七夜 みぽーとオトさん

 八城明やしろあけ市は人口二十万の地方都市だ。本城ほんじょうと呼ばれる地区を中心に、北に上城かみじょう区、南に下城しもじょう区、西南に新本城しんほんじょうく区、東に岐部きべ区の五つの地区で構成されている。

 本城には戦国時代の山城の跡を頂上にに残す焼山やけやまがあり、その麓には標高二百メートルの焼山を含めた大きな市立公園があった。



 十二月に入って三週目。街は師走特有の慌ただしさを見せていた。通勤、通学で歩く人々の足も、いつもに比べはやい。

 そんな中、美紀みのりは回りにつられることなくゆっくりと登校していた。

 美紀の通う八城明市立城明じょうみょう高校は新本城区にある。彼女の住む本城区の住宅街からは徒歩で約十五分。同じ住宅街からは自転車で通う者も多かったが、美紀は歩いて学校まで通っていた。

 景色を眺めながら歩くのが好きなのだ。


 新本城地区は八城明市の中でも一番開けた地区だが、昔の町並みも所々に残っている。メイン通りを少し外れれば、ビルの合間を縫うようにどことなく懐かしい家並みがあったりする。

 美紀は近道をかねてそう言った通りを歩いていた。

 その足がふと止まる。誰かに呼び止められた気がしたのだ。


「?」


 辺りを見回す。この近道は意外と利用する生徒も多い。だが、あいにくと姿は見えなかった。

 探すのを諦め再び歩きだそうとしたところで、美紀は自分が何かの店の前に立っていたことに気づいた。


 目の前のそれは、ずいぶん古い建物に見えた。ビルのテナントではなく小さな二階建ての建物。白い壁は煤けていたし、少し張り出した出窓も入り口と思われる扉も木製。シャッターではなく、中にひかれたレースのカーテンで外との関わりと遮断していた。

 開店はしていないがカーテン越しに中が少し見えた。出窓はショーウインドウを兼ねているのか、商品とおぼしき小物がたくさん並べられている。洋風人形や猫の置物。香炉のようなものも見えた。


「へー、こんなお店あったんだ」


 美紀は不思議そうな声を出した。この道は通学でしか通らないが、半年以上通っていたのにこの店の存在には気づかなかった。

 もう少しよく見ようと顔を寄せたとき、窓の向こうで何かが光った。


「!」


 美紀は慌てて後ずさる。

 よく見ると、光った何かは猫の人形の瞳だった。黒い木彫りの人形。頭を上げ、誇らしげに座る姿は威厳すらあった。


「……びっくりした」


 美紀は庇うように鞄を抱いたまま呟いた。


         ☆


「雑貨屋?」


 目の前に座るたき美音子みねこが言った。肩まで伸びた見事な髪は、綺麗なストレート。縁なしメガネの奥の目は切れ長で鋭い。

 美音子みねこは弁当箱から卵焼きを箸でつまみ、よどみなく口に運んだ。目の前にあるのは白い弁当箱。白いご飯とおかずが仕切りを境に半々に入っている。

 時刻は十二時十分。教室で美紀は友人たちと弁当を食べていた。


「うん。人形とか、陶器とか見えたかな。あの道はオトさんに教えてもらった道だから、なんか知ってるかなって思ったんだけど」

「アタシもあの道たまに通るけど、そんな店あったっけ?」


 美紀の右隣りに座る山村やまむら瑞穂みずほが言った。こちらは美紀よりも更に短い髪に、全体的に小さめな顔のパーツ構成。浮かべる表情からいかにも活発そうで、誰しもがボーイッシュという印象を彼女に当てはめる。

 三人は回りの机を寄せ合って、小さな島を作っていた。


「みぽーは可愛らしいの興味なさそうだから、気づかないかもね」

「美紀……アンタなにげに酷いコト言うね。アタシだって興味あるよ。可愛いもの。

 つか、みぽー言うなし」

「えー。みぽーいいじゃん。可愛いし。っていうか、今更だし」


 瑞穂みずほとは中学から一緒だった仲だ。美音子とはこの学校で知り合った。


「アタシは昔っから、やめてって主張してますぅ。たきっちも何か言ってよ。〝オトさん〟だよ?」

「オトさんいいじゃん。格好いいし。ねー?」


 美紀はつまんだタコさんウインナーに向かって同意を求めた。美紀の弁当箱はピンクで楕円型をしていた。その小さな弁当箱は三つに仕切られており、半分がご飯。残りのスペースはおかずと果物で埋まっている。


「私は嫌いじゃないよ、その呼び名」


 美音子は淡々と言う。


「ほらー。オトさんも気に入ってるよ。格好いいって」

「いや、格好いいとは言ってないから」瑞穂がすかさずつっこむ。「アンタのセンスにゃついていけません」


 そう言って、瑞穂はサンドイッチをほおばった。彼女の前には売店で買ったサンドイッチとオレンジジュースが並んでいる。


「雑貨屋っていうか、来崎くるさきが言ってるような店はなっかた気がするな。ただ……」

「ただ?」

「二週間ほど前に、あのあたりに引っ越しのトラックが止まっていた」

「ふむふむ。ということは?」

「最近できた店ではないのかということだ。わかったかな、みぽー助手」

「なるほど……って、滝っちまでみぽー言うな」


 瑞穂は美音子をジト目で睨む。


「つーかさぁ、そもそも、そこって店じゃナイんじゃないの?」

「えー。ぜったいお店だよ、あそこ」

「その根拠はナニ? 瑞穂様に言ってみなさい」

「うーんと……商品があったから、かな」

「だからそもそも、その窓に並んでいたものが商品かどうかわかんないでしょ?」

「でも、はっきりと見えなかったけど、中にも色々あったよ? 猫の置物とか」


 美紀の口調はなぜか得意そうだ。


「ま、アタシにゃ、どうでもいいけどね」


 瑞穂はサンドイッチの最後のかけらを口に放り込むと、それをジュースで流し込んだ。


「みぽー、そんなこと言わずに探検いこうよ、探検。放課後にでも、ね? 新規開拓れっつごー!」

「だーめ。部活あるし」

「そっか……オトさんは行くよね?」

「興味はあるんだが、今日は無理だ。委員会の方がある」

「図書委員だっけ……うー、いいよ一人で行くから」


 美紀は少し不満そうだ。食べ終わった弁当箱を片づける手にも力が入る。


「別に今日でなくてもいいだろうに」

「思い立ったが吉日って言うでしょ? 今日行くの」

「やれやれ、アンタはトロそうに見えて、変なとこで行動的だからね。何も考えてないっていうか」


 言葉と共に、瑞穂が美紀のほっぺたを人差し指で突っついた。


「むー。そんなことないよ。ちゃんと考えてるよ」

「ほー。では、家出したときも考えて行動してたの?」


 瑞穂は意地の悪い笑みを浮かべる。


「みぽー、それ言うの反則。それにあれ、まだ小学校一年のときだよ」

「それは初耳だな」


 美音子は弁当を食べ終えると、かるく手を合わしてから片づけ始めた。


「あれ? 滝っちはまだ知らないんだっけ」


 瑞穂の問いに美音子は頷いてみせる。


「別に楽しいことじゃないよ。お母さんと喧嘩して、家を飛び出ただけ」

「んで、きっちり迷子になっただよね?」

「う、うん」


 相変わらず意地の悪い笑みを浮かべた瑞穂に、美紀は歯切れの悪い返事を返す。


「んでもって、泣いてたところを幼なじみの折原おりはらに助けてもらった、と。いいなぁ、ドラマみたいで」


 瑞穂の口調にはからかいが半分含まれていた。美紀はふてくされる。


「……今日のみぽー、ひと言多い」

「折原というと、隣の組の折原?」

「そそ。たまに美紀に会いに来てんじゃん」

「べ、べつにあたしに会いに来てるんじゃなくて、教科書とか借りにきてるだけだよ。

 ってかオトさん、めぐっちゃんのこと知ってたの?」

加納かのうが確か同じクラスだ」

「ああ。オトさんの彼氏の」

「うわっ。そう言や滝っちも彼氏持ちだった」


 言葉と同時に、瑞穂は机に突っ伏した。


「みぽー、〝も〟ってなに。〝も〟って」

「かー、いいなぁ。二人とも。もうすぐクリスマスだし、冬休みだし、イベント盛りだくさん」


 美紀の抗議は聞き入れられなかった。瑞穂は机で両腕を組んで、その上に顎を乗せる。


「今年もアタシは、一人さびしくクリスマスか」

「おや。『自分の恋人は陸上だ』って言ってたのは、どこのみぽーだ?」

「いや、だからね。あたしとめぐっちゃん、付き合ってないから」


 美音子と美紀がほぼ同時に喋る。


「それはモノの弾みで言っただけ」瑞穂は美音子に顔を向け、そしてすぐに美紀の方を向いた。「でも、クリスマスプレゼント、交換してんでしょ? 毎年」

「そうだけど……それは、うちがお隣だし、昔っから知ってるし。それにクリスマスプレゼントなら、みぽーにもあげてるじゃん。あ、今年はオトさんにもあげるから」

「ありがとう。私も何か用意しておくよ」美音子が言う。

「昔っからそーいうイベントやってるアンタがうらやましいの。ま、気にしなさんな。ただのひとり言よひとり言」


 そう言って起きあがると、瑞穂は美紀の頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「アンタとは中学からの付き合いだから、少しはわかってるって。親友でしょ?」

「……みぽー」


 思いの外真剣な瑞穂の表情に、美紀は言おうとした言葉を止める。だが、こちらも真剣な表情で見つめ返す美紀の目の前で、彼女は再び意地の悪い笑顔を浮かべた。


「で、ホントのところはどうよ?」

「みぽー、しつこい」

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