あだ名は『ネス』

「レーカさん、昨日はごめんなさい」


 朝早くにルリリは昨日の出来事を謝罪した。その時のルリリは内心でメラメラと苛立ちを覚えており、次は喉元を狙うなど暴言に近いものを口から吐き出している。今となってはそれが間違いだと分かり、自分を恥じていた。


「ううん。別に怒ってない。あと、できれば……その」


 レーカは口元を少し動かして、動きが止まる。言いたいことが、なかなか言い出せないようだ。


「ん?」

「……レーカ。レーカでいいよ!」

「わかった、レーカ」

「うん、ルリリ!」


 お互いの名前を呼び合って、どこか気恥しくなる。レーカはにっこりと笑みを浮かべながら席に座った。


「おうおう。皆全員、席に着いてるなー! 授業始めるぞー」


 生徒全員が席を立ち上がり、一例する。それから座学が始まった。

 この学年では主に殻人族の社会と計算、物の価値やその他一般常識などだ。ある意味、ギンヤの得意分野である。


「──今のブルメの森では作物を育てることも頻繁に行われてきている。その中で重要なのが、それぞれの物の価値だ。これを物価という」


 スラスラとギンヤは説明していく。ギンヤはアトラスの失敗した話なども交えて、生徒達の興味を引いていた。


「今となっては英雄のアトラスは、当時常識という壁を突き抜けるくらい常識に穴が空いていたんだ。例えば飲食店での支払いが、エメラルド……だったりな」


 生徒達の中で冗談と思ったのか『ワハハハハ!!』という笑い声が漏れる。ギンヤが本当だと告げると笑い声が乾き、最後は断末魔のように声が途切れた。


「本当なんですね……」


 仕舞いには、呆れ果てた様子だ。ギンヤは乾いた空気感から立て直すべく、新たな話題を提示する。それは両替商という職に就く者たちの話題。


「また経験談になるが、俺は一度あいつに両替商を紹介したことがある。両替商というのは者の価値を揃えるために必要不可欠なんだが、ここには手数料というものがある」


 ギンヤは心做しか斜め上を向いて過去の記憶に想いを馳せる。手数料を差し引いた金額で物の価値を合わせることが両替商の仕事だとギンヤは説明した。


「これは何かを商う者すべてに共通するが、信用こそ正義だぞ。物価が高くても、信用があればそれだけで人は来る」


 物価の話題から信用の話題へと変わり、ギンヤはたくさんの常識というものを語っていく。そして最後に一言だけ、念を押す。


「今、俺が伝えた常識は今しか通用しない。しかもハイネの一件で、常識がなんなのかすらも疑わしくなった。だから、常識というものは殻人族の大部分が正しいと信じていること。これを常識だと考えるといいぞ」


 ギンヤはそう締めくくった。



 ***



 お昼の休憩時間となり、レーカはルリリに連れられて近場の有名な料理店へと向かった。ルリリが先に店へ入り、レーカは緊張からルリリの後ろで縮こまっている。


「へい、らっしゃい! おお、これはルリリちゃん」


 店の中にいたのはテントウ。この店はかつて、アトラス達がハードルの高い料理を食べた場所だ。


「ん。こんにちは」

「こ、こんにちは……」


 レーカはルリリの背後から顔を出した。そしてルリリがレーカのことを紹介する。


「ん。この子はレーカ。私の友達で、同じく英雄の娘」

「うぉっ!? なるほど、そうだったのか……英雄様に加え、その娘二人が揃って来店とはなかなかに嬉しいもんですぜ」


 やはり独特な口調だとルリリは思う。ルリリはテントウの店の常連であるのでこの口調も慣れたが、レーカは案の定首を傾げている。

 どこか空いている席に座り、料理を注文する。レーカはちらっと見つけた『熟成腐葉土』を注文し、ルリリは『樹液片の花粉添え』を注文した。


「花粉……?」

「そう。花粉乗ってるとおいしさが段違いなの」

「──これは奇遇だな」


 二人で会話に花を咲かせているとレーカの背後から声がかかった。


「ええと、ネステュス?」

「ネフテスだよね!」

「ネフテスだ!!」


 ツンと跳ねた黒髪をとがらせて声の主──ネフテュスは声を荒げる。しかしすぐに喉を鳴らして落ち着きを取り戻した。


「俺も横、座っていいか?」

「うん、いいよー」

「ん、大丈夫。ネス」

「……ルリリお前。絶対、ふざけてるだろ」


 ルリリは終始真顔。笑う素振りすら見せない。わざとなのかすら分からないルリリの態度に、ネフテュスは溜め息を零した。


「じゃあ、ネスとでも呼んでくれ。改めてよろしくな」

「うん、よろしく!」

「よろしく」


 ネフテュスは握手なのか、両手を二人に差し出す。レーカとルリリも笑顔で応じ、その手を握り返した。


「で、ネス。何の用? たまたま同じ店にいるわけがない」


 昼食をとる場所としてこの店はやや学校から遠く、他の学生とエンカウントする確率はそう高くはない。なにより、この店は割高だ。


「っ!? まあ、いいか。ここに来たのはお前らにクラブをつくる予定はあるのかと聞きにきたんだ」

「クラブ?」

「……私は自分でつくる気はない。どこかに参加する予定」


 ルリリはキッパリと断った。レーカはクラブについて詳しく知ろうとネフテュスを追及する。ネフテュスが言うにクラブとは、誰かをリーダーとして各々で決めた活動をこなしていくのだそうだ。そして、その内容で競い合う。ある意味、派閥に属するが故のカーストとも言えるかもしれない。


「え、なにそれ! 楽しそう……」


 レーカは綺麗な銀髪の一本一本をひらひらと揺らす。今にもやりたい活動を考えているようだった。


「ん? レーカはクラブをつくるつもりなのか?」

「ええと、迷ってる」

「そうか。もしつくると決まったら一言教えてくれ」

「いいよー」


 レーカは明るく答えたが、ルリリは訝しげな様子。ひとつだけ、察してしまったのだ。


(ネスはレーカに惚れてる?)


 そういうことだ。レーカはあまり意識しているわけではなさそうだが、ネフテュスのほうは普段クールぶっていてもレーカの前では型なしである。

 自己紹介の時に比べて、あまりにも口数が多かった。


「よしレーカ、私達でクラブをつくろう」

「え!? ルリリがリーダーをやるの?」

「ううん。リーダーは、レーカ以外ありえない。レーカがやるの。いい?」

「……わ、わかった」


 ルリリは野次馬のような生暖かい視線でレーカを見つめながら、レーカをクラブリーダーの座に据えようと言いくるめる。


「うーん、どうしよう」


 頷いてしまったレーカは何を活動にするか迷う。教室に戻り、ルリリと向かい側に座る。授業の続きが始まるまで、ずっと考えていた。


「みんなで集まって特訓、とか?」

「…………ダメだと思う」

「じゃあ、森の外での活動とかは?」

「申請がいる、はず」


 レーカの思いつくものが全て却下される。しかも案の全てが現実的に難しい条件ばかりだった。


「レーカ。別に、今すぐに決めなくても良いと思うけど」

「そうなんだけど、でも……」


 モヤモヤするとレーカは言う。


「また後で考えよ?」

「うん、わかったよ」


 レーカは渋々頷いたのだった。



 ***



 授業の後半戦も終わり、改めてレーカは考える。なかなかやりたい活動が見つからず、既存のクラブにもレーカの興味を引くものがない。レーカは昔からお転婆な一面があり活発だ。だから少なくとも身体を動かすような活動がいいと考えていた。


「うーん」

「ねえ、レーカ」


 やはり見つからない。そこでなにやらルリリが話かける。


「ん? なに」

「一旦気分転換しよ? それに今日は他の森に遠征してた先輩たちが帰ってくるらしいから、見にいこ」

「他の、森……。わかった、一緒に行こう!」

「 もしかしたら、日が沈みかけた頃になるかもね」

「えー、遠い……」


 ルリリの予想にレーカは時間的に遠いと零す。しかし、決して嫌そうな様子でもない。他の学生も見に行くかどうか話し合っている声が耳に入る。だから帰還を待つ間に、レーカの心は期待感で満たされていく。


「どんな人たちなんだろう」


 クラブのことを他所に、今は先輩たちのことで頭がいっぱいであった。

 日が傾いて、遂に学校の目の前にいくつかの人影が見えてくる。夕焼けとともに地面に落とす影は肩を落として、どこか疲れているように感じた。


「って、え!?」


 影の中にレーカの知る顔が複数見える。地底にいた頃、兄や姉のように慕っていた者たちだ。レーカは突然に走り出して、名前を呼ぶ。


「おーい、ケタ兄、ラミ姉、ルミ姉! ヨーロ姉も!」

「おお、レーカじゃねぇか!」

「レーカ、久しぶり!」

「久しぶり〜」

「背伸びたね、レーカ」


 その者たちの名前はケタルス、ラミニ、ルミニ、ヨーロ。かつてアトラスを兄のように慕っていた面々であった。


「まさか、レーカと遠征にいってた先輩方が知り合いだったなんて」


 久々の再会に、ルリリを加えて席を囲む。ケタルスはけらけらと笑いながらルリリの言葉に反応した。


「まあ、こいつは英雄……というよりも兄ちゃんの子供だから姪、みたいな感じだな」

「え!? それじゃあケタ兄がおじさんになっちゃうじゃん」

「うぐっ」


 べつに年齢を気にする歳でもないが、痛いところを突かれたとケタルスは思う。その様子を見てラミニが大声で笑った。


「ラミニ、そこまで大声をだすと逆にはしたないわよ……ふっ!」

「ルミニ、人のこと言えてないよぉ〜!」

「…………っ!?」

「くくっ! ふっ……ふ!」


 ラミニとルミニが何やら言い合っているが、ケタルス本人は軽くショックを受けた様子。一方ヨーロは必死に笑い声を堪えて、むしろ堪える音が響いている。

 ルリリは彼らの様子を羨ましそうに見ていたのだった。

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