太古の旅

 シロキを抱きしめた瞬間、シロキの感情がルリリへ流れ込んだ。

 シロキの能力が発動したのか、ルリリは突然苦しみ出してしまう。


「ゔっ゙……がはっ、けほっ! ごぶっ…………!!」


 シロキの本質を見て、ハイネの残虐行為が現実味を帯びた。──そうルリリは思う。

 今までぼんやりと見えていただけで、ハイネの暗躍はどのようなものなのかは知識として知っていた、というのが正しいだろう。何しろ、ルリリはハイネが配下を喰い殺した瞬間を目の当たりにしていない。

 腹のずっと奥が痛い。吐き気がする。そして何より──気持ち悪い。


 その光景を実際に見た場合と大して変わらないだろう。臓物を吐き出してしまいそうなくらい身体が拒絶反応を示していた。


「はははは……。を受け入れられない、か。これだから今の殻人族は、ダメだな」

「けほっ、けほっ。だ、誰……?」

「俺の名前はデナーガ。今はハイネの味方さ」

「っ!? お前が、レーカを……!」


 声の主を探して見れば、男の手の先には長い触手のようなものがある。その触手が丁度、レーカを襲った出来事に重なった。


「さあ、夢に立て! 【ウルドスハンド】!!」


 瞬間、触手がルリリにまとわりつく。そのまま身体を持ち上げて、宙に吊らす。首元を締め付けられ、息が詰まる。


「ぐっ! は、な……して」


 ルリリは遠のく意識の中、シロキのほうへ視線を向けた。そして絶望する。

 なぜなら、シロキも捕まって宙に浮いていたのだから。デナーガは荒れ果てた襲撃の跡を見つめながら、呟いた。


「本当に散々なことをしてくれるな、ハイネは。俺も君の意見には賛成だ。でも、行いには賛同できないね」

(シ、ロキ……)


 ルリリの意識はそこで途絶えたのである。


「……しばらく、良き体験をしてくるといい。二人とも」



 ***



「ん……ここは」

「ここは、どこだ!?」


 ルリリとシロキが目を覚ました場所は手入れの欠片も感じられない、雑木林だった。空は薄暗く、同胞の気配は全くなし。

 そのおかげか、近くで水の流れる音が聞こえるくらいである。空を飛び回る原生種の昆虫たちがふと、視界に入った。


「ここの原生種、数が多いな」

「うん。シロキもそう思うのね」

「ああ。これは少しおかしい」


 シロキが違和感を口にする。

 人影は全くあらず、代わりに飛び回る沢山の影が地面に落ちていた。


「まさか、ここに仲間は……みんないない?」


 憶測で言葉にするルリリ。しかし、その言葉は次第に現実味を帯びていく。水には水生昆虫がいきいきと生活している上、水はとても透明で綺麗だ。


「まさか、ここは!?」


 憶測が事実へと変わる。

 ここには殻人族がいない。さらにこの場所は殻人族の誕生する、はるか昔の時代なのかもしれないと。

 ルリリとシロキの顔色が真っ青になった。


 自分たちは今、はるか太古の時代を見ているのだと。歴史好きな性格であれば純粋に楽しめたかもしれない。

 しかしそんな余裕も呑気な性格も、彼らは持ち合わせていなかった。


「とりあえず、どこかに移動しないと」

「っ、そうだな」


 ルリリの強い言葉にシロキは頷く。それからまもなくして、原生種の野生というものを彼らは知ることとなる。




 まず気がついたのが、この場所では能力が使えないということ。それに加えて原生種が飛び回り、時には攻撃してくる。残念なことに、現状元に戻る方法は分からない。

 ルリリとシロキはとりあえず、どこか別の場所へ移動していた。


「ルリリ、むやみに進むのは危ないんじゃないか?」


 シロキが尋ねる。しかし依然としてルリリの表情は変わらない。


「うん、そうかもね。それでも、進まなきゃ……」


 ルリリは精神をすり減らしつつも、どこかも分からない地を延々と歩いていく。太陽の光がやつれた頬を露わにする。それでもルリリは歩いた。


「うっ、もう……ダメ」

「おい、ルリリ!」


 倒れ込むルリリの身体をそっと支えるシロキ。顔を真上から覗き込めば、目にくまができており、表情はとても弱々しい。


「っ、うわあああああああああああ!!」


 シロキは絶望的なこの状況にどうしようもない感情を叫んだ。




 シロキもルリリも、精神的に疲弊している。ルリリは抱きかかえられたまま、シロキに問いかけた。


「シロキ? 大丈夫……?」

「一旦、休憩しよう」


 互いにしばらくの時間を休息に充てるが、心身ともに休まらない。空はもう暗くなりつつあり、静かな夜が待ち受けている。


「進もう」

「え、シロキ? どうして」

「いいから、いくぞ」

「っ!?」


 それからして暗く、静かな夜道を歩くことになるが、シロキの表情は鋭いままだ。


「シロキ、大丈夫?」

「…………っ」


 シロキはルリリの声掛けに一切反応することなく、一心に脚を動かす。それは何かにとり憑かれたかのように──または、疲れきった心を忘れるためにあえて必死なのかもしれない。歩けば歩くほど原生種たちの──否、祖先の翅音はおとが聞こえてくる。行動が活発化している証拠だ。


「まずい、急ぐぞルリリ!」

「え、ちょっ!?」


 突然の大声とともにシロキはルリリの手を取った。ルリリの手を引きながら、シロキは森を一直線に抜けるべく進む。

 そして遂に、暗い空を覆いつくす木の葉が開けてきた。それに伴って翅の音が何故か止む。


「もうすぐだ、いくぞルリリ」

「待って、そっちは多分……!」


 木々の中を越えて見えてきたのは──不思議な花。植物にしては蕾は歪で花弁の先が下に垂れている。その隙間からは瑞々しい液体が顔を覗かせていた。


 ──食虫植物。彼らは太古の時代、昆虫の天敵として栄えていた植物であって植物ではない存在。


「まずい‼」

「ダメっ!」


 昆虫には毒ともいえる消化液が飛散する。辛うじて二人は避けることに成功するが、後ろでは蟻酸よりも強い酸性が背後の草木を枯らしていた。

 音にならない咆哮が二人の精神を凍らせる。ルリリたちを獲物のように見つめ、花弁の奥で酸が泡立つ。

 それはまるで、生きている動物のようであった。

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