色褪せていく、綺麗な華

「……失礼します」


 レインは執務室のドアを開ける。部屋の中は太陽の日差しをたくさん取り込んで一際明るい部屋だと感じた。レインの瞳も、眩しさに一瞬くらむ。


「レインか。まだ答えは出ていないぞ。もう少し待ってはくれないか」

「いいえ、私が来たのはその話ではありません。今はお願いがあってここに来ました」

「願いだと?」


 レインはハイネの目論見──心を支配した方法とその原因を伝えた。狭くなる視野に、十を護りきることが不可能であること。そして、小さな集落が点々としている地域があること。

 ハイネが圧力を与えることができたのはこの三つが大きな理由だろう。


「いや、でも、あのハイネが、まさかな……」

「昔のハイネは、私たちの知っているハイネとは違ったのですか?」

「ああ。何しろ、私とハイネは学生時代からの同期だったからな」


 そう前振りをして、ランドゥスは言葉を続ける。


「昔のハイネはもっと陽気で、吞気で……暇を見つけては調べ事をするような奴だったからな。今の……いや、十数年前に再会した時に違和感はあったな。落ち着いたような、興味を失ったような、そんな目だった」

「……そうだったんですね」

「だからあいつがこんなことを引き起こしているとは思えなかったのだよ」


 ランドゥスとハイネの過去にレインは言葉を発する余地もなく、ただただ耳を傾けていた。やがて話し終えると、レインは一通の手紙をランドゥスのもとへ差し出した。


「私の恩師からです。よければ受け取ってください」


 ランドゥスは首を縦にうなづかせると封を開け、中身に目を通す。そして、ふぅっと長いため息を吐き出した。


「そうか。ハイネは長い間苦悩したのだろうな」

「…………っ」

「レーカ。いや、レイン」

「っ、はい」


 咄嗟に呼ばれて背筋を伸ばす。


「十数年前の違和感に気がついたのは君のおかげだ。あいつを止められるのは君たちだけかもしれない。私たちは、喜んで力を貸そう」

「はい! ありがとうございます!!」


 笑顔のレインとランドゥスは互いに握手を交わした。それからランドゥスは、のちに住民たちへレインのことを伝えるのである。



 ***



 部屋でプリモとショウ、ミツハの三人が椅子で寛ぐ中、レインとルリリは壁に背中を預けていた。


「レイン、完全に味方とはまだ言えないけれど、印象は確実に変わったね」

「ええ。この調子が続けばきっと、ハイネのほうから私たちのもとへ姿を現すことになるわ」


 ルリリの歓喜の言葉にレインは先の出来事を予言する。本当にハイネのほうから現れるのか疑問に思うルリリたちだったが、レインの意図する部分は遂に彼女の口から語られた。


「これは私がレーカの名前を捨てた理由にもなるけれど、レーカがレインとして生きていたら私の本当の名前ばどうなっていくと思う? ルリリ、私はこう思うのよ」


 レインは言葉を続ける。


「レインが生きつづける代償として、レーカという名前は色褪せていくの。だからハイネは私が死んだとしても生きていたとしても確認せざるを得ないはずだわ。だから、もう一度地底に姿を現すと思うわ」


 そう言い切ると窓の外──遥か遠くを見据えるように視線を移した。


「私はハイネと、きっと戦うわ。みんなのために。だから……」

「どうしたの?」

「ううん──。いや、しっかり言うわ」


 レインの言葉が一瞬途切れる。怪訝そうな顔のルリリだったが、レインはすっとルリリの瞳に双眸をあわせた。


「ルリリも、力を貸してくれるわよね?」


 言い淀んでいた言葉が喉の奥から細く発せられる。それは紛れもなくレインの弱い部分だった。

 ハイネと戦わなければならないという不安と今まで突き刺すように向けられてきた忌避の視線──その恐怖が弱さとなって溢れ出してしまった。


「レイン。大丈夫……私もいるから」


 ルリリはレインをそっと抱き締める。優しく、背中を撫でながら微笑みかける。

 きっと髪を短く切ったのも覚悟の現れだったのだろう。ルリリにはその強がりも愛おしそうに、手でなぞっていた。


「うぅ、ぐすっ……ぐすっ!!」

「いいよ。今くらい泣いても」


 気がつけば外は雨が降り出していて、レインの心を象徴するように雨粒が飛び跳ねている。

 レインはしばらく泣いたまま、ルリリの胸に顔を埋めていたのだった。



 ***



「レインの名前もかなり浸透してきたよね。何回かしてた言い間違えもだいぶ減って来た気がするし、うん」

「そうね。これでレーカの名前を聞かなくなるまでもう少しだわ……!」


 ルリリの言葉に共感するレイン。

 レインが弱さを吐き出してからしばらくして、いつもの自信に満ちた彼女が戻ってきた。積極的に声をかけたり人助けをしたりと、街で勢いのあるレインの行動が功を奏したのか、次第に否定的な視線は向けられなくなりつつある。

 レーカという名前が色褪せたのはそれから数週間後のことだった。



 今は五人全員、一堂にランドゥスのもとを訪れていた。ランドゥスは執務室の椅子に優しく腰掛けながら、喉のつっかえが取れたように皆に伝える。


「お前たちには感謝している。ハイネがどうして悪に堕ちてしまったのかは未だにわからない。だから、旧友ハイネのことをよろしく頼む。これが私からの願いだ」

「「「「「はい……!!」」」」」


 それからレインたちは、ブルメの森へ帰還することとなる。しかし既に、ハイネが動き出していることは、レインにはまだ知る由もない。

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