32.わらしべ
明日はミリアーネが大好きな、シリーズものの最新刊の発売日。明日が非番なので、ミリアーネは朝一番で書店に行って買うことに決めていた。もう今日からワクワクしていて、毎朝恒例のベアトリゼ隊長の講話も上の空。
ベアトリゼ隊長は白の盗賊団について話していた。盗賊団はミリアーネたちが中堅幹部の逮捕に貢献したとはいえ、頭領が捕まっていないので組織として壊滅したわけではなかった。一人だけ赤の頭巾を被っているとされる盗賊団頭領、その姿を見た者は騎士団にはいない。そして最近、活動が再び活発化している兆候が見られる。
「――――であるから、我が隊も再びどこかの警備に配属される可能性も十分ある。そのために日々の訓練を怠らず、腕を磨くように、っておい、ミリアーネ!聞いてるのか!」
現実に引き戻されたミリアーネ。
「はい、もちろんです」
「じゃあ復唱してみろ」
こうなったら仕方が無いので、当てずっぽうで、
「えっと、もうすぐ考査だから腕を磨くように、ってことですよね?」
「バカ者!」
一日じゅう上の空だったおかげで、他の3人より余計にランニングを命じられたり素振りを命じられたりと散々だったが、ミリアーネにとって、こんなものは明日の楽しみに比べたら何でもない。
そういえば、財布の中にはお金がどれだけ残っているんだっけ、と思って開いてみると驚いた。中身がすっからかんではないか。
(まさか、盗まれた!?)
努めて冷静に、財布から目を離したタイミングが無いかを思い出してみる。訓練のある日はいつも鍵のかかる引出に入れている。鍵は毎朝確認しているから、訓練のある日に盗まれたわけではない。となると、休日か?この前の休日は、サリアとエルフィラと街に行って本を買った。サリアがいきなり暴漢をノックアウトしたからびっくりしたけど。
その前の休日も、やっぱり街に行って本を買った。考査に向けて訓練しなくていいのか、とかサリアが心配してたっけ。まったく、心配性なんだから。その前の休日は?やっぱり街に行って――――
ようやく気付いた。
(あ、これ完全に自分のせいだ)
給料日まではあと一週間。明日にも買うつもりで楽しみにしていた本を、一週間もお預けされるのは拷問に等しい。かといって友人に金を借りたり、貸金から借りたりしてまで趣味にのめり込むと碌な結果をもたらさない、と考える程度の常識はミリアーネにもあった。では、どうやって軍資金を調達しようか。
◆
次の日起きると、書店ではなく真っ先にサリアの部屋に行った。
「物々交換をしよう!私のおすすめの本だよ」
まだ眠そうなサリアの目の前に突き出されたのは、ガビガビになった本。状況がまったく理解できないサリアに、ミリアーネが説明する。
昔どこかで、貧乏な男が物々交換をしていって最後に大金持ちになる話を聞いたことがあるので、手元にお金が無いミリアーネもやってみようと思ったのだ。給料はほぼ全部本につぎ込んでいるから、物々交換に提供できるのは本しかない。だけど、コレクションを提供するのは惜しい。
「で、唯一提供できる本がこれ。前に飲み物を盛大にぶちまけて、ガビガビになっちゃったやつ。さすがにこれはもう読めない。ページがくっついちゃってるし」
サリアは無言でまた毛布の中に潜り込んだ。
「ちょっと、なんでまた寝ようとするの」
サリアはめんどくさそうに顔だけ出して、
「なんでそんなゴミを私が欲しがると思ったんだ?」
「ゴミじゃないよ、ちゃんとした本だよ。ページがくっついて読めないだけで」
「それをゴミって言うんだよ」
そしてまた毛布に潜り込もうとするので、ミリアーネは無理矢理毛布を引っぺがした。ベッドの上で寒そうに丸まったサリアが寝ぼけた声で、
「やめろよ、何がしたいんだ」
「だから物々交換がしたいって言ってるのに」
サリアはうんざりしながら、
「じゃあゴミ箱の中にある物を持って行っていいぞ」
「ゴミじゃん!いらないし」
「わかったわかった、私の小物コレクションから1つやる」
もういい加減うっとうしくなってきたので、サリアは気だるげに起き上がり、机に置いてある小物を取って渡した。クマをかわいくデフォルメした陶製の置物なのだが、先日うっかり床に落としてしまい、真っ二つに割れてしまった物だった。
「なんかこれ、割れてない?」
口を尖らせるミリアーネ。サリアは毛布を敷き直してそれに潜り込みながら、
「錯覚だ」
「いや、どう見ても2つだし」
「ゴミと交換してやるんだ、これで十分だろ」
毛布から手だけ出して追い払う仕草をするので、ミリアーネは渋々自室に戻った。これを次の交換に持って行く前に、まずは修復作業をしなければ。早くしないと本が売り切れちゃう。
◆
ミリアーネが帰ってしばらくしてからようやくベッドから出たサリアの部屋へ、エルフィラが入ってきた。
「サリア、起きた?朝食の時間終わっちゃうわよ」
「今起きた。着替えるから、ちょっと待って」
そう言いながらパジャマを脱いでいく。さすがのエルフィラでも友人の着替えをまじまじと見るようなデリカシーに欠ける行為はできなかったので、彼女が視界に入らないように机の上の小物などをながめていると、ガビガビになった本が置いてあるのに気がついてしまった。
(あっ!これは……)
エルフィラは顔を真っ赤にして、手で覆いながら、
「ね、ねえサリア、言いにくいのだけれど、この本、片付けた方がいいんじゃないかしら。ユーディトさんがお掃除に来るかもしれないのだし……」
サリアは服に袖を通しながら、エルフィラはなんで顔を真っ赤にしているんだ、と不思議に思っていたが、ようやくエルフィラが言わんとしていることに気付いた。こちらもまた顔を真っ赤にして、
「ち、違う!誤解だ!断じてそんな本じゃない!」
そして本を開き、エルフィラの眼前に突き出しながら、
「内容も普通の小説だ!ほら、見てくれ!」
エルフィラは顔を背けながら、
「やめて、お願いだからそんなモノ近づけないで!」
先ほどの経緯を説明して、ようやく理解してもらえたサリア。
「机に置いてもゴミ箱に捨てても誤解を生むから、あの本引き取ってくれない?交換と言わず、タダでいいから」
「いえ、タダでもいらないわ……ただのゴミだし、誤解を招くし」
その時、ユスティーヌが部屋に入ってきた。
「エルフィラがサリアを呼びにいったまま戻ってこないから見に来たぞ」
サリアの中で悪知恵が働いた。そうだ、何も知らないユスティーヌに押しつけてしまおう。
「呼びに来てくれてありがとう。お礼にこの本をあげよう。いらなかったら捨ててくれ」
ユスティーヌはよく見もせずに受け取って、
「なんだいきなり?まあいただくが。それより、早く食堂に行かないと朝食時間が終わってしまう」
ミリアーネは部屋に閉じこもって食堂に来なかった。また何か変なこと考えてるんだろう、と思いながら部屋に戻り、貰った本をよく見てみると、ガビガビになっている。
(なんだこれは!サリアのやつ、ゴミ処理を押しつけたな)
憤っているところへ、ノックをしてユーディトが入ってきた。そうだ、こいつに頼んでしまおう。
何かご用は、と尋ねる彼女に、
「手間だけど、このゴミ捨てといて」
ユーディトが渡された物を見てみると、ガビガビでページがくっついてしまっている本だった。しかし注意深くページを離せば、また読めるようになりそうだ。メイドの控え室に戻った彼女は、その作業を始めた。
◆
朝食も抜かしてクマの置物の修復作業に没頭していたミリアーネは、ようやく2つを糊付けすることができた。誰に交換を持ちかけようか考えながら廊下を歩いていると、正面からユーディトが歩いてくる。そうだ、ユーディトさんにお願いしよう、と思っていると、向こうから話しかけてきた。
「お嬢様からこの本をいただいたのですが、こういうジャンルはミリアーネ様がお好きではないかと思いまして、お渡しにうかがおうと思っていたところでした。状態は悪いですが、よろしければ」
「え、いいんですか?じゃあ、代わりにこれあげます」
見返りは結構ですと言うユーディトに、これがルールだから、と無理矢理クマの置物を渡して、さてどんな本をくれたんだろうと手元を見てみた。
「あれぇ?」
サリアの部屋に再びミリアーネが現れて、再び言った。
「物々交換をしよう!」
「またか。今度は何を持ってきたんだ」
呆れながら見ると、さっきの本だった。
「私のおすすめの本だよ」
「いい加減にしてくれ……」
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