悪夢襲来

「もう、勘弁してくれ。疲れた」

「何、言ってるのよ、はぁ、はぁ。まだ……」


 アトラスとヒメカは荒い呼吸を繰り返す。

 二人はおおよそ完成したヒメカの家の前で倒れ伏していた。


「はぁ、はぁ。そういえば、アトラス……はぁ、前に『日食魔蟲』みたいって言ったことがあったわよね……? そのことについて少し、話を聞いてくれる?」


 ヒメカはふと、上体を起こしてアトラスのほうを見る。その表情は真剣そのものだった。


「はあ、息が切れて……動けないし、聞いてほしいなら聞くよ」

「それじゃあ話すわ。災厄の中に『日食魔蟲』ヘラクスがいたのは知っているわよね?」

「うん、知ってるよ」


 ヒメカの質問にアトラスは頷く。


「『日食魔蟲』の伝承には、貴方と同じように己を鍛えたという逸話があるの」


 そうしてヒメカは言葉を続ける。


「つまり、アトラスの言ってた、壊して壊すの繰り返しなのよ」


 何故、ヒメカはこんなこと知っているのだろう、とアトラスは疑問に思う。その表情を察してなのか、ヒメカは理由を説明する。


「私は……時々『幻影魔蟲』コーカスに殺される夢を見るの。そこで私は『魔蟲』について沢山のことを調べた。だからアトラス、貴方のことが少しだけ怖いと思ってしまったわ」

「は、はあ……」


 突然名前の挙がった、『幻影魔蟲』コーカスにアトラスは訝しげな表情を浮かべる。それならば、コーカスの逸話はどのようなものなのか。


「貴方はあいつとは無関係なのよね?」

「あいつ?」

「『幻影魔蟲』コーカスとは、無関係よね?」

「何を疑っているのかが分からないけれど、そもそも俺は『幻影魔蟲』のことを殆ど知らないよ」


 次いでアトラスは「親戚でもなければ面識すらない」と付け加えた。


「そうなのね。それなら、もう一つお願いがあるのだけど……」

「ん?」

「怖い夢を見たときに付き添ってくれる人が必要なの。だからアトラス、私を護ってくれないかしら……」


 手を下でぐっと握りしめ、今にも消え入りそうな声でヒメカは言う。らしくない様子に戸惑いながらアトラスは口を開く。


「え? でも……。うーん、俺も家建てたばっかりなんだけど。ヒメカが嫌じゃないなら良いよ。一人じゃない生活っていうのも案外楽しいかもしれないし」


 諦めたように、笑顔を向ける。

 ヒメカは目をキラキラとさせてアトラスのほうを見つめた。


「……ありがとう!」


 顔を下に向けて染まっているであろう頬を隠しながらヒメカは礼を述べる。



 ***



 ヤマトの計画──それは、悪夢のことをアトラスに話し、アトラスに同居してもらうことだった。優しさにつけこむような行動であったが、ヒメカはそんなことお構い無しに、これからの状況に胸を膨らませていた。

 ヒメカの目的──それは、アトラスに一緒にいてもらうことだった。アトラスの底知れぬ力に心惹かれたのである。

 これはコーカスの悪夢についてはもはや、どうにもならないと考えてのこと。コーカスに殺される悪夢を見てしまうのならば、少しくらい良い夢を見てもバチは当たらないだろう。


「ふふっ」


 計画が上手くいくまでは、結果を想像して笑っていたりしていたが、それが現実になった途端、ヒメカの笑顔がよりいっそう可憐なものとなる。

 ヒメカは今の状況に口元を緩ませながら、目の前のアトラスを見つめた。


(ふふっ、やった……!)

「それで、ヒメカは最近その悪夢を見たの……?」


 内心、嬉しさでどうにかなりそうなヒメカは突然、アトラスに尋ねられて目を白黒させる。


「っ!? え……あ! ええと、そうね……前に見たのは四日前だったかしら。前は、とか言ってはいけないとは思うけれど」

「そうなのか……!」

「夢に見るコーカスってやつはそんなに怖いのか?」

「そうよ。甲殻武装を振る度に禍々しくて黒い炎が舞うの。怖い以外の何者でもないわね」


 ヒメカの悪夢については本当のことで、ヒメカは夢の中で何度も『幻影魔蟲』コーカスに殺されている。


「なんで私だけがこの悪夢を見るのかは分からないけど、とにかく怖いのよ。だからそばにいて欲しいの。なんでもするから……」

「うん、事情は分かったよ。でも、女の子が『なんでもする』とか言わないほうがいいよ」


 アトラスは至極当然といった顔だ。否、若干頬が染まっているかもしれない。


「っ!? わ、分かったわ……ありがと」

(なんだろう? ヒメカを見てるとなんだかドキドキしてくるぞ、なんなんだこれ!?)


 アトラスは内心でそう思ってしまう。

 それは恋心なのかもしれないし、アトラスたちの先祖が遺した本能というものなのかもしれない。

 アトラスは内心のドキドキを隠すようにして、口を開く。


「と、とにかくその悪夢をどうにかできればいいんだけどね」

「……どうにもならなかったのよ。私は、『幻影魔蟲』に取り憑かれているのかしら」


 ヒメカは物騒な憶測を口にした。



 ***



 深夜、ヒメカはアトラスの隣で寝ることとなったが、胸の奥で感じる心拍が眠りを妨げることは無かった。

 眠りが深くなればなるほどその意識は暗い場所へ連れて行かれる。それはまるで、大きな渦に吸い込まれていくかのように。

 底のない沼に引きずり込まれた先には──いつもと変わらない『幻影魔蟲』コーカスの姿。


「やあ、またしても君は僕のチカラになってくれるんだね? すごいなぁ! 僕に殺される夢を何度も見てるはずなのに、心が壊れないなんて! 正に〝ホンモノ〟だよ! それじゃあ早速……僕のチカラになってしまえ」


 夢に現れた『幻影魔蟲』コーカスは懐から自身の甲殻武装、コラプサーソードを引き抜いてそれを握る。


「はぁっ!」


 斜め右上から左下へコーカスはその大剣型の甲殻武装を振り下ろした。


「いやぁ。もう、やめてよ……」


 ヒメカの周りは黒い炎に包まれていて、やはり逃げることは不可能だ。


「誰か……誰か助けてッ!!」


 ──涙が焼けた土の上に零れ落ちる。

 その涙にはヒメカの想いが詰まっているかのようにキラキラと煌めいて軌跡を残していた。


「それじゃあバイバイ。また会おうね」


 反射的に身体を腕で抱いて頭も下を向いてしまう。この恐怖は誰にも理解してもらえない痛みだろう。

 『死』という言葉を間近に感じる。迫り来る斬撃に思い切り眼を瞑ってしまった。


「──来てくれ! アトラスパーク!!」


 アトラスの甲殻武装は盾の姿となってヒメカの目前に出現する。アトラスの姿は淡く光っていて、身体そのものが透けているようにも見えた。


「これは……お前、誰だ。この〝ニセモノ〟の分際で!」


 アトラスがヒメカの夢の中に姿を現した瞬間、コーカスの態度が一変。醜悪な目つきで睨みつけるを


「ニセモノ……? 俺のこと?」

「そこのお前以外に誰がいるの? このニセモノめ……っ!」

「ニセモノが何を意味しているのかは分からないけど、これだけは言える! 俺はニセモノなんかじゃない。俺はアトラス、地底の民だ!!」


 アトラスがそう言い切ると、光が霧散する。それとともに、アトラスの身体は現実味を帯びた。土の上にぺたりと座り込んで震えているヒメカを確認すると、ヒメカへ一歩一歩近づいていく。

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