英雄の娘(後編)

「よし、いっくよぉー!」


 森の中にもたくさんの危険がある。木の根であったり、水で湿った不安定な土。他にも葉が手脚を薄く切り裂くこともある。

 それでもレーカはいつも通りに土を踏みしめていく。あれから特訓して、手と脚の先のみは硬化できるようになったのだ。その状態でうまく脚を曲げて、地形に慣れるまでゆっくりと進む。


「どんな危険があるか分からない、から……」


 レーカはそう己に言い聞かせると、ついに百パーセントの力で走り抜ける。硬化させているからといって別に重たくなるわけでもなく、足取りはとても軽い。

 パサパサとした土の上も、ややぬかるんだ土壌も関係なく、レーカは走った。ある時は生い茂る植物の幹を掴み、よじ登る。そして太い枝の上を走り、宙を飛び越えてゴールへ到達した。

 教員が確認すると、かかった時間は日時計の目盛り一つ分の刻を越えてすらいない。教員は驚き、表情が強ばったまま停止したように動かなかった。


「い、いいだろう。合格だ……」


 未だに困惑を隠せない様子で、教員はその場を後にする。次に筆記試験となり、レーカはわかるところは素早く。わからない問題はじっくりと考えて答えを出す。

 それから翌日に採点の結果が出ると言われ、レーカ達は一度帰った。


「ヒメカ、家を建てるからちょっと手伝ってくれー」

「ええ、わかったわ」


 アトラスは──あまり手慣れてはいないようであるが、娘に良いところを見せるべく張り切っている。蔦で木片を編み、それをいくつか作成していく。ヒメカはアトラスのつくった『壁』となるパーツを垂直に立てて、円形状に配置する。

 その上に屋根をつくり、アトラスとヒメカは瞬く間に家を一つ作ってしまった。レーカは目をぱちくりとさせ、可愛らしく首を傾げる。


「? わぁ………!」


 しかし新しい家にワクワクが抑えきれず、そのまま家の中へ飛び込んでしまった。明日に備えて就寝し、アトラスとヒメカも久々の森の声に懐かしさを覚える。


「夜はこんなに風が音をたててたっけ……?」

「普通の生活からその通りだと思うわ」


 冗談交じりにヒメカはアトラスの普通ではなかった生活をいじる。親子そろって川の字に眠る中、そっとアトラスとヒメカの距離が縮まった。


 ──そして、唇と唇がゼロ距離になろうとしたその瞬間。


「く、苦しいよ……お父さん」


 間で眠っていたレーカがうめき声をあげていた。



 翌日、家族揃って学校へ向かう。理由はもちろん、レーカの試験結果を聞くためだ。受付へ向かい、試験を担当した教員を訪ねた。


「筆記試験は六十八点、だが……運動能力については、測れなかった」

「「はぁっ!?」」


 二人は素っ頓狂な声をあげる。おそらく聞き耳をたてていたのだろう、何人かの生徒がその事実に驚愕する者、納得する者、そして嫉妬する者に分かれてそれぞれの表情をしていた。


「運動能力は間違いなくトップクラスに強いのだろう。それともう一つ、問題があってな」

「……うん?」


 レーカが首を傾げて、教員は言葉を続ける。


「筆記試験の正解が、あまりにも極端なんだ。常識があまりにも欠けている……!」


 言われてヒメカは悟った。


 ──これは自分達が原因であると。


 アトラスは元々から常識というものを持ってすらいない。ヒメカはアトラスに対してそう思っていた。

 しかしそれは、自分自身に対しても言えたのだ。

 否、アトラスに毒されてしまったのだろう。自己分析の結果、ヒメカはそのような答えを得た。


 ヒメカはアトラスをジト目で見つめて、視線を斜め下へ戻す。レーカを見ながら、ヒメカは尋ねた。


「では、正解していたのはどのような問題だったの?」

「そうだな。一言で表すと身の回りの知識、だな。あの子は特に危険なものに対して恐怖のようなものがあるみたいだ……」


 教員にそう言われてアトラスも納得した。自分が心配という言葉を何度もレーカに対して使っていたことと、レーカがアトラスの言う『心配』に苦手意識を持っていたことを。

 英雄である二人の娘は常識知らず。

 その事実を改めて、実感したアトラスとヒメカだった。



 ***



 さらにいくらかの月日が流れ、レーカが入学する時期となった。

 当日のレーカはウキウキ、ワクワク。それらの感情を隠すことなく、表情に全て現れていた。突然ニヤニヤし出したり、目を瞑って笑いたいのを堪えたり。

 極めつけは歩く一歩一歩が、はしたなくも大股歩きなのだ。


 レーカがどれだけこの日を楽しみにしていたのか、それらの行動が物語っていた。

 目の前には新入生を誘導する学生や、何らかのグループに誘う学年もいる。

 アトラスとヒメカの知らない学校の今の姿が、そこにはあった。


 誘導の通りにコロッセオ内へ進み、新入生一同は学校長の言葉を待つ。


「えー、こほん。……みなさんこんにちは。私は学校長のメイスターといいます。これからこの場所で共に学ぶわけですが、ここで学校の現状についてお話したいと思います」


 生徒の中にざわめきが走った。メイスターはそれもお構い無しに話を続ける。


「かつて賢者ハイネがもたらした常識が偽物だとわかり、殻人族たちは混乱に呑まれました。ここで生まれた学校の新しい姿がこの、学年制です。でもここで理解していて欲しいのは、学年が大きいから偉いというわけではありません。学ぶ内容を分割してるだけです。上級学年の者がカーストなどと勧誘するかもしれません。でも、差別意識は持たないようにしてくださいね」


 その注意喚起だけして、メイスターは壇を降りた。

 これからレーカにとって波乱の学校生活が、幕を開けるのだ。

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