奇襲と変貌

 そしてまだ、確認は残っている。エルファスとハイネの進んでいる道だ。彼らは二手に分かれ、それぞれ別行動ながらも同じくらいの歩速で進む。特に、ハイネは初めて入る地底世界に心を震わせて、脚も弾んでいた。


「少し片側に寄らないと、この道幅は進めないな……」


 ハイネの祖先はオオハネカクシ。そしてその特徴はジェット噴射のほかに、左右で大きさの異なる翅がある。だから、翅をぶつけないように片側に寄せて進むしかなかった。しかしそれは、天井が近くなることを意味する。塞がるような天井に思わず屈んでしまい、ハイネはそのまま歩く。

 そして、見えてきた。


「あちゃー、ここはハズレなのかー!! うん、残念!」


 壁が崩れ、これ以上先には進めない。そして崩れた壁面を背中に、ハイネは元来た道を引き返す。飄々とした口調はややトーンが下がり、残念なのは本当のようだ。軽く曲がった背中を瓦礫に見せながら、ハイネは歩いて行った。


 そしてしばらく歩いて、ハイネは三番目。すでにアトラスとヒメカのペアと、ギンヤとキマリのペアが戻っていた。


「あ、ハイネさん。早かったですね!」

「……それはそっくりそのままお返しするよ。君たちの方が圧倒的に早いじゃないか! それで、道の方はどうなっていたんだ? 通れたのか!?」


 顔をアトラスの至近距離まで詰めてハイネは尋ねる。そのテンションはどこかおかしい。


「ちょっ!? 顔が近いですよハイネさん!! 一応、俺たちの方は通れそうでした。それで、ギンヤの方は駄目だったそうです……って、まさか通れそうになかったんですね?」


 若干、アトラスはため息をついて反応を示す。全てが図星だったハイネはガクリと肩を落とし、項垂れた。


「アトラス君は、時々当たりが強い。なんて、そんな性格だったかな……?」

「そんなわけないでしょう! 俺は至って普通ですよ!!」

「動揺してるわよ、アトラス」


 ヒメカの突っ込みで、一同は一斉に笑い出す。しかしこの時、エルファスが苦難に見舞われていることなど、露ほども知らないのだった。



 ***



 鍔迫り合いが続き、火花を散らす。


「くぅ……っ! 薙ぎ払え……【グランドバスター】!」

「はははははは!! 以前よりも弱くなったね! エルファスおじさん、ははっ!」

「全く、調子に乗りやがっ……てぇえ!!」


 エルファスは道の奥にサタンの影が見えた。サタンを追うなかで、気配を察知されて今に至る。エルファスは大剣を振り回し、回転で生じた運動の分、引力を発生させる結晶を剣先に生み出す。そしてサタンを引きつけて攻撃するも、あっけなくサタンに結晶を破壊されて、反撃を受けてしまった。


「お前……マルスを! お前の父親を殺した意味を理解してんのか!?」

「さあ、ね。俺の邪魔をするし勇者にふさわしくないだのなんだの! もうイライラしてたんだよ! そもそも子を見捨てる親の時点でおかしいよね?」

「それは……お前、全ッ然! 解ってねぇよ!!」


 エルファスは荒ぶる感情に身を任せるように、腕を上から背中の方に回して──一気に振り下ろす。


「お前は、まだ何にも知らねぇ……ガキなんだよ! サタンッ!!」


 サタンは後方へステップし、難なくそれを躱すとすぐに一回転して甲殻武装で横に斬りつける。脚のリズムが踊っていて、瞬時に回転したのだろう。翻した時に見えたサタンの顔は、醜く歪んだ笑みを浮かべていた。


「そうかな? 俺は誰よりも正しいと思うんだけどねぇ……が魔蟲を復活させているんだからさぁ!!」

「はっ! 笑わせんな! もうとっくに歪んでんじゃねぇか!!」

「はあ、理解されないって、苦しいね……」


 わざとらしく、サタンは肩を落とす。その言葉は同時に、エルファスの心を逆撫でした。

 エルファスとサタンは衝突を繰り返す。暗い洞窟で、二人は剣を交える。サタンが急接近して、エルファスは大剣の峰で受け止めるが、サタンの力は推し量れないほどに増大していた。そして今も、エルファスは後方へ押されている。


「ぐ……っ!」

「やっぱり、弱くなったね。おじさんっ!」

「どうでもいい戯言ばかり吐きやがって! これさえも遊びなのか! 本当に世界を壊そうとしているのなら、もっと早くに壊せただろうに……っ!!」

「そっちもいつまで経っても、減らず口が減らないね。はははっ」


 激昂したエルファスが大剣を大きく振り下ろせば、能力でサタンは剣先に引き寄せられるはずだ。しかしよろめくことすらせず、サタンはあえてエルファスの攻撃範囲の内側へ入り込む。下からもろに攻撃を受け止めて、甲殻武装を握る力を抜く。

 すると、自然とエルファスの【グランドバスター】が斜め下に落ちる。その隙をついてサタンは袈裟斬りの一太刀を浴びせた。


「くっ! 痛……くは、なんともねぇ!! 巻き返すまでだ!」

「本当に残念だよ。こんな挑発にも、負けてしまうなんてさ……」


 侮蔑と失望の目。戦闘狂が残念に思うような表情。その全てがエルファスの実力不足を示していた。同時に、心を追い詰めてもいた。


「うおおおおおおおおおおおお!! お前は絶対に、許さねぇえええええ!!」

「もう、諦めたよ。遊びはお終いにするから」


 深い意図のない直線的な攻撃を咄嗟に躱して、エルファスがよろめいた背後を、縦に一閃。


「ぐはっ……がっ、サタン。お、お前……ゲホッ!!」


 背中の傷から黄緑の血が滲み、むせた途端に口から多量の血液を吐き出す。


「まあまあ、おじさんもそれなりに歳いってんだから、なんとか痛みに耐えるのが精一杯だろうに、どうして剣を構えてるの?」

「お前を……止める。せめてそれぐらいはしないとな!!」


 そして、溢れ出た血たまりに目を向けてから、エルファスは全身の血流を加速させた。


「いくぞ、根源開放……!!」

「今更! そんな強化なんて無意味でしょ……!」


 サタンは卑しい笑みを浮かべてエルファスを睨む。かくいうサタンも甲殻武装を構え直して、刀身の先端を斜め後ろへ。


「それはどうだろう……なッ!! やってみないとわからねぇだろうよ!」


 エルファスは大剣──【グランドバスター】を横一直線に振り回してエルファスの右側手前で引力を集めた。剣先に結晶を発生させ、それから地面を蹴る。


「っ……おらああああぁぁぁぁ!!」


 血流加速による身体能力の向上と引力による加速で、エルファスは今までにないスピードで、サタンに接近した。


「っ……速い!?」


 速いのは、初速だけ。それから進むスピードは徐々に遅くなる。一瞬の出来事に身構えたサタンは遅れてやってきた重たい一撃に顔を顰めた。サタンの剣で受け止めて、地面が凹む。サタンは手元へ甲殻武装の先を引き寄せるように、傾けた。そしてエルファスの大剣はストンと下へ落ちようとする。


「うおおおおおおおおおお!!」


 それでもエルファスは、前へ強く出た。ギリギリ落ちる前にサタンへ剣先を突き出して、


「うぐっ!! っが……!?」


 サタンの甲殻武装を避けてサタンの右手首を深々と裂く。黄緑色の血液がだらりと流れ、サタンの甲殻武装は手から離れる。


「痛っ……たいなぁ! これは一本取られたよ!! 今回はお前らの勝ちでいいよ、次で最期だからさ」


 サタンは暗闇のなかへ消え去った。それからエルファスは朦朧とする意識の中、駆け寄って来る五人の影を最後に見た。




 アトラスたちは、たった一名だけ──エルファスの戻りが遅いことに違和感を覚えていた。歩いて次の分岐点、または行き止まりまで来たら引き返す。それだけのことなのに、ありえないくらいに時間がかかっていた。


「エルファスさん……遅くない?」


 声をあげたのはキマリだ。この薄暗い分岐点で話をしながら待つ、というのも悪くはない。でも、待つことに時間を使いすぎていた。


「うーん、どうだろう。案外道が長くて、焦っているのかもしれない、けど……」

「あー、予想するのは別にいいんだけど、状況は君たちにとっては悪いのかもしれない」


 アトラスは咄嗟に出た予想を口にする。そこに割って入るように、ハイネが口を開く。


「おそらく、エルファスさんは……窮地に陥っている」

『っ……!?』


 その場の全員が目を剥いた。


「って、お、おい……根拠はあるのかよ? ハイネさん」

「少しだけ、エルファスさんの入っていった通路から銅のにおいがする。考えられるのは、それは……血液だ」


 今にもエルファスは流血に苦しんでいるのかもしれない。そう考えるとたちまち、アトラスたちは顔を青くした。


「……急ごう! 皆、あの通路の中を一直線に……走れ!!」

「ああ!」


 まずギンヤが。


「ん!」

「もちろんよ……!」


 次にキマリとヒメカが頷いて、


「俺もついて行きますよーっと!」


 最後にハイネがけろりとしながらも、強く頷いてみせる。

 決してまとまりのある空気感ではなかったが、一同はエルファスの進んだ洞窟の中を走り出す。



 ***



「っ……はぁ、はぁ、ふぅ……っ! もう、大丈夫だ。それよりもサタンが、あいつ……おかしくなっちまってる!!」


 通路の途中で倒れていたエルファスの体勢を楽な状態にして、一旦休ませる。

 アトラスたちが駆けつけた時にはもうサタンの影はなく、サタンに奇襲を受けていたことはエルファスの言葉から知ることとなった。ずいぶん前のサタンとも言動が異なると、エルファスは言う。


「あいつも昔は、アトラス……お前みたいに色々なことに興味を持つような子で実際の面識もあった! なのに、言葉の一つ一つが……サタンのものじゃない! 確信した!!」


 アトラスはそれを聞いて、己の甲殻武装と向き合った時に見たあの『黒い影』がサタンの中に存在しているように感じた。

 これから立ち向かうのはサタンであり、【アトラスパーク】がみせた影は姿のわからない不気味なもの。サタンの不気味さが、この二つを重ね合わせてしまったのだ。

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