第四章

賢者襲来

 ハイネが異形の姿と化してからというもの、視界や視力、聴覚が格段に向上したと実感している。瞳の奥に宿る複眼も以前とはまるで違う。それこそ、拠点としている部屋の窓からも限りなく遠くまで見渡せるくらいであった。


「くっ……何故、見えない」


 ハイネは苛立ちを覚えていた。

 なにせ、一番に行動を抑止しなければならないあの少女の行動を追えていないのだから。マディブを訪れていたという情報は虫伝ひとづてに盗み聞いていたが、それ以来行動が捉えられていない。銀髪のおさげが、どこにも見当たらないのだ。


「レーカ、君にはつくづく驚かされてばかりだよ。想像以上に邪魔をしてくれるね」


 ハイネの顔に怒りと、退屈そうな──面倒臭そうな表情が混ざる。しかし、瞳に映る狂気は依然として鈍い光を灯していた。


「もう待つのは飽き飽きだ。一度ブルメを訪れてみてもいいかもしれないね」


 ハイネの瞳の奥が六角形に煌めき、地図上のある一点だけが映る。かすかに舞った埃がまるでハイネの心を代弁しているようだった。



 ***



 ブルメでギンヤとともに行動していたネフテュスとシロキ、ロニたちはハイネに立ち向かうべく、準備を始めていた。己自身を鍛え、互いに切磋琢磨する。その中で弱点を見つけ、克服していく。

 特にネフテュスは大きな欠点を抱えていた。


「ネス、お前はやっぱり蒸気を噴出させた後に数瞬硬直しているな。今までも自覚があっただろう?」

「……はい」


 ギンヤの的確な助言に、あだ名で呼ばれていることが頭から抜け落ちるくらい、頭の中が「隙」という言葉で埋めつくされる。

 森林大会でもネフテュスはショウに敗北してしまった。

 接戦と言えば聞こえは良い。しかし実際は蒸気で視界を奪い、神速の一撃を見舞った後に隙が生じてしまったのが問題なのだ。

 ネフテュスにもその自覚があり、思わず唇を噛む。


「いいかネフテュス。隙が出てしまうのは恐らく反動なんだろう。それなら……だ、その時間を活かせ。相手を誘い込むだったり駆け引きに使えばいくらでも使い道があるぞ?」

「っ!?」


 ネフテュスの目が驚きに包まれる。完全に思考の外の使い方にネフテュスの表情が輝いた。



 そしてしばらくは鍛錬の日々が続く。

 その終わりに彼らは教室で待ち受けている戦いについて話し合っていた。ギンヤは感慨深げに皆の顔を見回す。


「これでお前らも強くなった。だから十分にアイツと戦えるだろう」


 シロキとロニが顔を縦に振る中、ネフテュスは不安げな表情だ。


「さて、どうだろう……。俺にはまだ、ハイネと戦えるか分からないです」

「隙を活かす戦い方のビジョンが見えていないんだな?」

「はい」


 上手な戦い方をまだイメージできていないネフテュスは、あと少しだけでもギンヤに教えを乞いたいと思った。しかしそれは叶いそうにない。

 なぜなら──。


「先生! 学長がお呼びです!!」


 突如、空いた教室のドア。ギンヤを頼るため、誰かが呼びに来たようだ。それはすなわち、このブルメの地に危険が迫っているということを意味していた。


「もう、動き出しているみたいだ……思ったよりも早いな。レーカ……じゃなかった、レインがハイネのほうから動き出すと予想していたからな。それが予想以上に早かった」

「「「……っ」」」


 辺りに動揺が走る。

 背筋がこわばり、腕にプルプルと力が入っていく感覚。恐怖というよりも、緊張で痙攣していると言ったほうが近い。すぐに校舎の外へ出て、遠くを見渡した。


 ──ハイネヤツが迫りくる。

 本能的に頭の中でアラートが鳴り響くが、それをぐっとこらえつつ、彼らは横腹に手を添えた。


「来い! 【テトラポセイドス】!!」

「来てくれ、【バトセラボーン】」

「お願い。【ローゼンゴルドー】!」


 それぞれの甲殻武装を引き抜く。一人は先の分かれた矛を。一人は錨のような斧を。一人は体格に似つかわしくない巨大な剣を。

 そしてかつての英雄の一人も、戦いに加わる。ギンヤは甲殻武装を引き抜いて、妻であるカレンの力を借りた。

 かつて、破壊魔蟲との決戦で開花した力をその手で握る。


「来い、【ベクトシルヴァ】! 【幻氷開放】!!」


 青白い冷気とともにギンヤの前髪が一部凍り付き、甲殻武装の槍の先端が氷で包まれる。それはさながら、ハルバードのようだ。


 遂に、化物が姿を現す。それはどす黒い殻に覆われ、血流量が増している。今のハイネは常に【根源開放】を行っているようなものだ。ニヤリと醜悪な笑みを向けて、ハイネは空中で戦闘態勢をとっている。


「……いくぞ。皆」


 雄大な校舎を背に、彼らは武器を取った。

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