四夜 紅葉へ

 あの日以来、紅葉くれはは公園に現れなくなった。夏休みが終わり学校が始まっても同じだった。紅葉の姿は教室にすらなかった。担任は紅葉は急な転校をしたと言っていた。

 紅葉の住所も聞いて行ってみた。だが、教えられた住所には誰もいなくなったアパートの一室があるだけだった。

 それから二ヶ月が過ぎた。佳乃よしのは曇りと雨の日以外、毎晩のようにあの公園へと立ち寄った。そしていつも紅葉がしていたように両手を広げ夜空へと顔を向けるのだ。

 月の歌を聴くために。



 良く晴れた夜空に十五夜の月が登っていた。

 佳乃は塾帰り、今では日課になった公園への寄り道をする。二ヶ月前と変わらない公園。夜は冷え込むようになったがその寒さも心地よかった。


「今夜は、聴けるかな」


 軽く辺りを見回して、公園に誰もいないのを確認する。それから佳乃は中央に立って両手を広げた。そっと目を閉じて月へと顔を向ける。静寂が佳乃の回りに降りた。

 静かな夜だった。静かで寂しくて、少しだけ肌寒い夜。


 ふと、佳乃はその静寂の中に声を聴いたような気がした。微かだが、女性の声を。それは優しくすべてを包み込むような、細く高く澄んだ声――

 それに重なるように、突如、流行の歌手の曲が流れた。佳乃の携帯電話の着信音だ。それはワンフレーズほどで音を止めた。


「こんな時に、メールなんて」


 月の歌が聴けたかもしれないのに。そう呟きながら携帯電話を取り出した。ディスプレイにメールの着信を伝えるアイコンが点灯している。


「あ! 秋さん」


 流し読みしていた佳乃は、慌ててメールを最初から読み始める。


 件名【ごめんなさい】

   染井さん、黙っていなくなってごめんなさい。探してくれて

   たの、知ってたんだ。でも、これ以上染井さんを巻き込みた

   くなかったから会えなかった。もう、狙われる心配はないか

   ら安心して。

   本当に……ごめん。

   佳乃と話せて、すごく嬉しかったよ。

   さようなら。


 最後に「佳乃」と名前が書いてあるのを見て、優しい笑みが佳乃の口元に浮かんだ。

 送り先のアドレスを確認する。アドレスは携帯電話のものではなく、無料で取得できるメールアドレスだった。パソコン用の使い捨てメールアドレスとしてよく利用されるものだ。佳乃も一つ持っている。

 それはメールを送り返しても、紅葉が見ない可能性があることを示していた。


 それでも佳乃は、紅葉の送ってきたアドレスに向けてメールを打った。

 言いたいことがいっぱいあって、話したいことがたくさんあって、何度も何度も打ち直す。だが言葉を尽くそうとすればするほど何一つ伝わらない気がするのだ。

 結局、佳乃は短い文を書いてメールを送信した。紅葉から返事は来ないかもしれない。でもきっと彼女は読んでくれるはずだ。

 そんな確信が、佳乃にはあった。


 件名【友達の紅葉へ】

   あのね。さっきね。少しだけと月の歌を聴けたよ。



『佳乃と紅葉』 了

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