胡蝶の夢(前編)
「なんですって? 何が目的なの!?」
レーカの警戒心が頂点に達し、デナーガを睨みつける。
「みんなさ。みんなが、俺の手の中で眠っているのさ」
「は?」
「つまり……君の意識も皆の意識も、俺が握っているんだ」
そうデナーガは言った。レーカの頭の中でルリリと一緒にいた時のことを思い出す。ルリリと昼食を食べていた時、確かに近くに敵の気配はなかった。奇襲があったと思ったら意識が突然に途切れ、現にレーカの意識はデナーガの手の内に収められている。この紫色の空が精神の世界なのだろうか。
具体的にレーカは、どのような状況に置かれているのか分からず、レーカは混乱と恐怖に泣きそうになった。
「どうして、どうして……私っ!」
デナーガの目の前で、レーカは崩れ落ちる。額を地面に付けて、かすれたような嗚咽。
完全に心が折れた。レーカの様子が絶望を端的に表している。
「さて、そろそろこっちへ来てもらうよ?」
デナーガはレーカの三つ編みの髪を引っ張って身体ごと持ち上げた。レーカの目元が苦痛に歪む。それを見ながらデナーガはレーカの身体を宙へ投げ飛ばす。
(ぐぅぅぅうぅうぅぅ!!)
「良き旅を……」
突然、大きな水の粒が弾けたような衝撃に襲われる。
そして──レーカの意識はプツンと途絶えた。
***
「ここは? どこ?」
次にレーカが目を覚ますと、そこはまた違った場所だった。辺りに木々が雑に茂り、空は例えるなら黄昏時の赤みがかった空。空を走る雲は鈍色で、重たい。
空を見上げていると、突然地震が起こる。地面に亀裂が走り、その隙間から大きな影が姿を現す。
「グギャァァァァァァァァ!!」
「も、土竜?」
レーカは手先に力を込めて、手刀を硬化させようと、
「あれ……能力が、発動しない!?」
能力が使えない。今にも土竜は目の前へ迫っていて、レーカの顔色が暗くなる。
「グギャァァァァァァァッ!!」
「おい、危ねぇぞ!
瞬間、膨大な熱量を持つ炎が土竜の腹部を穿つ。土竜からは蒸気が立ち上ぼり、土竜は地に崩れ落ちた。
「た、助けて頂き……ありがとう、ございます」
「ああ、どういたしまして。ええっと……」
「私はレーカです。先程は助けてくれてありがとうございました」
「おう」
レーカは目の前にいる男に対して、どこか覚えのある温もりを感じる。しかし、その温もりの正体までは分からない。
「お前……ええと、レーカはどこから来た? ここは奈落の世界だ。それに君には脚跡の鎧も甲殻武装も持っていないように見える」
男の口から告げられた事実と、レーカの容姿についての質問にレーカは言葉を濁す。
「私は、生まれつき……甲殻武装を持っていなかったんです。でも、身体を硬化させる異能があったはずなんです。でも──」
「それがさっき、土竜の前で立ちすくんでいた理由か?」
「はい」
レーカは頷く。男は顎に手を当てて、しばらく考え込む。そして自分の考えをレーカに伝えた。
「もしかしたら、君はまだどこかで生きているのかもしれない。今この場所に精神があったとしても、君の肉体が消えていないから、ここでは能力が使えないのかもしれない。ここは奈落だからな」
「なるほど……」
「レーカ、君はどうしたいんだ? もし、現世に帰るつもりなら俺は協力したいと思っている」
「私は」
レーカの言葉が詰まる。一度口を噤んで、もう一度口を開いた。
「私は、元の場所に帰りたい。ルリリに会いたい。お父さんにも、お母さんにも、会いたいよ……!!」
「そうか。なら、ここを移動するぞ!」
「はい!」
男の声掛けに、レーカは強く頷き返す。男には一つ、元の世界に帰るための手段として心当たりがあった。それは奈落に存在する黄色の滝。どこから水が流れているのかも分からない不思議な滝。
水は透明なはずなのに、滝は黄色に光っている。
男が降り立って最初に目についた存在なだけに、余計に怪しいと感じた。
「あっちだ。ずっとあの向こう側に不思議な滝があるんだが、そこに手掛かりがあるかもしれない」
「わ、分かりました。おじさん?」
「お、おじさん? まあ、いいか」
特に男の名前を聞くことなく、レーカと男は滝を目指して歩を進めていく。
空は依然として夕焼け空のままであり、どれだけの時間が流れたのかすら分からない。不気味な空はレーカに流れる、時の感覚を麻痺させてしまう。
ある程度進んだところで、疲労がレーカを襲った。
「っ!? う」
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
レーカは頭を押さえてよろめく。そんな少女の様子に男はこう告げる。
「一旦、休め。眠ったほうがいい」
「はい…………」
レーカは草むらというシーツの上に身体を横たえて、すぐに意識は深い眠りへと誘われた。無防備な身体を横によじり、すぅすぅと寝息を立てている。その様子を微笑ましく見守りながら、男は呟いた。
「それにしてもこいつ、どこか既視感があるな」
──レーカが男の名前を知るのはこれよりも更に後の出来事である。
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