マディブの森(前編)

 モーラはモーラ自身、心が強いほうではないと自覚している。だから、あまり自分のこの翅に自信が持てなかった。


「私のこの翅はやっぱり……不気味なのかな」


 ふとした時に脳裏を過ぎるのは、不安感。

 モーラはこの碧い翅の本来の色がであることを知らない。


(皆は私のこの碧い翅を、どう思ってるんだろう。)


 モーラは皆に尋ねてみたかった。尋ねる勇気がなかなか出せずに、立ちすくんでしまっている。


(今度こそ、聞いてみるんだ……っ!)


 アトラスは綺麗な翅だと言っていたが、本当にそうなのかどうか分からない。モーラはアトラスの言葉を信じて口を開く。


「ねえ、皆。私の翅って不気味?」

『…………』


 皆の反応は無反応に近くて、モーラは泣きそうになる。口の端にぐっと力を入れて、表情が崩れるのを我慢しながら。その様子を見かねたのだろう、一人の少女が前へ出た。


「何を言っているのかさっぱり分からないんだけど。どうして不気味なの?」

「え?」


 綺麗かどうかの答えでは無く、聞こえてきたのは不満の声。モーラは思わず、戸惑ってしまう。次に前へ踏み出したのは男子生徒だ。


「そんなに綺麗な色の翅は皆見たことがないよ。だから高嶺の花……みたいな感じで皆距離を置いていたんだ。ごめん」


 その言葉に他の生徒たちも皆、視線を落とす。

 皆、彼女を避けているのではない。綺麗だからこそ近寄れないというのが本音だった。


「じゃ、じゃあ私が皆と仲良くするのはいいの?」

「いや、それは勿論、嬉しいだろうけど……」

「けど?」

「人だかりができて困ると思うぞ」

「そ、そこまで!? 話を盛りすぎじゃない!?」


 しかし、皆の目は本気そのものだ。

 それでモーラも今自分が置かれている状況を悟る。

 ──これはどうしよう、と。

 でも、仲良くできるのならとモーラは大きな声で、


「それじゃあ、よろしく!」


 とだけ言った。



 ***



 自分の翅が不気味なものではないことを知って、皆との心の距離が縮まったモーラ。

 共に『マディブの森』へ向かう仲間たちと会話に花を咲かせている。

 今の話題は──行き先である『マディブの森』について。目的地はどのようなところか、どんな面々がいるのか。彼女らは想像を膨らませていた。

 その一方で、キマリはヒメカのことを案じ、アトラスの一挙一動をヒメカに伝えることを思いつく。


「ねえ、アトラス……」

「ん? キマリ、どうしたの?」

「あとで報告するから」

「え!? 何を!? 誰に!?」

「内緒。ふっ、覚悟しておくといい」


 キマリは悪い笑みを浮かべてふと、思い出したように懐から昆虫を取り出した。

 それはオオムラサキの雌──ではなく、良く似た別の種。しかも模様のすべてが似通っていて、全く見分けがつかないほどだ。


「アトラス。言い忘れてたけど、こっちのは食べちゃだめだから」

「なんで? それは美味しかったと思うけど?」

「そうじゃなくて、これはさっきの虫じゃない」

「え?」

「これはカバマダラだから……毒」


 キマリ曰く、カバマダラがオオムラサキの雌に似たのではなく、オオムラサキの雌がカバマダラに自分の姿を似せてしまったのだと言う。

 つまるところ、カバマダラは毒をもつということをキマリは注意したかったようだ。


「そうなんだ。思ったよりも区別が大変そうだね」

「そう。だから、気をつけて」


 キマリはその手に持っている蛾ををリリースすると、ぱたぱたと空へ飛んでいく。それからアトラスへ視線を戻すと、強い口調で言い放った。


「アトラス」

「なに?」

「しっかりヒメカを見てあげて? 今は無理かもしれないけど。ヒメカはたぶん別の意味で無理をしてる」

「……えっと、どういうこと?」

「お馬鹿。カバマダラを間違えて食べてしまえばいい」


 小声で不吉なことをキマリは言う。

 キマリはヒメカを応援するつもりで言ったのだが、当の本人には全く意図が伝わっていなかった。

 毒を食べてしまえという何とも酷いニュアンスだが、キマリは割とそういうことに対して容赦がない。


「ふんっ」


 キマリはオオムラサキを口の中へと放り込んで、アトラスの元を離れていった。

 それからしばらくして野営地に全員が集合する。


「そろそろ進もう! 皆、こっちに集まって来てくれ!」


 メアレーシが皆にそう言う。

 土竜だった炭や灰を一箇所にまとめて、再び一行は進み出した。


「もう少しで木々が見えてくるはずだから、皆頑張って!」

『はい……』


 そして暫く歩き続けると、草が徐々に低木に変わり、バイオームが変化していく。やがて無秩序な木々の集合体となり、それが続いた先に目的地である『マディブの森』がある。

 菌類が密集している地帯を抜けて、川の上にかかる丸太を渡り、蔦の垂れ下がる木々の中を進んだ。


「よし、着いたよ! ここが『マディブの森』だ!!」


 そして、アトラス一行は無事に『マディブの森』へ辿り着いた。



 ***



「おや、彼らが来たようだね。それじゃあ、僕たちも出迎えるとしよう」

「それがいいよ! 俺もに会えるのが楽しみだ」


 出迎えようと考えた長身の男、名をディラリスは隣にいる少年、レギウスのほうを一瞥する。

 レギウスは一見すると少年だが、中身は大人であり、容姿が幼く見えてしまうのが彼にとってのコンプレックスだ。


「さて、どのように迎えようか」


 ディラリスはそれについて暫くの間考えに耽って、ふといやらしい笑みを浮かべた。


「そうだ。これがいいかな。レギウス、少し頼みたいことがあるんだけど」

「俺にですか? はい、いいですよ。なんなりと!」


 ディラリスの言葉を聞いて、レギウスの瞳が期待で彩られる。くり抜かれた窓から差し込む光がレギウスの顔を照らすと、その顔は怖いほどに唇が裂けていた。


「わかりました! 楽しみだなぁ。どれくらいんだろう!!」


 レギウスの声は弾んでいて、年齢にはそぐわないが、その見た目通りの無邪気さが垣間見える。

 そんな二人のちょっとした悪巧みは、吹く風にかき消されるように霧散した。




 一方、メアレーシが率いる一行は森へ入るところで門番に足止めをくらっていた。


「ですから、『ブルメの森』の学校から来たんです! そちらにも情報は伝わっているでしょう!」


 メアレーシはやや強めに怒鳴る。

 しかし門番は、


「そんな話は聞いていないぞ。それに幻影魔蟲の被害ということがまずおかしい。そんな怪しい奴をこの森に入れる訳にはいかない」


 まるでこちらの話を聞かず、大きな壁となってその状態を貫く。手に武器を握り、臨戦態勢だ。


「で、でも……」


 メアレーシは困ったように、右頬を掻いた。


 ──パンパン!


 どこからか手を叩く音がする。

 音のするところへ視線を移すと、長身のスーツ姿の男と、幼げな印象を与える少年の姿があった。


「彼らは怪しい者ではないよ。君、通してあげなさい」

「ディラリス様!?」

「僕が許可したんだ。さあ、中に入りたまえ」

「貴方もおひとが悪い。予め教えて頂ければよいものを……」


 片手を動かし道を指し示すことで、ディラリスはアトラス達を誘導する。開けた場所まで着いたところで、ディラリスは両手を天へ掲げた。


「ようこそ、森林都市『マディブ』へ! 君たちを歓迎しよう!!」


 手を胸に当てて一礼。ディラリスははきはきとした声で歓迎の意を示した。

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