25.エルフィラ至福の日々 ①

 「サリア、頑張って!」


 ミリアーネが必死にサリアを激励する。2人は広い草原を走っていた。すぐ後ろに敵軍の追っ手が迫っている。鎧や糧秣も含め、命を預ける剣以外に捨てられるものは皆捨てた。が、サリアが足に傷を負っているため、どうしても速く走れない。


 数日前、公国は突如として隣の王国に宣戦布告。王国との関係は良好だったのになぜ?しかも公国と王国では国力が違いすぎる。本当に勝てるのか?と誰もが訝しんだ。全国民の不安の中で遠征軍が組織され、公国直属の騎士団からも一部が参加することになり、ミリアーネとサリアはその中に入れられたのだった。しかし遠征軍は予想通りの大敗北。将兵たちは散り散りになって敗走した。


 追っ手との距離はどんどん縮まる。このままでは間もなく追いつかれるだろう。サリアは立ち止まった。


「ミリアーネ、私はここまでだ。時間を稼ぐから、その間に逃げろ」


 ミリアーネはびっくりした。そして悲しい――悲しいというより、胸が張り裂けそうな――気持ちになった。


「諦めちゃだめだよ!走って!」


 サリアは静かに首を振り、言う。


「私に合わせていたら、2人とも戦死だ。ミリアーネだけでも無事に首都に戻るんだ。首都にはエルフィラやユスティーヌも残ってる。みんなで協力して、私の仇を討ってくれ」


 そして追っ手に向かって駆けていこうとする。ミリアーネは慌ててサリアの腕を掴んで、泣かんばかりに、


「嫌だよ、そんなの!一緒に戻ろうよ!ねえってば!」


 サリアは振り返ってミリアーネを睨むと、乱暴に彼女を突き飛ばした。思わず尻もちをついてしまったミリアーネの頭上に、サリアの怒声が浴びせられる。


「早く行け!私の死が無駄になるだろうが!」


 そして今度こそ追っ手に向かって駆け出していってしまった。


「サリア!だめだって!」


 ミリアーネの絶叫にも、もう彼女は振り向かない。


「サリア!!!」





 自分の絶叫で目が覚めた。周りを見回すと、いつも通りの自分の部屋だ。外は真っ暗で、まだ真夜中。汗びっしょりで気持ち悪い。


(夢か……)


 なんてひどい夢だ、と思った。次に、夢でよかった、と思った。本当に良かった。王国と公国は戦争してないし、サリアも生きている。

 そしてその次に、不安になった。本当に夢だよね?あの後昏倒して、いま意識が戻った、なんてことはないよね?サリアは本当に死んでないよね?


 馬鹿馬鹿しいとは思いつつも確かめに行くことにして、部屋を出てサリアの部屋の前まで来た。そこで躊躇した。このドアをノックすれば確かめられるけれど、サリアを起こすことになる。彼女が気持ちよく寝ているのに迷惑極まりない。どう考えてもあれは夢だし。でも、万一現実だったら……

 そんなことを考えながら、ドアの前をぐるぐる回っていたが、ついに意を決してノックすることにした。この不安を抱えたまま、朝まで我慢するなんてできない。サリアを起こしちゃうけど、謝れば許してくれるよね。

 ドアを叩いて、


「サリア、生きてる?」





 サリアは部屋のドアの前を徘徊する足音で目を覚ました。外は真っ暗。ということは、まだ真夜中だ。こんな時間に自分に用がある人間は思い当たらない。一体誰だ?

 そして寝ぼけ頭のサリアが導き出した結論は、


(アサシンだ!)


 ついに自分もアサシンを送り込まれるような大物になったというわけか。中堅幹部だったらしいけど、この間盗賊を捕らえたからな。盗賊団が復讐のためにアサシンを雇ったのかも。

 そして剣を抜き、ドアを開けて入ってきた瞬間にたたっ斬るつもりでドアの横に立った。しかし敵はドアの前を長いこと行ったり来たりして、なかなか入ってこない。


(長いこと逡巡してる。私が怖いんだな。私の実力はアサシン界にも知れ渡っているとみえる)


 都合良く解釈していると、ドアをノックする音が聞こえた。ずいぶん丁寧なアサシンだな、と思うところへ、聞き慣れた声が聞こえた。


「サリア、生きてる?」


 なんだ、ただのミリアーネか!

 がっかりしたような、安心したような気持ちでドアを開けると、青白い顔をしたミリアーネが立っている。サリアの顔を見るなり、泣きそうな顔をして、


「よかった、生きてる。本当に王国と戦争して、敵に突っ込んでいってたらどうしようかと思った」


「待て待て、話がさっぱりわからん。とりあえず中入って落ち着け」


 理解不能なミリアーネの話を理解すべく、椅子に座らせて落ち着かせようと肩に手をかけて、彼女が汗だくになっていることに気付いた。


「うわ、汗びっしょりじゃないか。どうしたんだ」


 ミリアーネは安堵と疲労の混じった声で答える。


「夢……」


「ゆめ?脱・モブキャラのことか?」


「そっちじゃなくて、サリアが死んじゃう夢」


「おい、そんな夢を抱いていたのか!」


 私と仲良くする裏でそんな野望があったとは!というか、本人の前で言うか?

 ミリアーネは急いで首を振る。


「違う、抱く方じゃなくて、見る方の夢。その中でサリアと私は王国への遠征軍に参加したんだけど、サリアが足に傷を負ったから、逃げるに逃げられなくなって、敵に向かって駆けていっちゃって……」


 またミリアーネの話が理解不能になってきたので、サリアは遮った。


「待て待て、いっぺんに話すんじゃない!ちょっと水汲んでくるから、それ飲んで落ち着け」




 サリアが井戸から水を汲んで戻ると、ミリアーネは安心したような顔でベッドで寝ていた。


(なんだ、寝ちゃったか)


 やれやれ、と肩をすくめるサリア。そこで気付いてしまった。


(こいつ、あの汗で私のベッドに寝やがったな!)


「おい、ここで寝るんじゃない。自分の部屋で寝ろ」


 何度揺すぶっても、ミリアーネは起きる気配が無い。サリアに残された選択肢は2つ。汗みずくのミリアーネの横で寝るか、ミリアーネの部屋で汗まみれのベッドに寝るか。自分の不快度を比較し、彼女は前者を選んだ。

 なんて迷惑なヤツだ、とブツブツ言いながら彼女をできるだけ奥へ押しやり、空いたスペースに窮屈に体を縮めた。





「サリア、まだ起きないの?朝食の時間終わっちゃうわよ」


 次の朝。エルフィラがサリアの部屋のドアをノックしている。いつもだったらとっくに4人揃って朝食をとっている時間なのに、今日はいつまで経ってもミリアーネとサリアが来ないので、部屋まで起こしに来たのだった。

 何回かノックして声をかけているが、中から反応は無い。もしかしたら体調不良かしら?エルフィラは部屋に入ることにした。


「サリア、入るわよ?」


 エルフィラはドアを開け、そこで息を呑んだ。そして叫んだ。


「きっ、来たあっ!」


 いつもの言葉遣いも忘れた彼女の目に映ったのは、ベッドの上で抱き合って眠る2人だった。本当のところはミリアーネが寝相の悪さゆえ無意識にサリアに抱きつき、抱きつかれたサリアが苦しそうに眠っているだけだったのだが、エルフィラの欲望を反映した目にはそうは映らない。


「や、や、やっぱり2人はそういう関係!」


 一人で大興奮しながら鼻息荒く2人の姿を凝視しているところへ、ユスティーヌがやって来て言った。


「ミリアーネの部屋に本人はいなかったぞ。ってなんじゃ、こっちで2人で寝てたのか。なんでわざわざ狭いベッドに2人で寝るんだ?」


 エルフィラはユスティーヌの方を振り向く時間も惜しいかのように、2人から目を離さずに言った。


「いえ、いいの。これが2人の正しいあり方だったのよ……!」


「どういうことだ?……まあよい、早く2人を起こさないと」


「まだダメ!!」


 大音量でエルフィラが止めたので、ミリアーネの目が覚めてしまった。目をこすりながら、


「あれ、2人ともおはよう」


「おはよう!そしてごちそうさまでした!!」


 またしてもエルフィラが大音量で叫んだので、サリアの目も覚めた。





 朝食を急いで食べながら、ミリアーネは昨日の夢の説明をした。さすがに今は頭もしゃっきりしているので話の筋道も通り、サリアにも理解できる。


「そんなことで部屋まで来たのか。私はてっきりアサシンかと」


 ミリアーネは申し訳なさそうにして、


「ごめん、悪かったと思ってる」


「なんでアサシンという発想が出てくるんだ?」


 ユスティーヌの当然の疑問をサリアは聞き流し、ちょっと照れながらミリアーネに言った。


「まあいいよ。そこまで心配してもらえるのも、悪い感じはしないし」


「また来たあっ!」


 エルフィラがまた叫びだしたので、3人は驚いて彼女を見る。エルフィラは息を弾ませながら、


「ちょ、ちょっと2人とも今日はどうしたのよ?私にそんなに見せつけて、どうしようっていうの!?」


「いや、おぬしの方がどうしたんじゃ……なんか今日変だぞ。さっきから息が荒いし」


 ユスティーヌの心配する声も耳に入らず、彼女は鼻息荒く問いかける。


「そ、それで2人はなんで同じベッドで寝てたの!?」


 サリアが苦笑しながら、「ああ、それはね」と説明する。どこからどう聞いても悪夢で汗びっしょりになったミリアーネが寝ぼけたままサリアのベッドで寝てしまい、ミリアーネは悪夢の疲労から、サリアは寝苦しさから寝坊した、ということなのだが、エルフィラの欲望にまみれた脳はそう解釈できない。


(ベッドの上で汗みどろ、疲労で朝寝坊……それって、そういうこと!?)


「ごちそうさまでしたあっ!!」


 エルフィラの再度の大音声が食堂じゅうに響き渡る。ミリアーネが目をぱちぱちさせながら、


「え、もう食事いらないの?まだたくさん残ってるけど……」




 食事を終えると、エルフィラが勢いよく立ち上がった。


「さ、訓練行きましょう!私、今ならランニング50周でも余裕でできる気がするわ!」


 そして意気揚々と食器を戻しに行く。その後ろ姿を見ながら、3人は顔を寄せてささやき合う。


「エルフィラ、今日どうしちゃったの?」

「私もわからん。おぬしらの部屋に行ったときからああなんじゃ……」

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