殻人族

 ──この世界には、動物とは異なる進化を遂げた存在がいる。


 それは昆虫と呼ばれる存在。


 昆虫は動物を襲い、時には動物を補食する。

 長らく進化や退化を繰り返して地上の支配権を得るまでに至った。

 一つ、複眼は瞼に覆われて眼球運動をすることで、眼球を保護する。その結果、目を無防備に晒すことは無くなった。

 二つ、六本の脚だったものはやがて、一対の手と足になる。そして二股に分かれていた爪はそれぞれ五本の指を持つように進化をした。

 三つ、残りの一対の脚は退化して、横腹のあたりに脚跡の鎧クラストアーマー──中脚の名残があった。

 四つ、身体の表面は外骨格から皮膚というものに変わって、骨格は身体の中心を通るように──つまり、内骨格となった。そのため柔軟性が増して、腕や脚はしなるように。ただし脚跡の鎧クラストアーマーの部分だけは、分厚い鎧のようだ。

 五つ、虫ならば当然外側にあったはずの触角は鼻という器官になることで、その嗅覚を失う可能性を限りなく低下させた。

 ついでに言えば、残りの五感も。

 虫たちはいつしか人間のような姿となる。

 このようにして、虫たちはより強い肉体へと身体を造り変えていった。

 やがて虫たちは殻人族かくじんぞくと呼ばれるようになるのだ。



 しかし、彼らにも弱い時期は当然ながら存在する。

 それは、卵の時期と幼虫。すなわち子供の時期だ。

 卵であれ、子供であれ、それらの状態では土竜などの外敵に食べられてしまう。


 ──そしてここは、〝土の中〟。


 土の中は危険だらけで、爬虫類や哺乳類への殻人族の支配は及んでいない。地底には殻人族の集落がいくつか存在しているが、そのどれもが蟻の巣のようなトンネルを持ち、集落と集落はそのトンネルでそれぞれ繋がっている。

 地底はそのような、複雑な世界なのだ。

 今、一人のカブトムシの子供が天敵となる土竜から逃げていた。顔だけはまだ、昔の幼虫のように黒く、硬い皮膚に覆われている。子供は土のトンネルの中を必死に逃げ回って、同じところを行ったり来たり。

 この世界の土竜はとても巨大な体躯を持ち、虫を食べる。

 だから、殻人族にとっては脅威でしかない存在。


「うわあああああああああああああ‼ 命だけは助けてぇ‼」

「グギャアアアアアアアア‼」


 そんな虫の言葉が土竜に理解されるはずもなく、土竜はただ獲物を補食しようと追い回す。


「一生のお願いだから! 次会った時は絶対やり返すから! 今だけは見逃してえええええええええ‼」


 しかし、土竜はその巨大な爪で土を掻き分けて補食対象こどもへ爪を伸ばした。

 まだ幼虫の彼からすれば、自分の周りを塞ぐのは土であり、追いかけてくるのは自分よりも土の中の移動に優れた土竜だ。

 迫り来る巨大な爪といい、土で全貌の見えない巨体といい、怖い以外の何ものでもないだろう。

 まあ、どちらにせよ、土竜も幼虫の彼もは本能のままに生きているので、彼の反応も当然のものと言えた。


「誰か、助けて……!」


 ──彼はそう、願う。


 思わず目を閉じた瞬間、彼と土竜の間を割って入るように人影が土をかぶりながら落ちた。


「うおっ、と! やっべ、土だらけになっちまった! ぺっ! ぺっ! ……口の中も土だらけだしな。はあ……後で大人しくシロナに怒られるとするか。アトラス、もう大丈夫だ! お前はここから早く逃げろ‼」

「うん! わかった、ありがとう父さん!」


 彼──アトラスの父親、つまり大人の雄のカブトムシの登場だ。肌色の皮膚を持ち、その二つの脚で凛と立つ。

 そして、一目で分かる一対の透明な羽を持っていた。

 血管が繊維のように巡って、羽は光を透過して少し褐色に見える。それなのに、カラフルでないのに、何故だか美しい。

 アトラスの父親は羽を上下に動かしを生み出すことで、自身の周りを包む土をすべて吹き飛ばした。


「おら! 土竜野郎‼ よくも俺の息子を追い回してくれたなぁ! かかって来い!」

「グギャアアアアアアアア‼」


 土竜が襲いかかろうとした瞬間、彼の父親の脚のような『鋭い何か』が土竜目掛けて飛び出した。

 それは土竜の脳天を鋭く捉えて、土竜を一瞬怯ませる。

 すると彼の父親はおもむろに一振りの刀を〝横腹から〟引き抜いて両手で握った。柄は黒く、その刀身は鈍く光を放つ。


「来い……! 【アグニール】! からの……っ! おらあああああああああああああああ‼」


 彼の父親は武器の名前を叫ぶ。そして、鈍く光るそれを横薙ぎに一閃。

 薙いだ瞬間、それは朱く光り熱を帯びる。湯気をあげるそれで、父親は土竜を見事に一刀両断した。

 土竜は真っ二つに分かれ、ピクリとも動かない。

 断面の傷からは血が一滴も垂れておらず、代わりにしゅうしゅうと湯気があがっていた。その様子からから彼の父親は土竜を熱で焼き斬ったということが見てとれる。

 そんな父親の勇姿にアトラスは目を輝かせて、


「うおおおおお‼ 父さんすごい! 流石、村一番の戦士だな‼」

「ふっ、そんなに褒めても何もでないぞぉ?」


 そうは言うが、彼の父親の頬は嬉しそうに持ちあがっており、照れ隠しであることは一目瞭然だった。

 彼の父親──名をマルス。

 彼はアトラスの村の、一番の戦士なのだ。


「俺もそんな一番って呼ばれるようになりたいな……!」

「そうか! それじゃあアトラスも強くならないとな! 誰かを守るためには強くなることが絶対だ‼ お前もいつか大切な人ができるだろう。だから、強くなれ!」

「え、ええ!? ま、まだいいよ!」

「そ、そうか……。確かにお前にはまだ早いかもしれないな……」


 マルスは少し残念そうな顔をすると、ふと思い出したようにアトラスに尋ねた。

 これは、強くなるのに必要な過程こと


「おっと、そうだ。アトラス、お前はもう甲殻武装クラストウェポンを使えるようになったのか?」


 甲殻武装クラストウェポンとは、虫たちの子孫である殻人族たちの扱う武器のことだ。

 ただし、これは金属などではなく、自分の身体の一部。殻人族の誰もが甲殻武装クラストウェポンを持ち、それぞれ姿や武器の種類、能力などが違う。

 つまり、甲殻武装クラストウェポンは殻人族の先祖が遺した遺産なのだ。


「うっ……それはまだ、だけど。でもっ! 父さんみたいになりたいから! そのために頑張って使いこなせるようになってみせるよ‼」

「そうだな! アトラス、その意気だぞ!」

「うん!」


 アトラスは満面の笑みで答えて、


「それでこそ、俺の息子だ! アトラス‼」

『はははははははは‼』


 マルスが自分事のように誇らしく言うと、二人は同時に笑い声をあげた。



 ***



「そういえば父さん、俺っていつ生まれたの……?」


 父親の勇姿を目の当たりにしてから数日が流れてアトラスはふと、父親であるマルスに尋ねた。

 物心ついたときからアトラスはアトラスとして生活してきたために、アトラスは自分が生まれた時のことを全く知らない。アトラスのいる村にも数人の子供がいて、皆はまだアトラスに比べてかなり幼かった。

 それでも、『いのちが生まれる』という瞬間が一体どういうものなのか、アトラスには分からない。


「アトラス……お前はな、間違いなく俺の息子だ! その言葉に嘘は無いぞ? でもこれだけは覚えておいて欲しい。アトラス、俺たちは皆産み落とされた卵から生まれてくる。だから『いつ生まれる』のか、俺たちには知り得ないんだ……」


 進化の末、先祖の虫たちとは違って生存確率が上がったために、一度に産み落とされる卵の数は減った。だから昔のように、殻人族の子供に沢山の兄弟がいるという訳ではない。

 でも、そうだとすれば、マルスの言葉は全くの嘘となってしまう。


「へぇー、そうなんだ! それじゃあ父さんの言葉は嘘だったんだな」


 アトラスは笑いながら言った。

 ──輝かしいばかりの、綺麗な笑顔で。


「いーや、それは違うぞ! 俺たちの場合はお前が生まれてくるのを近くで見守っていたからな!」

「そうなの?」


 アトラスは『どういうこと?』と言わんばかりに首を傾げる。


「ああ! もちろんだ! 何せシロナと一緒に見守ってたんだぞ‼」

「え!? 母さんも?」

「そうだぞ! お前の母さんも近くにいたんだ。だから、お前を見失う可能性は万にひとつも無かったんだ」

「そ、そうだったんだ……!」


 アトラスは驚いたように、そう答えた。

 そして、次にアトラスの口から飛び出た言葉は、アトラスの心の成長が窺えるものだった。


「俺、父さんみたいになりたいってずっと思ってたけど、今の話で少し夢が変わったかもしれない!」

「っ!? アトラス、お前……!」


 マルスは驚いて、言葉を失ってしまう。アトラスの顔には覇気というものがあり、とても思いつきで言っているようにも見えない。

 そのことに気がついたマルスはニカっと笑うと、そのまま言葉を続ける。


「そうか! それは良かった! 正直なところ、俺の背中を見てくれるのは嬉しいんだが、同時に心配でもあったんだ。俺がお前の選択を狭めているのかもしれない……ってな」


 一呼吸おいて、マルスは今まで懸念していたことを伝えた。


「だから俺はお前が心配だった……。でも、もうその心配は要らなそうだな‼」


 マルスはどこか曇っていた表情だったのが、今では晴れやかだ。


「で? アトラス、お前のやりたいことは一体、何なんだ? シロナがどう言うかは分からないが、少なくとも俺は協力したいと思っているぞ!」

「うん、俺のやりたいことは──」

「それは?」

「見たことの無いものを見てみたい!」

「ほう……。つまり、世界を見たいんだな?」

「うん! そういうこと」


 マルスはしばらくの間考え込むように、片手を顎に当てていると、土のトンネルの奥から声が響く。

 それとともに、土を踏むも反響する。


「はいはーい! 話は聞きましたよーっ‼」

「し、シロナ!?」

「母さん!?」


 トンネルの奥から現れたのは、シロナ──アトラスの母親だった。

 白い髪に黒のメッシュが入った特徴的な髪色を持ち、肌も白く、全体的に白い。そのモノトーンな容姿は病弱そうな印象を与えるが、口調は病弱からは程遠いものだ。

 そして赤く光る瞳でマルスをじっと睨みながら、シロナはこう告げる。


「話は聞きました! こそこそやってたみたいですが、そんなものは通用しません‼」

「いや! 別にこそこそなんてしてないぞ!?」

「あなた? これをどうしたら、『堂々』と言えるのかしら……?」

「そ、それは……」


 マルスは言葉に詰まった。

 ──勿論、シロナも怒っているという訳ではない。

 単純に仲間に入ることが出来なかったことが不満なだけであるようだが、


「どうして私も混ぜてくれなかったのよ! 怒るわよ!?」

「どこに怒る要素があった!?」

「そんなことは関係ないのよ! 私もアトラスの夢を聞いておきたかったわ!」


 シロナはマルスの首元を掴んで前後に揺さぶった。


「今、ここで聞けば、いいだろうが……! は、離せ! く、苦しい……!」

「わ、私はなんてことを!  ごめんなさいあなた」


 マルスの言葉……呻き声で我に帰ったシロナはマルスに謝るも、決して首を掴んでいる手を離そうとはしない。


「シロナ……て、手を離せ! マジで息が、洒落にならん‼」


 マルスの顔色は青くなりつつあり、額には脂汗が滲み始めていた。苦しそうに息を吐いて、マルスはシロナの両手を掴む。


「ちょっ……母さん!? 一旦落ち着いて‼ 父さんが──」


 アトラスはシロナを止めようとするも、シロナはそれを遮って、


「私はねアトラス、あなたの口から直接聞きたかったの……。それなのに、このマルスときたら……本当に何をしてくれるのよ」


 どうやら、シロナはアトラスの言葉を聞いていなかったようだ。

 代わりにマルスが言い換えたところだけを運悪く、聞いていたのだろう。


「まあ、いいわ。そこで私から提案なんだけど、アトラス……学校に行ってみる気はない?」

「学校……?」

「ええ、そうよ。学校っていうのはね、他の殻人族たちとお友達になって、共に勉強したり、遊んだりするところよ! すごーく遠いところにあるけれど、アトラスもきっと色々なものが見れると思うわ‼」

「そうなんだ……! 他の殻人族にも会ってみたいし、俺……学校に行きたい‼」


 アトラスは目を輝かせて、そう言った。

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