第一章 七話 黒白のひかり 

 刃と刃の重なった場所から、ちりちりと月色の火花がちいさく上がる。


「……ちぃっ!!」


 影虎は大きく舌打ちをした。鞘を持った手の皮膚に、びりびりとした電流のようなものが走り、血脈を傷つける痛みが走った。

 雪のように白い月白の刃に、己の顔が霞のような輪郭を纏ってうつっているのを確認する。

 龍生は影虎の険しい顔を改めて見て、ほうとかすかに息を漏らした。


「なるほど……。そなた、男かと思っていたが、おなごか。面白い」


 皮肉な笑みを浮かべる。


「女だったらどうしたってんだよ!」


 影虎はかっとなって、額を赤くするが、龍生は、面白いものを見つけたというように、切れ長の灰青色のひとみを眇めるだけであった。


「二口の吸血刀を手に入れた者は、吸血鬼となり、人間体では手に出来なかった力を手にできる」


「なんだと……」


「私はそなたの『陽黒切春景』を手に入れ、この世で一番強大な力を手にし、現帝を弑し、己が天下を取る」


「なっ……!!」


 影虎は龍生の刀を押し返した。刃の間に白い花弁のようなひかりが散り、周囲に訪れていた闇に溶けて消える。

 飛び上がり、刀を一度ゆらめかせると、影虎は後ずさった。

 荒く息をつき、肩を大きく動かすと、彼女の白いこめかみから透明な汗の粒がこぼれた。

 瞳を半分伏せ、目の前の龍生を睨む。急に速く動いたせいで、彼の体がしろい蜃気楼のような残像に見えていた。

 焦点が定まるまで一定の時間がかかった。

 息をととのえると、歯噛みする。八重歯が鈍くひかる。


(だめだ……。こいつは辻斬りで何人もの血を刀に吸わせてる……。今の刃の強度はこいつの方が上だ。このまま斬りあってても圧し負ける……。考えろ。考えるんだ)


「時に影虎。刀が一番好むのはどのような血が知っているか」


「は……」


 影虎が顔を上げたとき、一陣の風が吹いた。小刀で斬られたような鈍い痛みが、彼女の頬にすっと走った。

 本能でさっと右手で刀を抜くと、体の前に構える。そこに白い刃の斬撃が落ちた。黒白入り混じったちいさな雷が、影虎の目の前でほとばしった。


「くうっ……!」


 力を込めて刀を押し返そうとする影虎の苦しそうな顔を見て、龍生は薄ら笑いを浮かべた。そのまま刀に顔を近づけると、彼女を抱きしめるように、耳元でそっと囁いた。


「子供の血だよ」


 静かであたたかいのに、ゆびさきをそこに深く潜らせると、氷つくような声だった。

 影虎は龍生の白い頬を見遣って、ゆっくりと目を見開いた。眉間の皺を深くし、さらに強く歯を噛むと、額や鼻の上に細やかな汗の粒を浮かせた。


「……葉牙助!! 逃げろ!!」


 振り絞るような影虎の声が、薄闇を切り裂くように響く。

 うずくまって、肩で息をしていた葉牙助は、頬を叩かれたように目を見開いた。


「はっ……、はっ……」


 小刻みな呼吸をすると、おろおろと立ち上がった。胸元に手をあて、怯えたようにゆるく震わせると、影虎をそっと見遣った。

 影虎は彼に視線だけを送った。怒っているような金色の目が、ここから逃げろ、と強く訴えている。

 葉牙助は彼女を黙って見つめたまま、一歩、二歩と後ずさり、背を向けると、森の中へと駆けて行った。本能的なものだった。

 無我夢中で手足を動かし、森の果てへと向かう。足袋を履いているというのに、土の感触が足裏にしっかりとつくように感じた。影虎を置いてきてしまったということへの罪悪感も、その時は恐怖と過去の嫌な記憶に支配され、考えることができなくなっていた。

 周囲の森の背景が、粒のような白黒へと変化し、重なって飛んでいく。


「あっ」


 景色が暗転する。

 足袋で包まれた足のゆびさきに、痛みが走った。鈍いがくっきりとしたそれは、勢いよく走っていた彼の体の中心まで、響くように届いた。

 どさり、と子犬が漁師に撃たれたように、葉牙助の体がうつ伏せに地に倒れた。


 「ちいっ……!」


 影虎は力を込めて、龍生の刃を打ち返すと、龍生が刹那、気を取られた隙を見て体を逸らし、倒れた葉牙助の元へ駆け寄る。

 片腕の中に包むように抱きかかえて、素早く走り出した。

 額を打って気絶した葉牙助の手足がぷらぷらと揺れた。


「逃げても無駄だというに……」


 龍生は蹴られた刀を上向け、そっとその白をいっとき見つめた。そして、さっと刀を振って腰の鞘に戻すと、影虎たちを追いかけようと脚を動かす。だが、途中でふらりと体勢を崩す。彼のまとった白い着物の残像が、はらりと花弁のように跡を引いて薄闇の中に漂った。


「ちぃっ……」


 龍生は、かくりと片膝をつく。俯くと、赤い花緒をもった黒光りする漆の下駄が、着物の裾をかるく踏んでいた。踏まれた箇所が、黒く汚れている。

 はっ、と息を吐くと、細い眉を寄せた。どこともつかない視線を、森の木々の間に送った。


「やはりこの姿だと限界があるか……」


 地についた細く長いゆびさきを上げると、黒く僅かに湿った土がついている。

 龍生はそれを目にし、自嘲するように口角を上げると、一度頭を振った。ほつれていた髪がさらにほどけ、花が開いたようにつややかな細い髪が乱れ落ちる。

 薄紫色の紫陽花の模様がうっすらと描かれた帯に、細いゆびさきをかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る