蟲の勇者は地底に眠る

「ヘラクス! お前はここで、俺が倒す!!」


 幾度となく、マルスとヘラクスは刃を交えた。ヘラクスは矢を槍と同じ要領で振り回し、刀を受け止めては、手首を捻る。

 捻る度に矢の先端がマルスを撫でていく。頬に傷が入り、薄い斬撃は手首をも蝕む。


「ふん、お前ごときに俺は止められない……っ!」


 マルスは一度距離をとり、両手の甲殻武装を握り直す。手前で十字にクロスさせ、その片方を前に振る。続いて反対に持つ【アグニール】で追撃。

 最初の斬撃を押し出すように、斬撃を放った。

 ヘラクスは【オーラムエクリプス】を手元に引き寄せて、それを受け止める。しかし、二つの斬撃が重なって【オーラムエクリプス】は破損した。


「く……。この痛み、久々だな! だが、もっとだ!!」


 ヘラクスは醜悪な笑みでマルスを睨む。言外に、『足りない』というようなニュアンスが込められていた。

 そのニュアンスに不気味さを覚えるマルスだったが、咄嗟に防御姿勢をとる。


 すぐ目の前に、ヘラクスの脚が飛んできていた。


「ぐぉ……っ!」


 脚を横に振り抜く蹴りは、マルスの顔面を上手く捉える。マルスは勢い良く吹き飛ばされて、やがて土壁に叩きつけられた。


「来い。【オーラムエクリプス】」


 ヘラクスは多くの脚を器用に動かして壁伝いに移動する。そしてマルスの前まで来ると、


「お前はここでお終いだ」

「っ!」


 マルスの腕を掴み上げた。

 悲鳴をあげながら軋む腕。鈍い痛みに顔を歪めるマルス。そしてそのまま、マルスを空中へ放り投げた。

 矢を弓につがえて、矢に力を込めながら弓を引く。込めて込めて込めて、矢を勢いよく膨張させる。


「戦うのはこれで終わり……っ、暑苦しい奴も黄泉へ行き去り……っ!」


 ヘラクスは、限界まで膨れ上がった矢を空へ放つ。膨大なエネルギーの奔流がいかづちのように、空に落ちる。


「くっ! 回避が、間に合わない……!!」


 その瞬間。マルスは『死』という言葉を、本当の意味で理解した。



 ***



 意識が、覚醒に近づいている──。


「っ!? お、俺は?」

「アトラス……起きたのね」


 目を覚ましたときに感じたのは、違和感。その理由もすぐにわかった。

 今、アトラスのいる場所は土に囲まれていない。代わりに囲んでいたのは、地底ではまったく見られないの世界。


「アトラス、あなたが生きているだけでも、私は幸せだわ。ぐすっ……!」


 シロナはアトラスの頭を撫でながら、涙を流す。ここはどこなのだろう、父親マルスはどこへいったのだろうと、沢山の聞きたいことがある。

 でも、とても質問が許される空気感でもなかった。シロナの様子も、揺れる木々も葉も、なにもかもが重たい雰囲気なのだ。

 シロナは起き上がったアトラスを、思う存分に抱きしめる。

 生きていることに──否、生きることが許された。自分たちの境遇に安堵とほんのわずかな幸せを感じる。


「ちょ、母さん……!?」

「アトラス、アトラス、アトラス……!!」


 アトラスのそばにはマルスの姿はなく、あるのは他の殻人族の気配。シロナから少し離れたところに、集まっているようだ。


「母さん。父さんは……どうしたの?」

「アトラス、お父さんマルスは──」


 シロナは何一つ、包み隠さずに伝えた。

 アトラスが唇を噛み締めて、悔しさと無力さでギリギリと歯の軋む音がする。


「俺たちは今……ここはどこなの?」

「ここは、地上世界よ。私たちの居場所は……奪われてしまったわ」


 シロナの言葉は、ささえを失った大木のように空っぽだった。



 ***



 アトラスはどこかの木陰で、嗚咽する。でも、涙は出て来ない。

 何もできなかったのが悔しくて、苦しくて──自分の心がで締め付けられるようだ。

 黄緑色の血液はドクドクと音をたてて流れ、命の灯火が燃え続けていることを何度も実感できた。


 マルスはどこかへ行ってからというもの、帰って来る様子はない。

 アトラスは思う存分に涙を流したかった。


「父さん、どうして……! ぐっ、うぅ」


 声が震えている。

 肩が震えている。

 膝は笑っている。

 アトラスはかつてない、自分が自分でなくなってしまうような焦燥感に襲われた。


「お、俺はどうすれば……!」


 こんなに渦を巻く負の感情は、初めてのことだ。心の包帯で抑えつけても、次から次へと包帯の隙間から溢れてくる負の感情。

 抑えつけてもどうにもならない。そんなもどかしさが余計にアトラスを苦しめる。


「ぐ、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 思う存分に、木の幹に怒りをぶつけた。手から血が出ても、何度も殴り続けた。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ! がぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 肩を上下させて、荒い呼吸を繰り返す。しかしアトラスは、残った片方の脚跡の鎧クラストアーマーから無理やり【アトラスパーク】を引き抜いた。

 刀の姿のまま、それを横へ一閃。木に傷が入り、横へ倒れ込む。


「ぐ、痛っ……!」


 身体中に痛みが走る。甲殻武装が破損してしまったのだ。アトラスはもう一度、甲殻武装を引き抜いて倒れた木を斬る。

 幾度となくそれを繰り返して、アトラスは後ろへ倒れ伏した。


 ──勇者マルスは死んだのだ。

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