氷の記憶(後編)

「まあまあ、その辺にしてやれ。ギンヤも困った顔をしてるぞ?」

「で、でもーっ!」

「焦らずとも、そのうち出来るようになるさ」

「ぶぅー!」


 カレンは完全に駄々っ子状態で、こうなってしまうと言うことを聞かないとギンヤは知っている。

 早く年相応の中身になってほしい、とギンヤは切に願う。


「今、失礼なこと考えなかったー?」

「い、いや? 何も?」

「じゃあ何で疑問形なのよ?」


 カレンは聡くギンヤの嘘を見破った。

 ギンヤの表情は固く、笑い方もどこかぎこちない。


「待て待て! 仲良しごっこなら他所でやれ! 俺は甲殻武装について教えてるんだ、こんな光景を見たいわけじゃねぇ! ……樹液さとう吐くぞ!」

『す、すいません』


 ギンヤとカレンはアラガールに平謝りするしかなかった。そして、アラガールの教えは続行される。


「ギンヤは後、やるべきなのは能力の発現だ。だから自分の甲殻武装と真剣に向き合うんだ!」

「分かりました!」


 ギンヤは自分の甲殻武装であるベクトシルヴァと向き合うため、もう一度瞼を閉じた。


「そしてカレン、お前はイメージができないようだ。だから頭の中で自分の甲殻武装に話しかけてみろ」

「は、話しかける? どういうことですか?」


 カレンはアラガールの言葉の意味を深く考えすぎたのか、首を傾げてしまう。


「そう深く考えるなよ? 言葉の通りの意味だ。頭の中で声を出して話しかける、そんなイメージだ」

「は、はあ」

「よし、やってみろ!」

「は、はい!」


 カレンも瞼を閉じて、頭の中で話しかけるように言葉を思い浮かべる。


(お願い! 私の声に答えて!)

《──お主が欲するのは何じゃ? 力か? それともか?》

(っ……!?)


 突然、内側に響くように声が聞こえた。その声は威厳のある、女性的な声。しかし、声の主の姿も形も、全貌がまるでわからない。


《儂を呼んだのじゃ。理由を話すがよい》

(わ、私は自分の力がどんなものなのか、確かめたくて!)


 カレンは正直に、自分の思うことを伝えた。しかし、途端に声は困ったような口調になって、


《なるほどのぅ。それは困ったのじゃ、ならば儂の名だけ教えてやろう》

(は、はい。お願いします!)

《儂の名前はセツじゃ。今はそう名乗っておこう》

(なるほど、そうなんですねー! あっ、私はカレンです)

《ま、まあよい。では、これからよろしく頼むぞ。カレンとやら》

(はい! よろしくお願いします!!)


 そしてカレンがセツと心を通わせたその瞬間、圧倒的な冷気がアラガールとギンヤを襲った。


『っ……!?』


 気がつくと辺り一面に雪が積もっていて、ギンヤとアラガールは雪の中に埋もれている。息はあるようだが、身体は危険な状態にあるようにも思えた。


「せ、セツさん! なんですかこれは!! なんでギンヤも、アラガールさんもこんな状態に!」

《なに、この一帯を氷の世界にしただけのことじゃ》

「な、なんてことをしてくれるんですか! 私はこんな、こと……」

《のう、言い忘れておった。セツ、と名乗る前の名前を教えてなかったのぅ。儂の本当の名前はユシャク、『氷雪魔蟲』ユシャクじゃ》

「ま、魔蟲……だって!?」


 セツ──否、『氷雪魔蟲』ユシャクがカレンの中でニヤリと笑った気がした。


「氷雪、魔蟲……そんなのはいなかったはず」

《待て待て! あやつらと一緒にするな! 儂は魔蟲と呼ばれていたが、悪しき魔蟲ではないのじゃ! あやつらとは寧ろ、敵対していたのじゃ》


 カレンの中でセツ──ユシャクの意思が不満そうな表情をする。事実、災厄と恐れられてきた『魔蟲』はコーカス、ギレファル、ヘラクスの三体であった。


「あれ? そうだったんですね! でも、魔蟲は昔の存在ですよね? セツさんはどうして私の中にいるんですか?」

《わざわざセツと呼ばなくてもいいがのぅ。まあよい、実は儂にも分からんのじゃ。気がついたらカレン、お主の中に存在していたのじゃよ。どうして、何のためにここにいるのかすら、儂には分からんよ》


 ユシャクは少し哀しそうな、遠い目をしたような気がする。カレンはそんなユシャクのことを察してか、こんな言葉を呟いた。


「早く見つかるといいですね。ここに来た目的」

《カレン、お主》


 ユシャクは感極まったような、震えた声でカレンの名前を呼ぶ。その声色は嬉しさで涙を流しているようで、カレンも軽い笑顔を見せて、お互いに笑いあった。


「あれ? あそこに誰か、倒れてない!?」

《カレン、すまぬ》

「何を謝っているのよ、とにかく助けに行くよっ!」


 雪の中に倒れ込む二人の殻人族。

 二人の名はギンヤとアラガールといった。


「取り敢えず温かい場所に運ばないと! あの、大丈夫ですか?」

《そ、そうじゃのぅ》


 カレンは二人の身体を揺さぶって息を確かめる。このときカレンの中からギンヤとアラガールという存在は失われていた。



 ***



「私って、こんなに身体、小さかったっけ?」


 ギンヤとアラガールを氷の世界の外へ運びながらカレンはふと、自分の身体の異変について気がついた。身体が、幼い頃の容姿に戻ってしまっているのだ。

 スラリと伸びた手足も縮み、全身に対して頭が少し重いように感じる。

 二人の身体を支える手が少しずつ重く、より不安定になっていく。


《すまぬのぅ、儂の力は時間の逆行を代償とするのじゃ。儂が表に出てしまったがために、能力が発動してお主は若返ってしまったようじゃ。本当に、申し訳ない》


 どうしてか、カレンはそこまで大した動揺を見せなかった。


「別にいいよ、だって私は……あれ?」


 いつも後ろを追いかけてくれた少年の姿が全く思い浮かばず、その姿は黒いシルエットとしてしか見ることができない。


《すまぬ》


 ユシャクは心から申し訳なさそうに謝罪した。


「どうしてセツが謝るの?」

《時間が戻るということは、お主の記憶も失われているからじゃ》


 カレンの表情が一瞬、固まる。やがてその表情は震え出して、頬が不気味な笑いを始めてしまった。


「う、嘘……よね? そんなことあるわけ」

《今助けようとしているのは、お主の友人と近所の親しい者なんじゃぞ。彼らはお主のことを覚えているであろうが、お主は忘れてしまっている》

「嘘……っ!!」


 黒いシルエットの少年がきっと自分にとって大切な人だったのだろう、なのにそれがどうしても思い出せない。記憶の欠如が本当の出来事であることをカレンは自覚した。


「なんで、どうして、涙……っ!」


 無意識にも、目からは大粒の涙がこぼれていて、白い雪の上を灰色に染め上げる。それはまるで自分の中にあった彩りが奪われてしまったかのように、涙は溢れ続け、世界は灰色に染まる。

 しかし、カレンはあることに気がついた。


 ──それならば、ユシャクを赦してあげることもできるかもしれないと。


「……ひとつだけ、聞いてもいい?」

《何じゃ? 儂には、記憶を戻せと言われても、どうすることもできん》

「そうじゃなくて! あの二人は、私のことを覚えているのよね?」

《それは、勿論じゃ》

「なら、いいよ。赦してあげる。あの二人の中で私が生きているなら、私はそれでいい」


 何かを決心したような、そんな表情でカレンはユシャクの罪を赦した。ひとまず、ギンヤとアラガールを安全な場所へと運び込み、息があるのを確認する。

 するとカレンは後ろを振り向いて、


「私はここを離れることにするよ。だからごめんね、二人とも」


 カレンは独り、氷の世界へ引き返した。二人の名前が分からないことに哀しげな表情をするが、それでもカレンはギンヤとアラガールに別れを告げて、遠い彼方へと旅立ったのである。

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