葉は彼女がみなまで言う前に謝る。
「……反省してるんならいいけど」
「うん。反省してる。関係ない人間に喋りすぎた。もしかしたらあの
紅葉は俯いた。そんな彼女の頭を、佳乃はポンポンと軽く叩いた。
「そうね。次は気をつけて。
でも、最近の子は月の歌が聴けるって友達に言っても、馬鹿にされないのかな」
「それは、あの
「そうだね、いい友達だ」
「あの
紅葉は俯いたまま、佳乃の胸に頭を預けた。
「そうかもしれないね」
佳乃は軽く頭を抱えてやる。
「じゃあ、こっち側に来るの止めないと」
「そうだね」
「でも、少し寂しいな」
「……そうだね」
二人は互いの存在を確かめうように、寄り添い続けた。
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