「馬鹿野郎! なんで、なんでそんな顔してるんだよ! 俺の知ってるレーカはそんなじゃない。俺の……俺の憧れた姿はそんな負けを考えるような、弱々しい姿じゃない!!」


 ネフテュスが、吠えた。

 きっと立ち上がるだけで精一杯だろう。無数の擦り傷は一歩踏み出そうとするだけで目元に力が入るくらいだ。

 ただただ痛い。

 それでもネフテュスに言わないという選択肢はなかった。そこにはネフテュスの抱える想いも込められていたが、心のままにぶちまける。


「立て、立ち上がれよ! レーカ!! もしかしたら、先に俺が倒してしまうかもしれないぜ……」


 ネフテュスは今のままではただの痩せ我慢だ。しかしそれを実現するために、血流を開放させる。

 ドクドクと血管が脈を打ち、血の圧力が背中へ収束。全身へ一気に流れ込み、身体能力が上昇する。そしてさらに、甲殻武装から噴出する蒸気に身を包んだ。

 ネフテュスに影響を受けて、ロニも血流を加速させる。シロキも地をしっかりと踏んで甲殻武装を握った。

 プリモは左腕が使い物にならないものの、手甲を纏った右手ごと前へ突き出す。そしてプリモは眼をカッと見開き、甲殻武装を変形させる。

 しかし、彼らの姿勢は戦闘のためではない。


「立ってくれ、レーカ!!」

「「「お願い、立って!」」」


 皆の声援が、レーカに届いた。

 すべてはレーカに声を届けるための踏ん張りだ。


(……夢の時と、違う?)


 レーカは仲間たちの光景を見て、ふと思う。

 まるであの時見た夢から現実が離れていく──そんな感覚。一斉に立ち上がる姿にレーカの心は再び奮い立った。


(こんなの……負けて、いられない……!! 私は──)


 絶対に勝つ。

 その心持ちで傷ついた脚を一歩前に踏み出した。


「【フォーミュラ・バースト】!!」


 両側の手首に三重の腕輪模様が現れ、ドクドクと血管が波を打つ。纏うオーラは青焔せいえんの如く燃えている。

 彼女は透明な翅を上下させて空を飛翔した。

 移動のために空を舞うのは、正直なところあまり良い方法とは言えない。三百六十度に敵が入り込む隙を与えてしまうからだ。しかし、今のレーカが機動力を獲得するには必要不可欠だろう。


「はぁっ!!」


 レーカは宙を滑空し空高く昇ると、足下へ向けて太刀を振るった。


「させるかよ」


 ハイネもバイブレーションにも似た翅音を立てて空を登る。斬撃を見事に躱し、拳をレーカの喉元へ──。


「ぐっ、ぎぃぃ……」


 刀身で拳を受ける。手首から肘までが痺れるくらいにハイネの一撃は鋭くて、重かった。拳と鍔が競り合い、お互いに弾かれてしまう。


「まだまだ、ここからだ」


 今度は反対側の拳がレーカの左肩に直撃する。


「ぐ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──。

 危険信号が頭の中で響く。アラートは絶え間なく鳴り続けている。

 肩に打撲痕はしっかりと残っていて、左腕はあまり信用できない。レーカは一度飛び上がり、右手に握る太刀を垂直に振り下ろした。

 ──そして、切り返し。スン、と振り上げる。

 距離を無視した斬撃がハイネに直撃する。右手首に斜めの切り傷が入り、その部分から出血する。


「はぁ、はぁ……っ」


 ハイネからも喘ぎに似た吐息が漏れる。その表情は苦痛に歪んでおり、ハイネも完全とは言えない。

 たった傷一つが増えただけで呼吸が荒くなるのかと聞かれれば、それは違うとレーカなら答えるだろう。しかし今の様子を見るに、ハイネは傷の一つで戦況が覆る可能性がある。

 レーカの脳裏に浮かんだ言葉は『我慢比べ』。まさしくこれは、持久戦が鍵となるかもしれない。


(そうだ、多分……ハイネも)


 着地と同時に袈裟懸けの一閃。手首を右下へ伸ばすように、無理のない動きで振り払う。斬撃をハイネは飛び上がることで避けるが、やはりと言うべきなのか、腕の動きのみで斬撃を予測するのは難しく、太もものあたりに亀裂が入っていた。


「ちィ…………!!」


 擦り傷よりも痛くて、傷痕は思った以上に深い。筋繊維は断裂していないが、上手く力が入らなかった。

 思わず表情が歪む。ハイネは唇を噛み締め、喝を入れた。そして大地を蹴る。


 ──大きく跳躍。

 ハイネはレーカに距離を詰めて、掌打を見舞う。対するレーカは手先を硬化させてひとつひとつ受け止めていく。

 両者共にボロボロの状態だったが、それでも二人の視線の矛先は変わらない。戦う意思は、まだ青く燃え続けていた。


「いくよ、【ムシヒメノツルギ】」


 切っ先をハイネへ向ける。そのモーションを予測してハイネは前へ転がった。くるりと回転して上体を起こすと、クラウチングスタートの要領で加速。

 血流の加速とともに弾き出される瞬発力が、レーカの胴元まで達する。

 そしてそのまま、レーカの顔を片手で掴み上げた。


「うっ、くぅ……っ」

「はぁ、はぁ、はぁ。これ……で、チェックメイト、だ」


 掴まれた指の隙間。ハイネの鋭い眼光と目が合った。


 ──スッと思考が澄み渡る。

 まるで、時が止まったようだ。

 息は詰まるし、視界が暗い。外側のほうは真っ黒だ。この瞬間だけは刻一刻と変化する自分の思考を事細かに認識できた。


 宙に浮いた脚でハイネを蹴り上げる。ハイネは軽く躱し、間合いを空けた。掴まれた手が離れると、徐々に呼吸が回復していく。


「はぁ、げほっ、げほっ。すぅー、はぁー」


 ハイネとの間にある距離はわずか二メートルほど。一瞬にして距離を詰めることができてしまう。

 後退してすぐに身を翻し、ハイネはレーカに接近。掌打を見舞う。


「くぅ……っ!」


 レーカは硬化させた腕で防御するが嫌な音が響く。そのまま意識を強く持ち剣を一閃。斬撃はハイネの肩を裂き、傷口から流血する。ハイネの表情がさらに歪んだ。しかし、痛みに伴う脂汗のようなものは一切浮かんでいない。


(いや、浮かばない。そのほうが正しいかしら……)


 レーカはハイネの『完全』故の弊害に気づく。

 完全だから血液も何も失わない。その前提で身体が構成されているのだろう。だから汗もにじまない。今の状況はまさにその弊害が顕著に現れた瞬間だ。

 ハイネは忌々しいと言わんばかりにレーカを強く睨む。そして今の状況を強く認識した。殻人族という存在から離れてしまった自分の姿と、不完全なレーカという少女を。

 今も果敢に突き進む、少女の姿にハイネの目が眩んだ。


「──そうか。そうだったのか……」


 はっと気がついた頃には既に刃の先が腹部を貫いていた。傷口からは沢山の鮮血が舞い、地面に黄緑を落とす。


「はぁ、はぁ、はぁ。レーカ、ようやく理解したぜ。お前こそが……殻人族の進化、その証なんだろうな…………」


 どうしてレーカは甲殻武装を持たないのか。

 その理由として、殻人族という種が甲殻武装を必要としていないからだと、ハイネは結論づけた。


 ──そしてまもなく、ハイネの意識は闇に落ちる。




「ねぇ、ハイネ。俺はどうしたら強くなれる? この能力を上手に使える?」


 ふと、思い出した。

 今は亡き少年との懐かしい時間。黒髪に混じる白髪は、やや不気味そうだ。目を輝かせながら、ハイネに問う。

 少年は甲殻武装を上手く扱えるように、必死に訓練していた。その姿を横目に、ハイネは昔の殻人族が残した石版を読む。


「この文献によると、昔の災厄は相当わがままだったんだな……」

「なに? 災厄……? 俺もなれるかなー!」


 その質問にハイネは押し黙る。

 しばらくして、少年の頭に手を乗せた。


「……なれるさ、きっとな。その能力は災厄を復活させられる可能性を秘めているよ。でも、どうして災厄になりたいんだ?」

「だって、皆を見返したいから……」

「そうか。それなら、強くならないとな。お前ならきっとなれるさ。進化を導く【魔蟲】にな! そうだろ、サタン」



 ***



 あれからいくつかの月日が流れた。決戦は苦い後味だったが、最後に見たハイネの表情はどこか満足気だったとレーカは思う。


「あ、ネスくん。おはよう」

「おはよう、レーカ」


 ひらひらした白のワンピースに桃色のカーディガンを羽織って、短かった銀髪はまた後ろへ伸ばしている。ネフテュスは黒髪を分けて、額を出していた。白い服の上に黒いジャケットを身につけて、下は紺のジーンズだ。今まで目が髪で隠れたりすることがあったが、最近は短めに押さえている。二人とも、やや多めの荷物を持っていた。


「それじゃあ行こうか」

「うん」


 ネフテュスに手を引かれ、レーカは歩き出す。森の中を歩きながら空を見上げた。

 今日はレーカとネフテュスが久々に二人きりで出かける日。

 レーカは笑顔でネフテュスの隣を歩む。


「あれ、レーカ?」

「え、ルリリ!? それにシロキも。もしかして目的地一緒?」


 ルリリとシロキにバッタリ会った。どうやら行き先も同じのようである。今、レーカたちはタランの森へ続く道を進んでいた。


「それじゃあ皆で行こっか! バカンスに!!」


 スキップしながら皆の前を歩く。



 ──いざ、タランの森へ。

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