第二章

幕間 夢を奪われた男

 レインとして名前と姿を変えてからアトラスやヒメカにも事情を伝え、英雄の親族ではない第三者として扱ってもらうように頼んだ。特にアトラスは渋い顔をして逡巡していたが、レインが「一時的にお願い!」と伝えるとアトラスは渋々頷いた。


「戦いが終わるまで、だぞ。いいな? レーカ。いや、レイン!」

「ええ、必ず帰ってくるのよ? そうでなきゃ……悲しいもの」


 ヒメカも気持ちはアトラスと同じだったようで、己の気持ちを吐露する。しかしそれよりも前に、二人は応援したいという気持ちでいっぱいだった。だから応援の言葉をレインにかける。


「レイン、頑張れよ。それとルリリとプリモ……俺たちの娘を頼んだからな」

「んっ! まかせて」

「勿論! 任されたわ!」


 その言葉にルリリとプリモは力強く反応した。


「私は、ハイネと戦うわ!」


 レインはその様子に、深く安堵する。そして彼らは打倒ハイネの戦いへ、身を乗り出すことになるのであった。


「ハイネと戦うって……いったいどうするの?」


 ルリリはレーカ──レインのこれからを尋ねる。その瞳の奥では心配の情がゆらゆらと揺らめく。


「まず、マディブに向かいたいわ!」

「どうして?」

「だって、マディブには……プリモが頼れる心強い味方がいるでしょ?」


 レインは理由を説明する。理由の内容にプリモは誰のことを言っているのか理解した。


「ミツハとショウのことかしら?」

「うん。それもあるけど……お父さんの元仲間のレギウスさんがいるから、頼りたいなって」

「ああ、レギウスさんもいたわね」


 プリモは妙に納得した様子で笑顔を浮かべる。すると、ルリリがレインに問い返す。


「でも、どうやって? どうやってマディブに行くの? ブルメに続いてる空洞ゲートは多分通れないと、思う」


 そうなのだ。いくらレーカがレインと姿名前を変えれど、レーカであると気づかれた瞬間にゲームオーバーである。そのためなるべく別のルートを進む必要があった。

 そこでレインは今、身につけているスカートのフリルをふわりと翻して、


「もちろん考えてるわ。土の中を進むのよ! 服が汚れる覚悟にはなってしまうけれど……」


 初めてアトラスが地上世界に向かった時の手段を提案する。するとルリリは服装をどうするのか、プリモに尋ねた。


「プリモ」

「ん? 何かしらルリリ?」

「私たちだけで服を買いに行こう」


 一度地上に戻り、服を購入してから戻る。そうすれば三人分の予備の服装が手に入るだろう。プリモは頷くと、レインには少しの間、地底ここで待っていてもらうよう伝えた。


「わかった。頼んだわ、ルリリ。それとプリモ」


 二人は揃って拳を握りしめ、ガッツポーズ。地上へ繋がるゲートまで戻ると、上へ上へ進む。レインはその背中を、大きく手を振りながら見送ったのだった。




 無事に地上へ戻り、硬い土を踏みしめる。緑の茂る空を見上げてプリモはキッと視線を学校の並ぶ街のほうへ向けた。ルリリに一言告げて、別々に行動を開始する。


「戻ってこれたわね。目的を果たすわよ、ルリリ」

「うん……!」

「じゃあルリリは先生たちに連絡をお願い!!」



 ***



「俺たちは元に戻るべきだ。そう思わないかハイネ?」


 あるとき、デナーガは言った。


「ああ、そうだな」


 ハイネ同様、祖先たる昆虫について調べる者は何人かいたが、真実を知ってしまった者は片手の指五本で足りてしまう。それほどまでに真実とは遠く、簡単に人格を歪めてしまう。

 かつてレギウスを救うために命を賭したディラリスは真実を知る道半ばで絶命してしまったが、デナーガも真実へと至った一人であった。


 デナーガは真実を知ってしまったからこそ、昔の姿へ戻りたいと考えていたのだ。そしてハイネは正反対に、真実を隠すことで自己の優位性を手にしたいと考えた。それと同時に他の殻人族は祖先と同じ姿に戻ってもいいと思うのである。


 そんな対照的な二人だったが、元に戻るという考え方で利害は一致していた。だからデナーガはレーカ──今のレインにあやふやな立ち位置で接していたのである。


 しかしそのデナーガはいなくなり、ハイネだけが殻人族と昆虫の中間体のような化け物へと変貌してしまった。すべてを食べつくしたいという強い欲望とたった少しだけの哀しみや後悔。今のハイネにあった感情は、大まかに言えばそれだけだった。




「ああ、いい気分だよ。実際に戻ってしまえば夢も何もない、非情な現実だけさ……」


 ハイネの口から飛び出た言葉。

 言葉が鉛となって脚元に落ちたような感覚に襲われる。爪先の上に鉛が乗り、一歩を踏み込むことができない、そんな感覚。それはまるでハイネの『孤独』を示すようであった。

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