胡蝶の夢(後編)

「レーカ、体調は大丈夫か?」

「はい……もう、大丈夫です」

「そうか。なら、進むぞ?」


 男の導きによりレーカは黄色く光る滝への道を進んでいく。まだ道のりは長く、滝もうっすらと霞んで見える。目的地までいったい、どれだけの山林が続いているのだろうか。

 男は焦げ茶色の前髪を掻き上げて、頬を両手でぺしりと叩いていた。

 もしかすれば、己に気合いを入れているのかもしれない。


「ねえ、おじさん。どうして私をここまで親身に助けてくれるんですか?」

「あー、うん。そうだな……強いて言うなら、どこか危なっかしいところが俺の子に似ていたから、だな」


 男は少し戸惑ったように答える。男の目はレーカをまるで自分の子を見るような、そんな優しい瞳だった。


「そうなんですね。以前、私が小さかった頃、お父さんにも言われた覚えがあります」

「まあ、俺にも一見落ち着いてるようで、内心ざわめいているように見えるからな……」

「そうですか?」

「ああ」


 男は頷く。自分の内心まで勘づかれているとは思いもよらなかった、とレーカは思う。正直な話、レーカも不安だらけなのだ。しかも、その弱さを自分の異能で隠しながら、今まで仲間と生活していたとも言える。


「私は、本当は今の状況も……敵に狙われているのも怖いんです……っ」


 すっと口から出た言葉にレーカは驚く。


(なんで、私……!? こんなことを──!?)


 ほぼ初対面の者に、自分のことをこれほど打ち明けられることにレーカは驚いた。何故か心が温まり、そして妙に懐かしい感覚。


(なんなんだろう。この、感覚……)


 自分の直感の正体が何なのかふと、気になってしまう。レーカは目的を手伝ってくれる男の顔を見上げて、首を横に振る。

 そして前を向いた。


「ん? なんだ、レーカ?」

「いや、なんでもないです。私は大丈夫です」

「早く元の場所に帰りたいもんな? とても辛いだろうし、寂しいだろう」

「……はい」


 レーカは男の前を自分の脚で一歩、一歩と進めていく。しかし、その脚取りはどこか重たくて、辛そうである。



 ***



 山を越え、森を越え、あの滝へ。

 滝は目前。あと数十歩進めばたどり着けそうな距離だ。

 それからレーカを待っていたかのように、地割れが起こる。


「まさか、土竜か?」


 男は呟く。男は足元に入った亀裂の隙間へ目を凝らし、確信を持った瞬間に叫んだ。


「力を貸せ、【アグニール】!!」


 瞬間、灼炎が吹き荒れる。龍のようなうねりをあげる炎で、影が出てきたところを一刀両断した。


「ふっ……やっぱり、土竜か」


 それから男はレーカをつれて、滝の元へ歩みを進めた。よく見ると滝は黄色く光ると同時に、温かい光の粒子が周囲を浮遊している。


「これは、温かい……?」


 光の粒子はレーカの手のひらに乗り、レーカをぼんやりと照らす。光がたくさんレーカに集まっていき、そのまま滝の中へいざなわれる。

 そしてレーカは、礼を告げた。


「ありがとう、おじさん」

「ああ」

「最後に教えて。おじさんの名前は、何?」

「ん? 俺の名前か? 俺は、マルスだ。よく覚えとけよ」


 その名前に目の色が変わる。


「そうだったんだ。マルス、さん……いや、おじいちゃん!!」

「おじいちゃん!?」


 レーカの実の祖父。

 レーカはマルスに会えて嬉しそうだ。


「うん、私のおじいちゃんで……お父さんの、お父さん!」

「まさか、お前……! ははっ、そうか。そうだったのか! 既視感の正体はこれか。お前はアトラスの娘だったんだな」

「うん!」


 別れの瞬間が刻一刻と迫る。そんな中、レーカはこの場所を離れるのも寂しく感じてしまう。


「そんな顔するな。お前にはやるべき事があるんだろう、レーカ?」


 レーカは深く、深く頷くとマルスへ手を振った。


「じゃあね、おじいちゃん」

「ああ、またな」


 レーカは光に運ばれるがまま、滝を上へ登っていく。そしてレーカの意識は、レーカの身体の中へ戻る。


「っは! ここは、医務室? あれ、みんな──」


 部屋には誰もいない。

 目に入ったのは一つだけ、何者かによって荒らされたような、雑な脚跡が床に転がっていた。


「こ、これは……!」


 それは紛れもなく、敵が侵入した形跡。レーカは自分の身体をペタペタと触り、傷などを確認する。

 襲われた形跡は特にはなし。しかし、どうにも胸の奥がざわつく。


(ルリリ……。みんな、どうか無事でいて!)


 レーカは一度、学校の中を探し回ることにした。



 ***



 レーカは校舎の一階から順に見て回る。

 沢山の生徒の会話が聞こえ非常に賑やかだ。でも、何かが足りない。

 やはり仲間や先生、友だちの姿が見えないのだ。であるなら、彼らはどこにいるのか。


「みんな、どこ……」


 ──自分の無力さを痛感する。

 自分には警戒心と力があるが、それは自分に対してのものだ。仲間へ向けられる敵意などを察知することはまだ難しい。

 今ならなんとなく、お父さんアトラスおじいちゃんマルスの戦い方を知りたいという気持ちが理解できた。


 そして思い出す。

 レーカが横たえていた場所にあった脚跡──そこに手がかりがあった。決して脚跡が続いているわけではなく、手がかりとなるのは脚跡の主だ。どこかで確かに、見覚えがあったのだ。


「シロ、キ……? どうして」


 その脚跡はシロキのものだったのだ。

 シロキの脚跡を見つけたレーカは理解が及ばず、しばらくの間その場で静止する。シロキの居場所も皆の居場所も分からない。今のレーカは一人ぼっちだ。いったいどこに向かえば、彼らに再び会うことができるのか。


「それに、あのデナーガっていう男……いったい何が目的なの」


 デナーガの目的は正直分からない。「今はハイネの仲間」という言い方は普通ならしないはずである。何もかも信じられないほど、レーカの心はすり減りつつあった。

 その日は何もできないまま、家に帰ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る