マディブの森(後編)

「ありがとうございます。お陰で助かりました、ディラリス学校長」

「いえいえ。そちらの森が蘇った『幻影魔蟲』の被害にあったことは聞いていますよ。さぞ、大変だったことでしょう」


 ディラリスはコーカスの詳細について触れることはせず、ただただ共感していた。


「今日は疲れているでしょう、宿でゆっくりと休んでください。授業は明日から始めます」

「ご配慮、感謝します」


 メアレーシは深く頭を下げる。その日の課題は、休息をとることであった。



 ***



 湯船に浸かり身体を清める。それからまもなくして床についた。意識が夢の中へと誘われていく最中、


「……ん、にゃむ」

「は?」


 意識が現実へ引き戻されてしまった。本当なら、真っ暗な部屋にアトラス一人しかいないはずだ。それなのに何故か女の声が聞こえている。


「だ、誰なんだ!?」


 アトラスは被っていた藁布団を宙に放り投げた。暗闇に目が慣れていき、犯人の正体に気づいた。


「むにゃ、むに……む、寒い」

「き、キマリ!? どうしてここに」

「?」


 目をこすり、辺りを見回す。そしてアトラスの姿をぼんやりと見た後、自分の胸元を見下ろした。若干はだけている寝巻き姿に頬を染める。


「……とりあえず、触ってみる?」

「からかうのはやめてくれ」


 頭を押さえながら、アトラスは溜息をつく。


「トイレから戻った時に間違えたみたい。戻るね」


 そういって、キマリは部屋を出ていった。その後複雑な心境のアトラスはなんとも言えない表情になるのである。



 ***



 翌日、実際に授業が始まった。

 ディラリスは妖しく微笑んで、生徒たちのほうを一瞥する。


(どうしてだろう? なんか笑顔に含みがあるような気がする。それになんだか、恐ろしい)


 アトラスはふと、考えてしまう。ディラリスの笑顔はどこか不気味で、現にアトラスの肌が粟立っている。

 例えるなら、遥か格上の者が放つ威圧と侮蔑に近いだろうか、本能的な恐怖心と言えるだろう。

 アトラスは怯えていた。ディラリスは多くの生徒の中から、怯えているアトラスを見つけ出して言い放つ。


「君たちも、危機感が足りないね。もしここ、この地この場所が敵地だったらどうするつもりだったんだい? 怯えていたのはこの子くらいだったよ」


 ディラリスはアトラスを手招きして、引き寄せる。そして、両手を叩いて注目を集めた。


「それじゃあ、最初の授業は戦闘技術について僕が直々に教えてあげよう! これから皆には彼……レギウスと戦ってもらう」


 ディラリスが手を横へ差し向けると、隣にいた幼げな殻人族の口が動く。


「そのレギウスというのは俺だよ。これから一人ずつ戦ってもらおうとも考えてたんだけど、どうせなら皆で一斉に! バァーンとやっちゃおうよ。どうかな?」

『…………』


 幼い殻人族レギウスの戯言なのか、戸惑いを彼らは隠せない。レギウスはその様子に苛立ちを見せて、大きな声で怒鳴った。


「俺はこう見えて、大人なんだよ。ここでは最強なんだから、舐めないでほしいね」

「そうなんですか?」


 アトラスは真面目に問いかける。


「そうだよ! だから相手は俺一人でいい!」


 その傲慢な言葉を聞いて、生徒たちは殺気立つ。


『……っ!?』


 生徒たちの瞳には不満と怒りの色が表れていて、中には横腹の脚跡の鎧クラストアーマーに手を伸ばそうとしている者の姿もある。


「……別に今すぐに戦うのは構わないよ。でも、とりあえず場所を移そうか。ここで始められても困るからね」


 ピリピリとした空気の中、ディラリスがそう注意するとレギウスも生徒たちも黙って頷いた。

 場所を移動してやって来たのは、コロッセオ。

 コロッセオの形は『ブルメの森』と少しデザインが異なっており、戦う場所の周りを観客席が円形に囲うのではなく、開いた天井のすぐ下に部屋のようなものがある。上から見下ろす形の観客席なのだろう。

 そしてディラリスの授業と銘打って、レギウスとの戦闘訓練が始まった。


「ここはコロッセオだから、自由に戦ってくれて構わないよ。皆、レギウスの足に注目してもらいたいね」

『は、はい……っ!』


 渋々、といった様子で彼らは頷くと、皆揃ってレギウスのほうを向いた。


「それじゃあ、いつでもいいよー!! 好きなタイミングでかかってきて!」

『っ!』


 レギウスの挑発に乗せられた一部の生徒がレギウス目掛けて一直線に迫る。


「来て! バロックランドゥス!!」


 瞬間、レギウスの右手に握られていたのは、薙刀。レギウスはその薙刀を一振り。すると、空気が震撼する。

 耳をつんざくような不快な音がレギウスに立ち向かう者たちの意識を阻害し、隙をつくる。


「これで分かったでしょ? 俺はまだ一歩も動いてないんだよ?」


 悔しいことに、挑発に乗せられた生徒たちはレギウスの一歩分手前のところで倒れ伏していた。


「君は良く平気でいられるね? 確か……そう! アトラスだったね!」

「コーカスと戦ったのは俺だ! こんなことで躓いたら、駄目だっ!!」


 そう言ってアトラスは横腹に手を伸ばす。


「来てくれ! アトラスパーク!!」


 そして、刃の無い刀を両手で握って、


「いくよ……っ!」

「ああっ! かかってこい!!」


 アトラスとレギウスの戦いの火蓋が切って落とされた。


「はぁ……っ!」


 アトラスも一直線にレギウスへ迫る。レギウスの甲殻武装が放つ不快な音で少し行動が阻害されるも、刀で突こうと前方へ突き立てる。


「はっ! そんなのは効かないね!」


 レギウスはそう嘲るようにして、薙刀を振動させる。それに伴って周囲の音が変化した。変化した後の音は不快というよりも、不気味な音。

 不快な音から解放されたアトラスはより速く、より鋭く相手の懐に入り込んだ。


「甘い甘い!」


 懐に入りきった瞬間に空気が発する音が変化、そしてさっきまでの不快な音になる。アトラスにとっては、その音は先程のよりも更に不快なものだった。

 耳をつんざくような音は頭の中を刃物で抉り回すように、


「ぐぅぅ……っ!」

「やっぱりここまでは予想できないか」


 レギウスは己の一撃でよろめいているアトラスの甲殻武装を破壊しようと斜め下から上へと、薙刀を振り上げた。


「くっ! 頼む、アトラスパーク!!」


 瞬間、アトラスの甲殻武装の形が刀から盾へと変化する。そして、薙刀と盾が激突し、しばらくの間、押し合いが続く。


「おおっ! すごいや! 警戒心は人一倍強いみたいだね!!」

「こんなの、警戒心でもなんでも……ないっ!」


 アトラスは盾を斜めに傾けて、薙刀の力の向きをずらす。


「うおぉ……っと! 危ない危ない。でも、甘いね!」


 レギウスは薙刀を手元に引き寄せて、反対側の刃を突き立てる。刃は風に靡いて甲高い音をたてながら、アトラスへ迫った。


「うぐっ……!」


 アトラスは後方へ弾き飛ばされるも、なんとか転ばずに踏み留まる。


「しぶといね。この森で最強の俺にここまで粘ってるのは素直にすごいよ」

「褒められた気がしないよ。まあでも、褒め言葉として受け取っておくことにする」

「それじゃあ、次で決着をつけようか。いいね?」

「うん、俺も次で決着をつける!」


 不快な音が鳴り止んだ。そして、相手の動きを睨みつけるように、お互い一歩も動かない。


 そこでアトラスは悩んでも仕方がないと、まっすぐに進むと心に決めた。

 すると、刀が光り輝く。光がおさまると、それは一直線に伸びる矢印のような、だった。


「やっぱり面白いね、それ!」

「まあ、ね! これで決める、決めてやる……っ!!」


 アトラスは槍を持つ手を引いて、相手の出方を窺う。対してレギウスも薙刀を両手で持って、水平になるようにそれを構えた。


『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』


 ──両者、激突。アトラスの前髪が風に靡く。


 アトラスの槍はレギウスの薙刀の片刃を真横から突いている。しかし、薙刀はアトラスの槍の柄に引っかかってアトラスに直撃していない。

 やがてレギウスの薙刀に亀裂がはいり、砕け散る。


「勝負あったね。勝者、アトラス! ……レギウス、君の負けだ」

「ちぇー! 俺の負けかぁー!!」


 ギリギリの試合ではあったが、勝利を手に入れたのはアトラスのほうだった。

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