殻人族(後編)

 父親の勇姿を目の当たりにしてからしばらくの月日が流れた。


「父さん、俺っていつ生まれたの……?」


 アトラスはある日、父親であるマルスに尋ねた。

 物心ついたときからアトラスはアトラスとして生活してきたために、アトラスは自分が生まれた時のことを全く知らない。

 ただ一つ分かることは、卵から出てきたということだけ。アトラスの生活する村にも数人の子供がいて、皆はまだアトラスに比べてかなり幼い。

 それでも、『いのちが生まれる』という瞬間が一体どういうものなのか、アトラスは知らなかった。


「アトラス。お前はな、間違いなく俺の息子だ! その言葉に嘘は無いぞ? でもこれだけは覚えておいて欲しい。アトラス、俺たちは皆産み落とされた卵から生まれてくる。だから『いつ生まれる』のか、俺たちには知り得ないんだ……」


 進化の末、先祖の虫たちとは違って生存確率が上がったために、一度に産み落とされる卵の数は減った。だがそうだとすれば、マルスの言葉は全くの嘘となってしまう。


「へぇー、そうなんだ! それじゃあ父さんの言葉は嘘だったんだな」


 アトラスは笑いながら言った。

 ──輝かしいばかりの、素敵な笑顔で。


「いーや、それは違うぞ! 俺たちの場合はお前が生まれてくるのを近くで見守っていたからな!」

「そうなの?」


 アトラスは『どういうこと?』と言わんばかりに首を傾げる。


「ああ! もちろんだ! 何せシロナと一緒に見守ってたんだぞ!!」

「え!? 母さんも?」

「そうだぞ! お前の母さんも近くにいたんだ。だから、お前を見失う可能性は万にひとつも無かったんだよ。でも、もし地上だったら、こんなに気を配る必要もないんだ。それだけは申し訳ないと思っている」

「そ、そうだったんだ……!」


 アトラスは驚いたように、そう答えた。

 そして、次にアトラスの口から飛び出た言葉は、アトラスの心の成長が窺えるものだった。


「俺、父さんみたいになりたいってずっと思ってたけど、今の話で少し夢が変わったかもしれない!」

「っ!? アトラス、お前……!」


 驚きのあまり言葉を失ってしまう。

 しかし、マルスは豪快な笑顔を見せる。


「そうか! それは良かった! 正直なところ、俺の背中を見てくれるのは嬉しいんだが、同時に心配でもあったんだ。俺がお前の選択を狭めているのかもしれない……ってな」


 一呼吸おいて、マルスは今まで懸念していたことを伝えた。


「だから俺はお前が心配だった。でも、もうその心配は要らなそうだな!!」


 マルスはどこか曇っていた表情だったのが、今では晴れやかだ。


「アトラス、お前のやりたいことは一体、何だ? シロナがどう言うかは分からないが、少なくとも俺は協力したいと思っているぞ!」

「うん、俺のやりたいことは──」

「それは?」

「地上……俺は、見たことの無いものを見てみたい!」


 アトラスの目標を初めて耳にして、マルスはしばらく考え込む。そして改めて問いただす。


「ほう。それはつまり、世界を見たいということか?」

「うん! そういうこと」


 アトラスが大きく頷いたところで、トンネルの奥から声が響く。

 それとともに、土を踏むも反響する。


「はいはーい! 話は聞きましたよーっ!!」

「し、シロナ!?」

「母さん!?」


 トンネルの奥から現れたのは、シロナ──アトラスの母親だった。

 白い髪に黒のメッシュが入った特徴的な髪色を持ち、肌も白く、全体的に白い。そのモノトーンな容姿は病弱そうな印象を与えるが、口調は病弱からは程遠いものだ。

 そして赤く光る瞳でマルスをじっと睨みながら、シロナはこう告げる。


「話は聞きました! こそこそやってたみたいですが、そんなものは通用しません!!」

「いや! 別にこそこそなんてしてないぞ!?」

「あなた? これをどうしたら、『堂々』と言えるのかしら……?」

「そ、それは……」


 マルスは言葉に詰まった。

 勿論、シロナも怒っているという訳ではない。

 単純に仲間に入ることが出来なかったことが不満なだけであるようだ。


「どうして私も混ぜてくれなかったのよ! 怒るわよ!?」

「どこに怒る要素があった!?」

「そんなことは関係ないのよ! 私もアトラスの夢を聞いておきたかったわ!」


 シロナはマルスの首元を掴んで前後に揺さぶった。


「今、ここで聞けば、いいだろうが……! は、離せ! く、苦しい……!」

「わ、私はなんてことを!  ごめんなさいあなた」


 マルスの──呻き声で我に帰ったシロナはマルスに謝るも、決して首を掴んでいる手を離そうとはしない。


「シロナ……て、手を離せ! マジで息が、息がっ! 洒落にならん!!」


 マルスの顔色は青くなり、額には脂汗が滲み始めていた。苦しそうに息を吐いて、マルスはシロナの両手を掴む。


「ちょっ……母さん!? 一旦落ち着いて!! 父さんが──」


 アトラスはシロナを止めようとするも、シロナはそれを遮って、


「私はねアトラス、あなたの口から直接聞きたかったの……。それなのに、このマルスときたら……本当に何をしてくれるのよ」


 どうやらシロナは、アトラスの夢をマルスが言い換えたところだけ、運悪く聞いていたのだろう。


「まあ、いいわ。そこで私から提案なんだけど、アトラス……学校に行ってみる気はない?」

「学校……?」

「ええ、そうよ。学校っていうのはね、他の殻人族たちと友達になって、共に勉強するところよ。すごーく遠いところにあるけれど、アトラスもきっと色々なものが見れると思うわ」

「そうなんだ! 他の仲間どうほうにも会ってみたいし、俺……学校に行きたい!!」


 アトラスは目を輝かせて、そう言った。

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