彼等の時間
「地底にもね、お風呂があるのよ。入ってきたらどう?」
団欒の時間をじっくりと楽しんだレーカたちは、シロナの粋な計らいで入浴の機会を得た。地底世界に偶然見つけた湯源を上手く活用した場所があるようだ。そこは小屋──土で隔たりが造られてあり、じっくりと入浴の時間を楽しむことができる。
「そうなの!? 最近のことなのね……」
ヒメカは目を輝かせた。アトラスと初めて会った瞬間もそうだが、ヒメカはお風呂好きであり、こまめな一面がある。
珍しく二人で湯につかることとなったヒメカは湯船の中でレーカに尋ねた。
「レーカは今、気になる子……いるのかしら?」
「うーん、分からないわ。今は色々と忙しいから。あ! でも、安心できる仲間がいるわ」
「そう……」
途端に会話が終わる。このような場面でいざ話すとなると何を話せば良いのか分からなくなるのだ。
微妙な空気感が流れる。ヒメカは一度こほんと咳払いをするが、雰囲気を変えるほどの効果は持たない。そんな中、レーカはもとより気になっていたのか、ヒメカに質問をした。
「ねぇ、お母さん」
「なに、レーカ?」
「お父さんのどこを好きになったの?」
オブラートに包まれてすらいない、容赦のない不意打ち。
「ぶっ! げほっ、げほっ! な、何よ急にそんな質問」
「だって、とても気になったんだもん」
シロナの話で興味が沸くのも当然のことである。思わずむせてしまうヒメカにレーカはとても娘とは思えない、含みのある笑みを浮かべた。
「そうね、アトラスは初対面が覗き魔でね」
「……それはあんまり聞きたくなかったかも」
レーカは困惑した様子を見せる。その表情はまずい食事をした後のように渋い。ヒメカはそのまま話を続ける。
「まあ、最初はああだったけれど、強いて言うなら……アトラスはいつも前向きなのよ。いつも、前だけを見てる」
ヒメカは過去に想いを馳せながら、ポツリポツリと心の内をさらけ出す。レーカは妙に納得していた。
──あの
デナーガの一件で一瞬の夢の中、幻の世界でレーカはマルスに助けられた。そのこともあり、咀嚼したものがすとんと喉の奥に落ちる。そんな感覚。
「そうなんだ……」
「そうよ。だからなのかしらね……私のトラウマも自然と薄れていったのよ」
「へぇー! 私の知らない話を聞けてとっても嬉しい」
「そうね。私も珍しく昔の話をして不思議な気分だわ」
興奮した面持ちのレーカに、複雑な気持ちで淡々と答えるヒメカ。最後はしんみりと、静かに湯船に浸かる。熱い湯気が身体の上半身を隠し、水面がぼんやりと光源を反射した。湯気が白くライトアップされるがの如く、幻想的な雰囲気が辺りを包む。
そうして母娘二人の時間が過ぎていった。
「温かいお風呂はどうだった? 二人とも」
シロナはどうやら感想を聞きたがっているようだ。ヒメカもレーカも揃って血流が回っているのか、ほんのりと顔が緑っぽい。
「ええ、すごく気持ち良かったです」
「とても良かったわ、おばあちゃん!」
二人は感想をシロナに伝えた。
するとシロナは満足気にうんうんと頷いて、早口にまくしたてる。
「そうでしょう、そうでしょう! 私も初めて湯船につかった時は驚いたわ。地上にはあんな文化があるなんて、って嫉妬しちゃったくらいだし」
次にシロナは頬に片手を添えておっとりした様子を見せた。「うふふ」と薄暗い笑い声がわずかに聞こえた気がする。よほど衝撃的だったのだろうか。
「アトラスも上がったみたいね」
「ああ、地底でお湯に浸かれるのは驚いたよ。ありがとう母さん」
「どうもどうも~」
と、シロナは陽気な反応で返す。暗い部分が見えたのはほんの一瞬だったのだとレーカは思った。
「さてさてさ~て! 寝ましょう!! レーカちゃんは私と寝ましょう~」
「えええええええええええっ!?」
当然、そんな一緒に寝る年頃でもない。レーカは素っ頓狂な声をあげた。普段横に流している三つ編みの髪は、湯上りのためストレートに流している。長い前髪が内心の驚き具合を示すように揺れていた。
夜も深まり、地上では風が流れ、地底では風の音が反響する。アトラスとヒメカは仲良く横になり、すうすうと寝息を立てていた。
一方で別の部屋で眠るレーカはシロナのあまりにもうるさい寝言に耳を押さえている。
「おにょおにょおにょ……」
(あああああ!! こ、こんなに寝言を言う人だったのおばあちゃん!?)
なんとも独特な寝言に耳を押さえるどころか、むしろ頭が冴え渡ってきそうなくらいだ。そんな、レーカにとっては悪夢のような時間が今、始まったのである。
***
「おはようレーカ」
「おふぁよぅ……」
「レーカ?」
ヒメカが耳聡く気がついた。レーカが眠そうなのである。目に隈が出来ており、疲れが残っているということは一目瞭然だ。レーカは口元を手で隠し、あくびを押し殺す。
レーカは目をぎゅっとつむり、ぐっと見開く。そうすることで眠気を吹き飛ばした。
「もう大丈夫!」
「はわわぁ……よく眠れたわ~」
遅れてシロナが顔を出す。シロナはぐっすり眠れたようであり、申し訳なさそうにレーカへ謝った。
「ごめんねレーカ……。多分私、寝言言ってたでしょう」
「……はい。正直、びっくりでした」
レーカは困惑しながらも、正直なことを口にする。その光景を見たアトラスは大きなため息をついた。
「母さん、大丈夫? 父さんが死んでからまだ夢を見ているの?」
「ええ、そうなのよ。でも、大丈夫よ」
元気のない声で返す。マルスの死からシロナは度々、マルスの影を夢に見る。実際に同じ空間にいるわけでもないが、咄嗟に手を伸ばしたくなるのだ。
「おばあちゃん」
「何、レーカ?」
「おじいちゃんはいきいきとしてたわ‼」
「どうして、そんなことがわかるの……?」
レーカはデナーガのおかげで死者の世界へ一時的に飛ばされ、そしてマルスに会えた。
だからレーカにはわかる。マルスはシロナや、皆が悲しむことを望んでいないということを。レーカと初めて会った時から、マルスは一度も悲しそうな表情をしていなかったのだから。
「だからね、おばあちゃん。おじいちゃんに縋っちゃダメ。多分それは、望んでないから」
レーカはしんみりとした表情のまま、シロナにそう告げた。
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