26.エルフィラ至福の日々 ②

 サリアは平原を歩いていた。平原といっても、周りには木も無く、地面には草も生えていない。土と石ころだらけの地面、それが地平線まで延びている。山も無ければ川も見えない。見上げた空は、今まで見たこともないような赤土色。

 なぜ自分がここにいて、どこに向かって歩いているのかもわからない。とにかく歩いていれば人家が見つかるかもしれないと思うが、行けども行けども同じ景色が延々と続く。不思議と飢えや渇きは感じないが、服以外に身につけている物は何も無い。


 ついにサリアは歩くのをやめ、その場にしゃがみ込んだ。この先一生歩き続けても、見える景色は変わらないだろうと思ったからだ。そして理解した。自分はこの世界で唯一生き残った生命体なのだ。

 恐怖に近い孤独感がサリアを襲う。親しい人間どころか草木すら無くなった世界で、寿命が尽きるまであと何年間生きなくちゃならない?それを考えると、涙が溢れてきた。歩く以外に何もできない世界、そんな世界になぜ自分だけが取り残されたんだろう。気がどうにかなりそうだ。そして泣きながら呟いた。


「お父さん、お母さん、ミリアーネ、エルフィラ、ユスティーヌ、会いたいよ……」





 目が覚めた。いつも通りの自分の部屋だ。まだ瞼の裏に涙がたまっている。袖で涙を拭き、窓から外を見ると、月光に照らされて木が見える。地面には草も生えている。よかった、元の世界だ。


(しかし、なんて悪夢だ)


 今朝、ミリアーネの悪夢の話を聞いたから、それに影響されてしまったのだろうか。


 水を飲み、もう一度寝ようと横になったが、どうしても寝る気になれない。さっきの夢のせいで、誰かに甘えたい気分だった。もっと言うと、人間の体温を感じたい。生命の温もりを。

 我ながらなんと女々しい、とは思うものの、寂しさはますます募ってくる。部屋の中に一人でいることが耐えられなくなりそうだ。ついに意を決して、部屋から出た。

 

 こんなことを頼めるのは、いつもの3人以外にいない。その中でも一番包容力があって、優しく慰めてくれそうなのは――――サリアは迷わずエルフィラの部屋へ向かった。そして部屋のドアをノックしようとして、思いとどまった。いくらなんでも真夜中に迷惑千万ではないか。しかし、自分一人では寝る気になれない。サリアはドアの前をぐるぐる回りながら悩んだ。そして昨晩自分の部屋の前を行ったり来たりしていたミリアーネも、同じようなことを考えていたんだろうと気付いた。じゃあ、今度は私が迷惑をかける側になってもいいか。昨晩はかけられる側だったんだし、ミリアーネみたいに汗もかいてないし。

 そうやって都合良く考えて、ドアをノックした。


「エルフィラ、ちょっといい?」





 エルフィラは部屋のドアの前を徘徊する足音で目を覚ました。外は真っ暗。ということは、まだ真夜中だ。こんな時間に自分に用がある人間は思い当たらない。この状況は昨晩のサリアと同じだ。サリアはアサシンと思ったと話していたが、まさかそんなことはないだろう。自分がアサシンを雇われるような大物になったとは、残念ながら到底思えない。とすると、一体誰かしら?

 寝ぼけ頭のエルフィラが導き出した結論は、


(夜這いだわ!)


 男性騎士と女性騎士の宿舎は別になっていて、風紀維持の観点から往来は禁止されており、露見すれば最悪の場合騎士団追放もありえる。そんなリスクを背負って私に夜這いしてくるなんて、なんだかサリアのよく読む恋愛小説みたい。

 そして大慌てで部屋の中を片付けようとして、ふと冷静になった。いや、おかしい、おかしい。なんで男性を部屋に招き入れようとしてるのかしら?


(申し訳ないけど、丁重にお断りしましょう)


 そう考えたところへ、ノックの音がした。


「エルフィラ、ちょっといい?」


「えっ、ええーー!?」


 夜這いをかけてきたのは、まさかの女性ではないか。しかも、今まで友人として接していた女性!昨夜はミリアーネと一緒のベッドにいた、あのサリア!

 混乱するエルフィラの耳に、部屋の外からサリアの声が聞こえる。


「エルフィラ、すごい声したけど大丈夫?起こしちゃってごめん。入っていいかな?」


「どっどどどっ、どうぞ!入って!」


 エルフィラの声はもう裏返っている。ばつが悪そうな顔で入ってきたサリアは、しばらくモジモジしてから話し出した。


「ちょっと、恥ずかしいお願いなんだけどさ」


(そりゃそうでしょう。恥ずかしくなかったら幻滅よ……)


 独り合点して頷くエルフィラ。サリアがついに本題を言う。


「私といっしょに、寝てくれない?」


「きっ、きっきき、来たああぁっ!!」


 エルフィラの雄叫びに目を丸くするサリアにかまわず、彼女は勢い込んで尋ねる。


「サリア、確認しておきたいのだけれど、私たち、友だちではなくなるということよね?」


 いや、しかし、今の今まで友人だと思っていたサリアをいきなりそんな目で見ることはできない。まだ心の準備ができていない……!

 エルフィラの葛藤をよそに、サリアは不思議そうに答える。


「え?私は友人だと思ってるよ。こんなこと友人にしか頼めないよ」


 エルフィラの頭が再び混乱する。


(ど、どういうこと!?サリアの中では友人ってそういう位置づけなの?でも、それなら昨晩のミリアーネとの関係も納得がいく……!)


 とすれば、今夜自分の部屋に来ているのはマズいのではないだろうか。エルフィラはそれを聞いた。


「もうひとつ聞きたいのだけれど。昨日はミリアーネと一緒にいたわよね?今日は私と一緒にいること、ミリアーネは許してくれてるの?」


 サリアはきょとんとして、


「え、なんでミリアーネの許可がいるんだ?ミリアーネは関係ないよ」


(ああもう、わけがわからないっ!サリアの価値観どうなってるのよ!?)


 エルフィラの頭は混乱の極みである。頭を抱えて動かなくなってしまったエルフィラを見て、サリアは理由の説明をしていなかったことに気がついた。


「そっか、なんでこんなお願いをするかを説明してなかった。恥ずかしいんだけど、変な夢を見て――」





 サリアの説明は、欲望まみれのエルフィラの頭脳でも理解できた。と同時に、自己嫌悪感に襲われた。


(なんで夜這いなんて発想が出てきたのかしら……私の頭の方がよっぽどどうなってるのよ……)


 また頭を抱えてしまったエルフィラを見て、サリアがしょんぼりしながら、


「やっぱり嫌だよね。ごめん、私がわがまますぎた」


 そして出て行こうとする彼女を、エルフィラは慌てて引き留めて言う。自分を頼ってくれる人を、見捨てられるわけがないではないか。


「いえ、サリアは何も悪くないの。ちょっと自分が嫌になったというか……。とにかく、私でよければ添い寝するわよ?」





 エルフィラはまんじりともできずにいた。同性との添い寝、これだけでも彼女にとっては刺激が強すぎた。もし本当に夜這いだったら、興奮のあまり心臓が破裂して死んでいたろうと思われた。

 いま、サリアは彼女に背を向けて眠っているが、その体からえも言われぬ芳香が漂ってくるのだ。エルフィラは鼻息荒く考える。


(ちょっとちょっと、サリアは全身くまなく香水でもつけてるわけ!?この芳醇な香りはなんなの!?)


 しかし、彼女が香水の話なんかしているのを聞いたことがない。むしろそういうのには疎い方だ。この間一緒に街に行ったときも、本屋以外は見向きもしなかったではないか。かといって、浴場の石鹸でついた香りでもない。同じ風呂に入っているのだから、自分もその香りは知っている。今の香りは、明らかに浴場の石鹸とは違う。


 どういうことかしら?しばらく熟考したエルフィラは、ついに勝手な結論を導き出した。


(フェロモンよ!)


 本で読んだことがある。動物が発するフェロモンにはいくつかの種類があるが、その主な種類の一つは異性を引き寄せるものだという。


(つ、つまりサリアは無意識のうちに異性を誘うための臭いを振りまいているってこと!?)


 いつもダウナーでクールぶっているサリアが、無意識下ではフェロモンをまき散らしている。その考えが、エルフィラをいたく興奮させた。


(同性の私にも効果を発揮してるじゃない!どれだけ強いのよサリアのフェロモンは!)


 エルフィラの興奮はますます高ぶってゆき、鼻をハスハスしながらありったけの香りを吸い込む。仮に誰かがこれを見ていたら恥ずかしさのあまり死にたくなっただろうが、ここは自分の部屋。誰の邪魔も入らないのである。


 そうこうするうち、サリアが寝返りをうって顔をこちらに向けた。もともと狭いベッドだから、2人の顔の距離はほんのわずかだ。その寝顔は安心しきった様子で緩み、起きているときのちょっと険のある顔とはギャップがある。それがまたエルフィラを興奮させた。


(あああああ!あなた、どこまで私を惑乱させれば気がすむわけ!?)


 エルフィラの興奮は一晩中続いた。





「エルフィラ、まだ起きないのか?朝食が終わってしまうぞ」


 朝。ユスティーヌがエルフィラの部屋のドアをノックしている。昨日に続いて、今朝はサリアとエルフィラが朝寝坊だ。まったく皆たるんでいるわいと思いながら、部屋まで起こしに来たのだった。

 何回かノックして声をかけているが、中から反応は無い。もしかしたら体調不良か?ユスティーヌは部屋に入ることにした。


「エルフィラ、入るぞ?」


 ドアを開けると、2人は同じベッドで寝ていた。サリアは眠っているが、エルフィラは目を開けている。


「なんじゃ、起きているなら返事せい。それにしても、最近は狭っ苦しい思いをしながら2人でベッドに寝るのが流行っているのか?」


 小言を言いつつ2人に近寄ると、エルフィラの異変に気がつき、言葉を失ってしまった。目には隈、鼻から鼻血、そして口は「香り、フェロモン、……」などとわけのわからないことを呟いている。エルフィラがおかしくなってしまった!茫然とするユスティーヌのもとへ、ミリアーネがやってきた。


「サリアの部屋に本人はいなかったよ。おや、こっちで2人で寝てたのか。って、エルフィラ、どうしたのその顔!」


 ミリアーネですら驚く有様だった。




 その日の4人の朝食は異様な雰囲気に包まれていた。それというのも、鼻血止めの布を鼻に突っ込み、隈ができた目の奥だけをらんらんと光らせたエルフィラの姿があったからである。いつもだったらサリアの夢の話を聞いたミリアーネが、「サリアは寂しがり屋だなあ」とかおちょくるのだが、今日はそんな気にもなれない。それほどエルフィラが異様だったのだ。

 エルフィラの隣では、サリアが心底すまなそうに謝っている。


「本当にごめん。まさか、あれから一睡もできてないなんて……。私が邪魔だったせいだよね」


「サリアのせいじゃないわ。気にしないで。なんだったら、今日も一緒に寝てもいいのよ?むしろ寝ましょう?」


 エルフィラが優しく微笑む。いつもだったら聖母のように見えるその微笑みも、今日は目と鼻のせいで、さながら魔女の笑顔のようだ。


「いや、ありがたいけど、今夜は遠慮するよ。エルフィラ今夜も眠れなかったら、本当に死んじゃうよ……」


 エルフィラは残念に思ったが、それでいいような気もした。これ以上あんなことが続いたら、私は理性を保てる自信がない!


「気遣ってくれてありがとう。サリアは優しくて美しい、完璧な女性ね。それはさながら一本のバラ。そして私はその匂いに誘われる蝶……」


 サリアは顔を赤くして、


「やめろよ、なに恥ずかしいこと言ってるんだ」


「いいえ、謙遜しなくていいのよ。サリアはもっと自分の魅力に気付いた方がいいわ。放っておくと、そのうち死人が出かねない」


 ベタ褒めを受け、真っ赤になってうつむいてしまったサリアをよそに、ミリアーネとユスティーヌは目を見合わせて、無言で頷き合った。


(エルフィラは今日もおかしいぞ)


 今日は訓練休めば?としきりに心配する2人に対して、エルフィラは瞳をらんらんと輝かせながら言う。


「いいえ、今日も私はやる気に満ちあふれている!今ならランニング100周でも余裕でできる気がするわ!」


 そして意気揚々と食器を戻しに行く後ろ姿を見ながら、3人は顔を寄せてささやき合う。


「エルフィラ、本当にどうしちゃったの?」

「なんでかわからんが、サリアが一緒に寝たせいでおかしくなったと思われるな」

「理由はわからないけど、私のせいだ。エルフィラ、本当にごめん……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る