命の代償(後編)

 アトラスは手元に薙刀を引き寄せては、すぐに薙ぐ。そうして複数の腕による攻撃を凌ぎつつも、確実に攻撃を与えていった。

 しかし、今はアトラスに分が悪い。

 圧倒的な手数の差が、アトラスの消耗を早めてしまうのだ。

 身体の疲れと、素早い動きに対応することによる精神の疲弊。ヘラクスとの戦いのほか、想定以上の疲労に苦戦を強いられていた。


「く……っ! まだだ!」


 反対の横腹から二本目の【アトラスパーク】を引き抜こうと、左腕を右腕の内側に潜り込ませる。


「為す術なくなるっ、抜刀させんっ!」

「ぐぅ……っ」


 放たれたのは、回し蹴り。

 ヘラクスが壁に付けていた脚を離してアトラスを蹴り上げた。上へ弾かれたアトラスは苦悶の表情を浮かべ、下で嘲るヘラクスの歪んた笑顔を視界に映す。

 投げ出されて、上から見下ろすアトラスだが、ヘラクスは矢をつがえてアトラスを狙う。力を溜め込み、矢が膨れ上がる。


「くっ! もう一つ、もう一振り引き抜くことができれば……!」


 アトラスは内心でそう考えた。ヘラクスの隙を見計らうも隙と呼べる隙はほとんどなく、ヘラクスの【オーラムエクリプス】が着々とアトラスを貫く準備を整える。


「考えてる暇もなければもう、やるしかない!!」


 アトラスは横腹から二本目の【アトラスパーク】を勢いよく引き抜いて、切っ先をヘラクスへと向けた。

 そして、ヘラクスは矢を放つ。


「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 大きな口をあけるように膨れた矢は、アトラスの甲殻武装の切っ先とぶつかって、ズタズタに破壊していく。

 矢はそのまま、アトラスのを通り抜けて虚空へ消えていった。通り過ぎた後になって、アトラスの脚跡の鎧クラストアーマーに罅が入る。


「ぐ、ぁっ……。ぐぉっ、がっ……!!」


 罅割れた脚跡の鎧クラストアーマーからはポタポタと血が滲み出していて、黄緑色の墨が入るように罅の線を際立たせた。アトラスが浮かべるのは苦悶の表情と、脂汗。

 やがて加速させていた血流もその速度を落とし、纏っていた黄緑色のオーラは消え失せる。壁にしがみつくこともままならなくなり、アトラスは空洞の底へ落ちていった。


「かはっ! げほっ、がほっ!!」


 地面に叩きつけられて、衝撃という名の追撃がアトラスを襲う。アトラスは白目を剥き、額からも出血している。瀕死に近い、重傷だった。


「あ、アトラス──!!」


 意識が朦朧として気を失っていたマルスも、薄らと見えるアトラスの惨状に驚きと──瞳に光を取り戻す。


「お前ら、よくも俺の息子を……! この借りは高くつくぞ!! お前らは絶対に、この俺が許さねぇ!!」


 これこそ、満身創痍で重傷だったマルスが、再び立ち上がった瞬間。マルスは一瞬の隙に空を見上げたが、今にも雨が降りそうな曇天模様だった。



 ***



「え、あ……アトラス?」


 遠くから離れて彼らの戦いを見守っていたシロナは、突然落下したアトラスを目撃して抑揚のない声をもらした。


「あ、アトラス!? ねぇ、大丈夫なのっ!? アトラス!!」


 アトラスを何とか救おうと、確実に助けられるように慎重に近寄る。シロナの甲殻武装は白黒反転させる能力。

 すなわち、善を悪に。悪を善に、ひっくり返すことができる。

 しかしシロナはこの状態を見て、どう助けたらよいのか分からなかった。咳とともに口から吐き出される血液も、酸素を多く含む血液で命のタイムリミットまでほんのわずかだろう。


 体温が低下していくのを感じる。手で触れて、シロナもすぐにわかった。


「ど、どうしたらいいのかしら……!」


 事態は一刻を要する。

 手段が無いと言ってしまえば嘘になるが、その手段はあくまでリスクを伴う最終手段。

 しかし残された手段を使うしか、他に方法などない。


「お願い、アトラスを……私の息子を復活させて! 【リバーサルシード】!!」


 シロナの甲殻武装。その名はリバーサルシード。

 シロナはまず、損傷した脚跡の鎧クラストアーマーを反転──甲殻類の装甲を柔肌につくりかえる。出血部分をどうにかすることは難しいために、細く長い葉を巻き付けて圧迫。

 それらの工程を繰り返して、アトラスの応急処置を済ませた。


「これで、なんとか……だ、大丈夫よね? 生きてるわよね、アトラス?」


 シロナは不安そうに声をかけるが、アトラスは目を覚ます様子はない。


「い、息の仕方がかわった? はぁ、無事なのよね、アトラス……?」


 代わりに、呼吸のリズムが変化して、すぅすぅと寝息を立てながら眠りについているようだった。目を覚ますのはどれくらい先なのかはわからない。それでも助かったことに、シロナは安堵していた。

 そこへ、シロナを追ってヒメカとキマリの二人が住居の外に飛び出す。


「は、あ、アトラス!! ねぇ、大丈夫なの!?」

「アトラス……?」


 アトラスはシロナの能力で中脚の名残──脚跡の鎧クラストアーマーの片方を失っていた。

 二人は叫び声をあげるも、シロナが人差し指を唇にあてているのを見て落ち着きを取り戻す。シロナは座り直し、脚元をととのえる。それからシロナはアトラスの頭を自分の膝上へ載せた。


「……大丈夫よ。アトラスは強いから。可愛い女の子二人に心配されるなんて、アトラスは幸せ者ね」


 シロナはふふっと笑って二人の顔を見ると、アトラスの頭をなでながら二人を手招きする。


「二人とも、ちょっとこっちに来てくれる?」

『……はい』


 頷くと同時にごくり、と唾を飲み込む音がした。シロナの意図を察したのだろう。


「アトラスを膝枕してみない?」

「あ……はい、いいんですか?」


 ヒメカは目を下へ伏せながらも、瞳は爛々と輝いているようだった。そのままシロナの隣に座り込んで、膝の土ぼこりを手で払う。


「……ヒメカちゃん。はい、どうぞ」

「っ!!」


 ヒメカの柔らかい膝がアトラスの頭で沈む。その感覚に恥ずかしくも、どこか嬉しそうな表情だった。にんまりと口元が持ち上がって、幸せそうだ。


「キマリちゃんはどうするの?」

「……ん、私は、いいや。不公平だし」


 キマリは『マディブの森』での出来事を思い出して軽く赤面すると、シロナの誘いを断る。


「……不公平? よく分からないけど、本当にいいのね?」

「……ん」


 一瞬迷ってしまったのだろう。少しの沈黙の後、キマリは頷いた。

 マルスが戦う最中さなか、ヒメカとキマリは自分たちにとっての英雄の帰還を──ただひたすらに待つ。

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