33.夜間行軍・野営訓練

 そろそろ木々から葉が落ち、本格的な寒さが訪れようとする頃、ベアトリゼ隊長が唐突に言った。


「普通の訓練だけではマンネリになるから、たまには変わった訓練をしようと思う」


 ミリアーネが手を挙げて、


「はい、おいしいものを限界まで食べる訓練はどうでしょうか!そういう拷問があるかもしれません。美食に慣れさせておいて、『ククク、故郷の素朴な味が懐かしいだろう?故郷に帰りたければ、白状するんだな』みたいな」


「たわけ!実は、内容はもう決めてある。夜間行軍・野営訓練だ」


 隊長の説明によると、軍事行動を想定して完全装備でおこなうとのこと。今回行くのは近くの低山。つまり山岳地帯での行軍を想定したものだ。


「出発はあさっての夜、それまでに必要なものを準備しておくこと。必要なものは自分たちで考えろ。これも訓練だ」


 そう言い残して隊長が行ってしまうと、4人は大喜びで、


「やった、遠足だ!」

「夜の遠足ってなんだか新鮮だな」

「どんなお菓子持って行こうかしら」

「ユーディトにクッキーを焼いてもらわないか?」


 などとはしゃいでいる。





 とても遠足どころではなかった。低山と聞いて安心しきっていたが、坂道が思いのほかに急だ。夜間の行軍を想定しているから、照明は先頭を歩くベアトリゼ隊長が持つものだけ。足を踏み外せば斜面の下に転がり落ちてしまうから、前の人を見失わないように注意しながら歩く。そのうえ、鎧を着込んで剣を佩くという完全装備での山道だから、普段の訓練には弱音を吐かなくなるまでに成長したミリアーネたちでさえ、ぜえぜえ喘ぎながら歩いている。普段の訓練すら落伍しがちなユスティーヌに至っては、3人の誰かが交代でサポートしなければならない。

 背嚢に欲張ってお菓子をどっさり入れてきたミリアーネの苦痛も相当で、今すぐにでもそれらを全部捨てて少しでも軽くしたい欲求と戦っている。せっかくユーディトが作ってくれたものなので、実行はできなかったが。


「あー、つらい。つらい。なんで私はこんなことを……」


 泣きそうなミリアーネを、隊長が叱る。


「こら、声を出すな。行軍中だぞ。敵に見つかったらどうする」


 隊長は誰と戦ってるんですか、と言いたくなったが止めた。代わりにサリアが息を切らしながら聞く。


「隊長、質問させてください。今までに公国が軍事行動起こしたことありましたっけ」


 ベアトリゼ隊長はきっぱりと断言した。


「少なくとも私が物心ついてからは、無い」


 じゃあこの訓練なんの意味があるんですか、と聞きたくなったが止めた。


「痛っ!枯れ枝が落ちてきたわ」


 エルフィラが叫ぶのを、隊長が制して、


「だから声を出すんじゃない。枯れ枝ごときで動じるな。敵軍に発見されたらどうする」


 どこにそんなのがいるんですか、と言いそうになったが止めた。代わりに、今にも倒れそうなユスティーヌが、


「あとどれくらいで着くんですか」


「普通に歩いてあと1時間くらいだから、この装備だと2時間ってところか」


 それを聞いて、ユスティーヌはその場にへたり込んでしまう。サリアが懸命に、


「ユスティーヌ、立て!こんなところで死ぬんじゃない!」


 隊長が後ろを振り返って、


「貴様ら、さっきからうるさいぞ。今は戦争中だということを忘れるな」


  4人は口には出さないものの、揃って同じ事を考えていた。これ、ベアトリゼ隊長が戦争ごっこしたいだけなんじゃ……





 息も絶え絶えでようやく頂上にたどり着いた。視界が開けていて、都の夜景がよく見える。こんな状態でなければ感動しただろうが、いま4人が思うことはただ一つ。早く食事をして寝たい。しかしすっかり遠足気分で来たので、まともな食料はほとんど持ってきていない。仕方が無いのでユーディトに大量に焼いてもらったクッキーを、無言でボリボリかじる。

 食事はこれでもまだ良かったが、さらに大きな問題があった。


「そういえば、どうやって寝るの?」


 ミリアーネが疲れ切った声で言った。サリアが青ざめた顔で、恐る恐る聞く。


「誰か寝具持ってきたか……?」


 全員無言。

 みんなで隊長に泣きつきに行くと、彼女は早くも毛布にくるまって寝ようとしていた。


「なに、寝具が無い?野営訓練って言ったのになんで持ってこないんだ」


「完全に遠足気分だったので、失念してました……」


「アホか貴様らは」


 当然、隊長は予備の寝具なんか持っていなかった。仕方が無いので風を避けられるような岩陰を見つけて寝ようとしたが、風が無くとも寒くて寝られたもんじゃない。このままじゃ凍死する!と泣き言を言うユスティーヌ。何を大げさな、と呆れるサリアも歯をガチガチさせている。そこでミリアーネが妙案を思いついた。


「遭難したときに暖まる方法というのを聞いたことがあるよ」


 そして4人で抱き合って寝ようとした。いつものエルフィラだったらこの状況に鼻血の一つや二つ流しただろうが、今はとてもそんな余裕が無い。


「地獄だ……」


 ユスティーヌが呟いた。




 翌朝はまだ日も出ないうちから起こされ、当然熟睡できなかった4人は鉛のように重い体に鉄の鎧を着、足を引きずるように昨夜来た道を戻るのだった。


「貴様ら、今朝はずいぶん静かだな。ようやく戦争中という意識になったな」


 ベアトリゼ隊長が一人でご満悦だが、本当のところは誰も言葉を発する気力が残っていないからだった。




 ほうほうの体でようやく騎士団まで戻ると、ちょうど朝食の時間だった。


「あ゛ー、お゛い゛じい゛!」


 半日ぶりのまともな食事に、ミリアーネは思わず鼻声になってしまう。


「なんて声出してんだ」


「今回はいろいろ教訓を得ただろう。それぞれ述べてみろ」


 一人だけまったく疲れた様子のないベアトリゼ隊長が命じた。


「騎士団に遠足なんて生っちょろいイベントは無いってことがよくわかりました……」

「次回は寝具を持参します」

「まともな食料を準備します」


 皆がまともなことを答える中、やっぱりミリアーネだけがどこかズレている。


「山の行軍はつらいから、戦争はしないほうがいいと思いました。平和が一番!」


 隊長も困惑して、


「それはその通りだが、そういうことを学んでほしかったのではなくてだな……」

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